1945年の暮れ、日本に帰ってきた男がいた。
大岡昇平、36歳。戦争の前は会社に勤め、妻と暮らし、フランスの小説を読むことが好きだった。前年、35歳で軍に呼び出され、フィリピンへ送られた。米軍の捕虜になり、終戦後の12月にようやく帰国した。
日本へ戻った大岡は、兵庫県の明石で生活を始める。仕事があり、家族がいて、戦争以前から親しかった文学仲間もいた。しかし、まったく同じ暮らしに戻ったわけではなかった。やがて彼は、フィリピンで経験したことを書き始める。
その文章の中に、敵の兵士を撃つ機会があったのに撃たなかった、という場面がある。なぜ撃たなかったのか。大岡は帰国してからも、その理由を考え、文章を書き直した。
戦争が終われば、もう銃を持たなくてもよい。家に帰り、食事をして、仕事を始めることもできる。
では、その人は戦争へ行く前の、いつもの生活に戻ったといえるのだろうか。
この問いを、第一次世界大戦の兵士から、第二次世界大戦、ベトナム戦争、そして現代のウクライナまで、何人かの人生を通して考えてみたい。
終戦の日に、みんなが家へ帰れたわけではない
まず「戦争が終わる」と「家へ帰る」は違う。
大岡がフィリピンで米軍の捕虜となったのは、1945年1月だった。彼がいた戦場はミンドロ島で、その後に移された捕虜収容所はレイテ島にあった。日本が降伏したのは8月だが、帰国できたのは12月である。
「復員」とは、戦時の軍務を解かれ、兵士が社会へ戻ることである。ただし、軍人が全員同時に帰国できたわけではない。帰る船を待った人もいれば、長く抑留された人もいた。戦争が終わったという知らせだけでは、暮らしは始められなかった。
それから30年後、別の戦争が終わった。
1975年、南ベトナムの政府が崩壊し、ベトナム戦争が終結した。北ベトナム軍の兵士だったバオ・ニンは、1969年、まだ17歳のころから軍にいた。勝った側の兵士である。
ところが、本人が2023年の取材で語った戦後の仕事は、勝利を祝うものではなかった。
彼は約1年間、戦死者や民間人の遺体を集め、埋葬する仕事に就いたという。亡くなったのは北側の兵士だけではない。南側の兵士も、戦闘に巻き込まれた市民もいた。
バオ・ニンは、その仕事によって戦争の破壊の大きさを、長い従軍期間よりも痛切に感じたと語っている。
戦争が終わったからこそ始まる仕事があったのだ。
大岡とバオ・ニンでは、戦った軍も、帰る国も、戦争の結末も違う。それでも、二人を並べると一つのことが見えてくる。戦争が終わった日は、その人の戦争体験が終わる日と同じではない。
戻ってきた兵士を待っているのは、ふつうの仕事だった
1918年11月、第一次世界大戦の戦闘が終わった。
ドイツのエーリヒ・マリア・レマルクは、その前の1916年に徴兵され、翌1917年、前線で負傷した。何年も最前線で戦い続けた人ではない。負傷後は病院で過ごし、戦争が終わった。
故郷へ帰ってから、彼は教師になった。だが長くは続かなかった。ピアノを教え、地方紙で文章を書き、やがて自動車用タイヤの会社が発行する雑誌で働いた。広告の文章を考え、旅行や自動車について記事を書いた。
「戦争帰りの作家」という肩書だけでは見えない、仕事探しと会社勤めの年月があった。
1929年に発表した『西部戦線異状なし』は、兵士たちの戦場での生活を描き、大きな反響を呼んだ。しかし、主人公の経験のすべてがレマルク本人に起きたわけではない。小説を書くまでに、彼は教師、記者、広告文の書き手として暮らしていた。
大岡も同じように、帰国してすぐ戦争文学の大家になったわけではない。
戦争以前の彼は、小林秀雄からフランス語を学び、中原中也らと交わり、翻訳の仕事や会社勤めを続けていた。帰国後は明石で暮らし、1948年には鎌倉の小林の家に身を寄せる。戦争前からの友人とのつながりが、帰還後の人生にもあった。
大岡が『俘虜記』を刊行したのは1948年、戦争から三年後のことだ。
ここで忘れたくないのは、彼らが戦争に行く前から、それぞれの人生を生きていたということだ。
仕事の技術、好きだった本、人とのつながり。帰還したからといって、すべてが消えたわけではない。逆に、それだけで生活が元通りになるわけでもない。
「普通の生活に戻る」とは、失われた時間を取り戻すことではなく、残っているものを使って生活を再び始めることなのかもしれない。
同じ戦場の経験が、英雄の経歴にも、攻撃の理由にもなる
家に戻った人を、周囲の社会がどう見るかも重要だった。
1943年8月、太平洋で米海軍の魚雷艇が日本の駆逐艦に衝突され、沈没した。艇を指揮していたのは、のちにアメリカ大統領となるジョン・F・ケネディだった。
乗員二人が亡くなったが、ケネディは生存者たちを率い、島で救助を待った。地元住民や連合軍の協力もあって、六日後に救助された。
この出来事は、戦後も繰り返し語られる。作家ジョン・ハーシーが記事にし、やがて政治家を目指すケネディの経歴の中で大きな意味を持った。戦争での行動が、社会から評価される実績になったのである。
しかし、戦争に行った人が、同じように迎えられるわけではない。
レマルクの『西部戦線異状なし』は世界的に読まれた一方、ドイツ国内では国の名誉を傷つける作品だとして激しく攻撃された。ナチ党はこの小説を非難し、1933年にはレマルクの著作が焚書の対象になった。本人は前年にスイスへ移っており、1938年にはドイツ国籍を奪われた。
一人は戦歴を政治の世界で評価された。もう一人は戦争を描いたために故国で攻撃された。
この違いを「戦勝国だから英雄、敗戦国だから迫害された」とだけ説明することはできない。ケネディの家の政治的な基盤も、レマルクの作品をめぐる国内政治も、それぞれに関わっているからだ。
だが、帰還兵が自分の経験をどう受け止めるかと、社会がその経験をどう扱うかは、別の問題であることは分かる。
戦場へ行った人は、みんな戦争を嫌うようになるのか
第一次世界大戦に自ら志願したエルンスト・ユンガーは、何度も負傷しながら前線で戦った。戦後の1920年に『鋼鉄の嵐』を刊行する。戦場で書き留めた記録をもとにした本だった。
ユンガーは戦闘を危険なものとして描く一方で、そこに激しさや強烈な体験を見いだした。後年の彼の思想には、軍人的な価値を強く評価する時期もあった。
この本は一度書いたきりではない。1920年の初刊後、何度も改稿された。1920年代の改稿と、ナチ政権期以降の改稿では、文章の強調点も変わっている。
戦争を経験した人は、必ず戦争を否定するようになる――そうは言い切れない。
一方でレマルクは、戦闘の中で仲間を失う若い兵士たちを小説に書いた。同じ第一次世界大戦を経験したユンガーとレマルクは、異なる作品を残した。
ここでどちらが「本当の兵士の気持ち」を書いたのか、と決着をつける必要はない。二人は戦地で過ごした期間も、家庭環境も、その後の仕事も違う。どちらも兵士たち全体の代表ではない。
むしろ重要なのは、同じ戦争を経験したというだけで、その後の考え方や生き方は一つに定まらないという事実だ。
何十年もたってから、同じ戦争をまた書く
フィリピンから帰った大岡は、『俘虜記』の後に『野火』を書いた。追い詰められた兵士を主人公にした小説である。ただし、そこで起きることを一つずつ、大岡自身の実体験として読むことはできない。
さらに1967年から『レイテ戦記』の連載を始め、1971年に刊行した。戦場へ行ってから二十年以上が経っていた。
大岡が実際に戦ったのはミンドロ島だった。『レイテ戦記』では、自分が直接見なかったレイテ島の戦闘を、地図や部隊の記録、証言を調べながら描いている。
若いころから本を読むことが好きだった一人の男が、戦争から帰り、まず自分の行動を振り返って書き、さらに他人が経験した戦場の記録を集める仕事へ進んだのである。
アメリカのティム・オブライエンにも、長い年月をかけて戦争を書いた人生がある。
1968年、大学を卒業した彼のもとに徴兵通知が届いた。ベトナム戦争に反対していたのに、翌年、アメリカ兵としてベトナムへ行くことになった。1970年に帰国したころ、戦争そのものはまだ終わっていなかった。
帰国後の1973年に従軍経験をもとにした本を出し、1990年には『本当の戦争の話をしよう』を刊行した。
この本には「ティム・オブライエン」という名前の登場人物がいる。作者と名前が同じで、ベトナム戦争にも行った。だから自伝のようにも読める。
しかし、実際には行かなかった場所へ行ったことにしたり、当時は存在しなかった娘を登場させたりしている。作者自身、事実そのままの回想録ではなく、小説だと説明している。
では、なぜそう書くのか。
起きた出来事を順番に並べることと、そのときの恐怖、迷い、亡くなった仲間への気持ちを読者へ伝えることは、同じ仕事ではないからだ。オブライエンは、物語を作ることで、戦争のときの自分に近づこうとした。
大岡は他人の証言や記録を集め、オブライエンは架空の場面を作った。方法は違っても、帰還して何十年たっても、戦争について書く仕事は続いた。
そしてバオ・ニンも、戦争が終わってすぐに作家になったわけではない。除隊後に家族との生活を支える仕事をし、三十代になって創作を学ぶ。やがて『戦争の悲しみ』を発表した。
この小説にも元兵士の主人公がいるが、主人公の経験すべてが作者本人の体験ではない。バオ・ニンは後年、その二人をそのまま同一視しないよう語っている。
戦争の記憶を持ち続けることと、ずっと同じ話をしていることも、同じではない。
戦争以外の生活も、その人の人生だった
ここまで戦争について書いた人たちを見てきたが、帰還後の人生が戦争だけでできていたわけではない。
大岡は戦争文学以外にも、戦後の夫婦関係を描く『武蔵野夫人』、中原中也の評伝、裁判を題材にした『事件』などを書いた。学生時代に親しんだ文学や、別の人間の生涯への関心は、戦後も続いていた。
アーネスト・ヘミングウェイは、第一次世界大戦で歩兵として戦った人ではない。1918年に赤十字の救護活動に志願してイタリアへ行き、負傷した。その経験は『武器よさらば』にもつながったが、彼は帰還後、記者や作家として働き、スペイン内戦や第二次世界大戦も取材した。
戦場を知った人が、もう二度と戦争へ近づかないとは限らない。
オブライエンは年を重ね、50代後半で父親になった。息子たちのために書きためた文章を、2019年に『戦争に行った父から、愛する息子たちへ』として刊行した。書く相手は、かつての戦友や不特定の読者だけではなくなった。自分がいなくなったあとに文章を読むかもしれない、二人の子どもになったのである。
戦争について書いた人が、父親になり、家族のために別の本を書く。そのことも帰還後の人生の一部だ。
一度帰っても、もう一度軍服を着ることがある
ウクライナの作家アルテム・チェフは、2007年に作家としてデビューした。その後、2015年から2016年にかけて軍務に就き、経験を記した『ゼロ地点』を刊行する。
軍を離れたあと、彼は作品を書き、妻や息子と暮らした。
しかし2022年、ロシアがウクライナへ全面侵攻すると、チェフは再び軍に入った。仕事場も、家族と過ごせる時間も変わる。
彼は2023年の取材で、焼けた家に残っていた皿を使い続けたことを話している。部隊の生活では、食事の内容も場所も自由に決められない。それでも、どの皿で食べるかは、自分で決められた。その小さな選択が、自分の生活を自分で送っているという感覚につながったという。
2026年の取材では、キーウで自宅に帰れる日もあるが軍務は終わっておらず、再び前線に行く可能性もあると語った。
彼の場合、今はまだ「戦争が終わってから、どんな生活に戻ったか」を結論として書けない。
家へ帰ること、軍服を脱ぐこと、戦争が終わること。これらは同じではない。
第一次世界大戦の兵士から100年以上が経っても、この違いは残っている。
では、普通の生活に戻れるのか
答えは、暮らしを再び始めることはできる。しかし、それが出征前とまったく同じ暮らしになるとは限らない、ということだろう。
これは当たり前すぎる結論である。何も言っていないのと同じかもしれない。でも、一人ひとりの顔を浮かべると上記のようにしか書けないのだ。
帰還後に教師になった人がいる。会社の雑誌を編集した人がいる。国の指導者になった人、家族の生活を支えた人、父親になった人もいる。
戦争を嫌うようになった人もいれば、そう簡単には言い表せない人もいた。記憶を書き残した人と、物語を作った人がいた。自分の見なかった戦場まで調べた人もいた。
だからといって、戦争がすべてを決めたと考えるべきではない。大岡が帰還後も文学を続けたのは、戦争以前から文学に関心を持ち、人とのつながりを築いていたからでもある。誰の人生にも、戦争以外に積み重ねた時間がある。
一方、帰還した人がどう暮らせるかは、本人の努力だけで決まらない。帰る家があるか。仕事があるか。社会がどう迎えるか。戦争が本当に終わっているのか。
その条件は人によって、時代によって違う。
私たちは戦争について、開戦の日や終戦の日を教わる。けれど、その日付のあとにも、一人ひとりの生活は続いていく。
戦争が終わることと、戦争へ行った人の人生が再び始まることは、同じ出来事ではない。
だから「普通の生活に戻れるのか」という問いには、帰ってきたあと、その人がどう生きたかまで見なければ答えられない。
出典と調査
- 兵庫県立美術館・兵庫文学館:大岡昇平の略年譜:召集、1945年の帰還、明石・鎌倉での生活、戦後の著作。
- 日本文学翻訳事業:大岡昇平:ミンドロ島での従軍、レイテ島の捕虜収容所、主要作品。
- 昭和館:『俘虜記』書誌:1948年刊行の記録。
- ドイツ歴史博物館:ユンガー『鋼鉄の嵐』:戦時記録と改稿、作品をめぐる評価。
- ドイツ連邦軍歴史研究機関:ユンガー作品の複数の版:1920年以降の改稿と内容の変化。
- オスナブリュック市:レマルクの生涯:徴兵・負傷・教職・亡命。
- 米国ホロコースト記念博物館:レマルク詳伝:雑誌編集、1929年の作品への攻撃、ナチ政権下の状況。
- 米国国立公文書館:ケネディとPT-109:1943年の救出劇と戦後の政治的評価。
- 米国芸術基金:ティム・オブライエンへのインタビュー:小説中の本人と作者の違い。
- ロサンゼルス・タイムズ:1990年のオブライエンへの取材:小説に登場する架空の娘について。
- ワシントン・ポスト:2023年のバオ・ニンへのインタビュー:終戦後の遺体収容・埋葬、創作活動。
- 1914年の既存テーマ記事:本記事とは別に、戦争へ行くことが社会的に自然な選択になっていった過程を扱う。






