一人の人生を読む
スキナーのネズミではなく、人間の違いを測りたかった
1940年、ミネソタ大学で心理学を学んでいた24歳のジョン・B・キャロル(John B. Carroll)は、一つの講演を聞いた。
話していたのは、シカゴ大学の心理学者L・L・サーストンだった。
当時キャロルは、B・F・スキナーのもとで大学院生活を始めていた。スキナーは、ネズミやハトといった一個体の行動を精密に観察する実験を進めていた。だが、キャロルが知りたかったこととは、少し方向が違った。
彼が惹かれたのは、サーストンが扱っていた心理測定だった。多くの人に、多くのテストを行い、その得点の関係から、人間の能力の違いを探る。
サーストンの講演を聞いたあと、キャロルはこの方法の方が自分の関心に合っていると考えた。そこで意外なことが起きる。スキナーは弟子を引き止めるのではなく、キャロルがサーストンのもとで研究できるよう手配した。
その夏、キャロルはシカゴ大学へ行き、サーストンらと心理測定の研究に取り組んだ。
研究者としての進路が変わった瞬間だった。
もともとは、言葉に夢中な少年だった
キャロルは1916年、コネチカット州ハートフォードに生まれた。
幼い頃から興味の幅が広かった。小学校に入る前に文字を読み、3歳からピアノを弾いた。絶対音感があり、音を聞くと色を感じる共感覚もあったという。父は職業的なテノール歌手で、キャロル自身も17歳までにアメリカ・オルガニスト協会への入会資格を得ていた。
しかし、音楽以上に長く彼を引きつけたものがある。言葉だった。
ラテン語とギリシャ語を学び、フランス語やドイツ語を読み、趣味としてサンスクリット語やアルメニア語の文法書まで眺めていた。
13歳のとき、キャロルは言語学者ベンジャミン・リー・ウォーフの講演を聞いた。アステカやマヤの人々と言語についての話だった。講演後、もっと知りたいとウォーフに話しかけたことから交流が始まり、その後、二人は長く言語や翻訳についてやり取りするようになる。
キャロルはのちに、ウォーフの主要な論文をまとめた『言語・思考・現実(Language, Thought, and Reality)』を編集している。
1937年、21歳でウェズリアン大学の古典学科を最高位の成績で卒業した。卒業後も本来の関心は言語学にあった。しかし、外国語を「学べる人」と「学びにくい人」の違いをどう調べるのかという問いから、心理学にも関心を持ち始める。
言葉そのものから、言葉を学ぶ人間の能力へ。ここで心理測定につながる入口ができた。
言葉を「測る」ために心理学へ
ミネソタ大学で心理学を学び始めたキャロルがサーストンへ惹かれたのも、偶然ではなかった。
外国語を学ぶ能力を研究しようとすれば、「語学が得意」という一言では足りない。語彙を覚える力、音を聞き分ける力、文法規則を見つける力など、複数の能力が関係しているかもしれない。
では、それらをどう分けて測るのか。
サーストンが使っていた因子分析は、多数のテスト得点の相関から、その背後にどんな能力があるのかを探る方法だった。キャロルは1940年のシカゴ滞在後、この方法を自分の研究へ取り入れていく。
最初の大きな成果が、1941年に『サイコメトリカ(Psychometrika)』へ発表した「言語能力の因子分析(A Factor Analysis of Verbal Abilities)」だった。博士研究をもとに、言語能力を一つのまとまりとせず、その内部構造を因子分析で調べた研究である。
キャロルはその後も、心理測定だけに閉じこもらなかった。心理学と言語学を結ぶ心理言語学の成立に関わり、外国語能力や外国語学習適性の研究を進めた。
1951年にはコーネル大学で、心理学者と言語学者が集まる社会科学研究評議会の夏季会合を主宰している。この頃、「心理言語学(psycholinguistics)」という分野そのものが形を取り始めていた。
サーストンから受け取った問い
キャロルが心理測定へ入った頃、知能研究にはすでに大きな対立があった。
チャールズ・スピアマン(Charles Spearman)は、さまざまな知的課題に共通する一般知能因子gを重視した。
一方、サーストンは、一つの総合的な知能だけを見るより、言語理解、数、空間、推理など複数の基本能力を区別した方がよいと考えた。
さらにJ・P・ギルフォード(J. P. Guilford)は、知能を100を超える多数の能力へ細かく分ける理論を提示した。
一つなのか。
七つなのか。
それとも100以上あるのか。
キャロルは、この問いを若い頃から知っていた。だが、誰か一人の理論を選んで終わらせようとはしなかった。
彼がしたことは、はるかに地味で、大きかった。
過去の研究を集め直したのである。
460を超える研究を、もう一度計算する
キャロルは長い研究生活の中で、知能や認知能力について行われた因子分析のデータを集め続けた。
1974年にはノースカロライナ大学チャペルヒル校へ移り、かつて自分の進路を変えたサーストンの名を冠したL・L・サーストン心理測定研究所(L. L. Thurstone Psychometric Laboratory)の所長となった。
そこへ移るとき、大学は彼の膨大な蔵書のために大きな部屋を用意する必要があったという。コンピュータで文献管理ができる時代になる前から、キャロルは独自の細かな相互参照の仕組みで、研究と資料を整理していた。
その蓄積が、70代になって一冊の本になる。
1993年、『人間の認知能力(Human Cognitive Abilities)』を刊行した。
800ページを超える本のために、キャロルは70年以上にわたって蓄積された知能研究を調べ、460を超えるデータセットを自分で再分析した。
スピアマンの研究だけでもない。サーストンだけでも、キャッテルだけでもない。異なる研究者が、異なる時代に、異なるテストで集めたデータを、できる限り同じ土俵で見直した。
理論を先に決め、その理論に都合のよい研究を集めるのとは逆だった。
答えは「三階建て」だった
キャロルが膨大な分析から提示したのが、三層理論(three-stratum theory)である。
考え方は、意外なほど単純だった。
一番下の第1層には、特定の課題に関わる比較的狭い能力がある。
その上の第2層には、流動性知能、結晶性知能、記憶・学習、視覚処理、聴覚処理、処理速度など、より広い能力がある。
そして最も上の第3層には、多くの知的課題に共通する非常に一般的な能力、つまりgに近い因子が置かれる。
ここで、「知能は一つか、複数か」という問いの形が変わる。
一つでもあり、複数でもある。見る階層が違う。
細かな能力は確かに区別できる。それらはいくつかの広い能力としてまとまり、さらに上を見ると、多くの能力に共通する傾向も見えてくる。
スピアマンを全部捨てる必要もなければ、サーストンやキャッテルの複数能力を捨てる必要もない。キャロルは、それまで別々に見えていた知能理論を、階層として並べ直した。
「新しい理論を思いつく」より、積み重ね直す
キャロルの仕事が面白いのは、まったく新しい言葉を発明して知能研究を塗り替えたからではない。
むしろ逆である。
スピアマン、サーストン、キャッテル、ギルフォード。その前にあった研究を大量に読み、データを集め、もう一度分析し直し、「これまでの研究はどこまで同じことを言っていて、どこで違っているのか」を整理した。
科学は、ときどき一人の天才が古い理論を壊して進歩するように語られる。しかしキャロルの代表作は、過去の研究を捨てずに積み重ね直すことでも、大きな前進が起こることを示している。
彼の経歴そのものも、分野をまたいでいた。言語学に憧れ、心理学へ進み、心理言語学を育て、外国語能力を測り、最後には人間の認知能力全体を整理した。
一つの専門だけを掘ったというより、長い時間をかけて別々の研究を接続し続けた人だった。
妻を支え、アラスカへ移った晩年
キャロルは1941年、最初の勤務先だったマウント・ホリヨーク大学で知り合ったメアリー・エリザベス・サールと結婚した。
メアリーは長年、原稿を編集し、表や参考文献を確認するなど、キャロルの研究生活を支えた。晩年に彼女の健康が悪化すると、今度はキャロルが約5年間、主な介護者となった。二人の結婚生活は、メアリーが2001年に亡くなるまで60年続いた。
その後キャロルは、娘夫婦の暮らすアラスカ州フェアバンクスへ移った。87歳になっても研究への関心を保ち、地域活動にも参加した。
2003年7月1日、フェアバンクスで死去した。
若い頃、キャロルはサーストンの講演を聞いて、「多くの人間を、多くのテストで調べる」心理測定へ進んだ。それから半世紀以上が過ぎた1993年、彼がたどり着いたのは、一人の理論家の答えではなかった。
460を超える研究を積み直した先に、人間の知能は、狭い能力、広い能力、そして共通する能力が重なった構造として見えてきた。
「頭の良さは一つなのか」。
キャロルの答えは、その問いを二択のままにしないことだった。




