一人の人生を読む
指揮者になりたかった少年
アーサー・ロバート・ジェンセンは1923年、カリフォルニア州サンディエゴに生まれた。父は木材・建材店を営んでいた。
少年時代の彼が強く惹かれていたのは、心理学よりもクラシック音楽だった。クラリネットを演奏し、指揮者になることを夢見た。のちに本人が語ったところでは、高校時代に叔母から知能についての本をもらったことも、知能研究への関心の一つのきっかけになったという。
1945年、カリフォルニア大学バークレー校で心理学の学士号を取得する。その後サンディエゴ州立大学を経てコロンビア大学へ進み、1956年に心理学の博士号を取得した。博士論文の主題は、後年の彼を有名にするIQではなく、投影法による攻撃性の予測だった。
ロンドンで「個人差」を研究する
博士号取得後、ジェンセンはロンドン大学の精神医学研究所へ移り、心理学者ハンス・アイゼンクの研究室で2年間を過ごした。
そこで彼が接したのは、フランシス・ゴルトン、カール・ピアソン、チャールズ・スピアマンへ続く心理測定と個人差研究の伝統だった。とりわけ、多様な認知課題の成績に共通して現れる一般因子をスピアマンが「g」と呼んだ考えは、その後のジェンセンの研究を長く方向づけることになる。
1958年、35歳でバークレー校へ戻り、教育心理学の教員となった。当初の研究では、文化的に不利な環境に置かれた子どもたちの学習や、学習能力の個人差を扱っていた。
教育で、どこまで変えられるのか
1960年代のアメリカでは、貧困や人種的不平等を教育によって改善しようとする政策が大きく進んだ。ジェンセンもまた、学習の個人差をどう理解すれば教育を改善できるのかという問題の中にいた。
1966年から67年にかけて、彼はパロアルトのCenter for Advanced Study in the Behavioral Sciencesで研究する。そこで行動遺伝学の文献と研究者に接し、知能の個人差に遺伝がどの程度関わるのかという問いへ傾いていった。
1969年、45歳のジェンセンはHarvard Educational Reviewに長大な論文「How Much Can We Boost IQ and Scholastic Achievement?」を発表した。冒頭で補償教育の成果に疑問を呈し、IQの個人差には強い遺伝的影響があると論じた。さらに、アメリカの黒人と白人の平均IQ得点差について、環境だけでなく遺伝的要因も関与している可能性を示した。
この最後の論点が、彼の研究人生を決定的に変えた。
1969年、論文が研究室の外へ出る
論文は学術誌の中だけに留まらなかった。新聞や雑誌が大きく報じ、バークレーでは抗議が続いた。ジェンセンの授業は妨害を避けるため教室を変え、大学は私服の警護員をつけた。郵便物を爆発物処理班が調べる時期もあったと、ジェンセンは後年の研究者インタビューで振り返っている。
ここで重要なのは、批判の大きさだけではない。個人内・個人間のIQ差に遺伝が関わることと、社会的に定義された人種集団の平均得点差の原因を遺伝で説明することは、同じ問題ではない。集団差には教育、所得、健康、差別、歴史的条件など多くの環境要因が重なり、個人差の「遺伝率」から集団差の原因をそのまま導くことはできない。
ジェンセンはその後も遺伝的説明を重視し続けたが、この点をめぐる議論は決着した一枚岩の知見ではない。IQ得点そのものも時代や環境によって変化しうることが、その後の研究から示されてきた。
測定の問題へ戻る
激しい論争の後も、ジェンセンはバークレーで研究を続けた。彼が取り組んだ重要な問題の一つが、「知能検査そのものに文化的な偏りがあるのではないか」という批判だった。
1980年の『Bias in Mental Testing』は約800ページに及び、標準化された知能・学力検査の統計的バイアスを大量の研究から検討した。結論には批判も続いたが、テストの公平性を印象ではなく、予測妥当性や測定特性から検討する仕事は心理測定学に大きな論点を残した。
彼はまた、単に紙のテストを繰り返すだけでなく、反応時間のような比較的単純な課題と心理測定上のgとの関係も研究した。
1977年、講演会場から地下へ
論争は長く続いた。ジェンセンが2006年のインタビューで振り返った出来事の一つに、1977年のオーストラリア講演がある。
メルボルン大学で知能と学習について話そうとしたところ、抗議者の騒音で講演が続けられなくなった。主催者は休憩を告げ、ジェンセンを地下のスタジオへ移し、カメラを通じて会場へ講演を送ろうとした。しかし抗議者が地下にも入り、警察が呼ばれた。最終的に彼は警官に囲まれてホテルへ戻ったという。
これは彼の主張が正しかったことを示す話でも、批判が間違っていたことを示す話でもない。ただ、一つの研究テーマが学会の議論を越え、研究者の身体的安全まで左右する政治的争点になっていたことをよく示している。
「g」を最後まで追う
1994年にバークレーを退職した後も、ジェンセンは研究と執筆を続けた。1998年には『The g Factor: The Science of Mental Ability』を刊行し、一般知能因子gを心理測定、遺伝、生理学などから総合的に論じた。
知能検査の得点同士が正に相関し、そこから一般因子を抽出できるという事実は、現代の知能研究でも重要な出発点である。一方、その因子が何を意味するのか、どのような生物学的・環境的過程から生じるのか、そして集団間の差をどう解釈するかは別の問いである。
ジェンセンの仕事には、この二つが同居している。心理測定学と個人差研究への大きな貢献。そして、人種集団間の知能差を遺伝的に説明しようとした、現在も強い批判と検討の対象である主張である。
2012年10月22日、ジェンセンはカリフォルニア州ケルジービルの自宅で89歳で亡くなった。
一人の研究者を理解することは、その人を英雄か悪役のどちらかに決めることではない。ジェンセンの場合、とりわけ必要なのは、何を測定によって明らかにしたのか、どこから先が解釈だったのか、そしてその解釈が社会の歴史とどう衝突したのかを分けて見ることだろう。
参考資料
- University of California Academic Senate, “Arthur R. Jensen, Professor of Education, Emeritus, UC Berkeley, 1923–2012.”
- John C. Loehlin, “Arthur R. Jensen, 1923–2012,” Twin Research and Human Genetics, 2013.
- Daniel H. Robinson & Howard Wainer, “Profiles in Research: Arthur Jensen,” Journal of Educational and Behavioral Statistics, 2006.
- Arthur R. Jensen, “How Much Can We Boost IQ and Scholastic Achievement?”, Harvard Educational Review, 1969.
- Arthur R. Jensen, Bias in Mental Testing, Free Press, 1980.
- Arthur R. Jensen, The g Factor: The Science of Mental Ability, Praeger, 1998.




