「頭の良さ」って、本当に一つなのか?
数学が得意なことと、言葉に強いことは、同じ「頭の良さ」なのだろうか。
記憶力がいい人もいれば、初めて見る図形の規則をすぐ見抜く人もいる。語彙が豊富な人と、暗算が速い人もいる。私たちはふつう、こうした能力にはそれぞれ違いがあると感じている。
ところが、たくさんの人にいろいろな知的課題をやってもらうと、少し不思議な傾向が現れる。
ある種類の課題で成績が高い人は、別の種類の課題でも、平均すると比較的高い成績を取りやすい。
もちろん、誰もが何でも得意になるわけではない。それでも、語彙、計算、記憶、推理、図形といった別々の課題の成績は、完全にばらばらにはならない。
では、その奥には何があるのか。
人間には、さまざまな知的能力に共通する一つの「頭の良さ」があるのか。それとも、知能はいくつもの能力の集まりなのか。
この問いを100年以上前に統計から考え始めたのが、チャールズ・スピアマンだった。
スピアマンは、共通する「何か」を見つけた
スピアマンは、もともと心理学者として一直線に育った人ではない。約15年の軍歴を経て、30代半ばから心理学へ転じた。
1900年代初め、彼は子どもたちのさまざまな測定結果を比べていた。そこで注目したのが、異なる課題の成績に見られる正の相関だった。
そこでスピアマンは、個々の課題に固有の能力とは別に、多くの知的課題へ共通して関わる因子があると考えた。これが一般知能因子g、いわゆる「g因子」である。
ここで誤解しやすいことがある。
スピアマンが、脳の中から「g」という部品を見つけたわけではない。
gは、複数のテスト結果が一緒に高くなったり低くなったりする傾向を説明するために、データの相関から推定される共通因子である。「いろいろな課題に共通する成分があるように見える。では、その共通部分をどう考えるか」というモデルだった。
この発想によって、「頭の良さ」という曖昧な言葉を、複数の測定結果の関係として検討できるようになった。
けれど、ここで話は終わらなかった。
サーストンは、「一つの数字では足りない」と考えた
スピアマンの後に登場したルイス・レオン・サーストンは、同じ因子分析を使いながら、別の方向を見た。
彼が気になったのは、「共通するもの」だけを取り出すと、人によって違う能力の形が見えにくくなることだった。
1938年、サーストンは多数の知能テストを分析し、言語理解、語の流暢さ、数、空間、連合記憶、知覚速度、推理など、いくつかの基本的な能力を区別した。
たとえば、同じような総合得点を持つ二人でも、一人は言葉に強く、もう一人は空間や数に強いかもしれない。
一つのIQだけを見るより、複数の能力を並べた方が、その人の知的な特徴をよく表せるのではないか。
サーストンの問題提起は、単純に「gは存在しない」というものでもなかった。複数の能力同士に相関があるなら、そのさらに上位に共通する因子が現れる可能性も認めていた。
争点は、「一つか、複数か」という二択から少しずつ変わっていく。
人間の知能には共通性がある。しかし、その共通性だけで全部を説明してよいのだろうか。
キャッテルは、能力によって「性質が違う」と考えた
次に問いを進めた一人が、レイモンド・B・キャッテルである。
キャッテルは、知能を一枚岩として見るのではなく、少なくとも性質の違う大きな能力を区別した。
代表的なのが、流動性知能と結晶性知能である。
流動性知能は、これまで覚えた知識だけに頼らず、新しい問題の関係を見抜き、推論する力。結晶性知能は、教育や経験を通じて身につけた語彙や知識を使う力である。
この区別は、単に能力へ新しい名前を付けただけではなかった。
人の知的能力を考えるとき、「全部を一つの点数へまとめる」以外の見方ができるようになる。しかも、能力の種類が違えば、人生の中で変化する仕方も同じとは限らない。
この点をさらに追ったのが、キャッテルのもとで研究したジョン・L・ホーンだった。
ホーンは、知能が「違う時間を生きる」ことを見た
ホーンの経歴は、典型的な研究者のものではない。高校を中退して軍務を経験し、高校卒業程度認定資格(GED)を取って大学へ戻った。その後、オーストラリアでキャッテルと出会い、知能研究へ入っていく。
ホーンが重視したのは、複数の知的能力が同じようには変化しないことだった。
新しい問題へ対応する力と、長年かけて蓄積した語彙や知識とでは、年齢との関係が違う。さらに研究を進めると、視覚処理、記憶、処理速度など、流動性知能と結晶性知能だけではまとめきれない広い能力も見えてくる。
もし知能が本当に一個の能力だけなら、なぜ能力ごとにこれほど違う動きをするのか。
ホーンは、すべての能力の頂点に単一のgを置く説明に慎重だった。一方で、能力を好きなだけ細かく分ければよいとも考えなかった。
データから、本当に区別できる能力は何なのか。
「一つか、たくさんか」ではなく、どんなまとまり方をしているのかが問題になっていった。
キャロルは、「一つか複数か」を三階建てにした
この長い論争を、大量の過去データから整理し直したのがジョン・B・キャロルである。
キャロルは、若い頃にサーストンの講演を聞いたことをきっかけに心理測定へ進んだ。その後、言語能力や外国語学習の研究などを経て、晩年に知能研究の膨大な蓄積へ戻ってくる。
1993年の『人間の認知能力(Human Cognitive Abilities)』では、70年以上にわたる因子分析研究から460を超えるデータセットを集め、再分析した。
そこで提示したのが、三層理論である。
一番下には、特定の課題に近い狭い能力がある。
その上には、流動性知能、結晶性知能、記憶、視覚処理、聴覚処理、処理速度など、より広い能力がある。
そして最上位には、多くの知的課題へ共通する一般的な因子がある。
ここまで来ると、最初の問いそのものが変わる。
「知能は一つなのか、複数なのか」と二者択一で考える必要がなくなる。
細かく見れば、違う能力がある。少し上から見れば、それらはいくつかの広い能力へまとまる。さらに上から見ると、多くの能力に共通する傾向も現れる。
一つでもあり、複数でもある。
違うのは、どの階層を見ているかである。
では、IQは何を測っているのか
ここで、日常的によく使われる「IQ」に戻ってみよう。
IQとg因子は、同じものではない。
IQは、知能検査の結果を一定の基準に沿って数値化した得点である。一方のgは、複数の認知課題の成績に共通して現れる傾向を説明するための因子である。
実際の知能検査は一種類ではなく、含まれる課題や得点のまとめ方も異なる。それでも、多様な認知課題を組み合わせた検査では、それらに共通する一般的な能力の影響が総合得点へ強く表れることがある。同時に、言語、記憶、処理速度など、より個別の能力を見る指標もある。
だから、「IQ=その人の頭の良さ全部」と考えるのは広すぎる。
しかし、「IQは何も意味しない」と考えるのも違う。
一つの総合得点には、多くの知的課題に共通する部分がかなり含まれる。ただし、その数字だけでは、その人がどんな能力に強く、どこで違う特徴を持つのかまでは分からない。
スピアマンが見つけようとした共通性と、サーストン以後の研究者が見ようとした違い。その両方を見る必要がある。
100年かけて、問いの形が変わった
知能研究の歴史を振り返ると、誰か一人が「正解」を見つけて終わったわけではない。
スピアマンは、異なる課題に共通するものを見つけた。
サーストンは、一つの数字の中に隠れる能力の違いを見ようとした。
キャッテルとホーンは、広い能力を分け、それぞれが違う性質や時間的変化を持つことを追った。
キャロルは、それまで対立して見えた考えを、階層として整理し直した。
現在の知能研究でも、能力をいくつに分けるべきか、一般因子をどう解釈するかについて議論がなくなったわけではない。ただ、「頭の良さは一つか複数か」という問いを、単純な二択のまま扱うことは難しくなった。
私たちが一言で「頭がいい」と呼んでいるものには、共通する部分もあれば、かなり違う能力も含まれている。
一つの数字を見るか。
その中にある違いを見るか。
知能研究の100年以上は、その二つの視点を行き来しながら、「人の能力を測る」とはどういうことなのかを考えてきた歴史でもある。




