恋愛の近代史・後編 / 1970年代から2025年へ

好きな相手を自分で選ぶ自由が広がった日本で、なぜ今、恋愛や結婚を望まない人が増えているのか。田中美津、伊藤公雄、上野千鶴子、山田昌弘の生き方と調査を通じ、夫・妻・稼ぎ手・家庭という人生の標準が変わるまでをたどる。

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「恋人はいないけれど、欲しいとも思わない」。

こんな言葉を聞いたとき、何を感じるだろう。いつかは好きな人が現れるはずだ、と言いたくなるかもしれない。何か事情があるのだろうか、と考えるかもしれない。あるいは、別に珍しくもないと思うだろうか。

国立社会保障・人口問題研究所が2025年に実施した調査では、18〜34歳の未婚者のうち、「とくに異性との交際を望んでいない」と答えた人が男性35.7%、女性35.3%いた。およそ三人に一人である。

もちろん、これは「日本人の三人に一人が恋愛を否定している」という意味ではない。異性との交際について尋ねた調査であり、人生のどの時期にも恋愛を望まないか、同性愛を含む恋愛をどう考えるか、まで測った数字でもない。

それでも、これを単なる若者の気まぐれと片づけてよいのだろうか。

かつて日本では、親や家の事情ではなく、好きな相手を自分で選ぶことが自由の象徴になった。1960年代後半には、結婚した夫婦のうち恋愛結婚が見合い結婚を上回る。長い時間をかけて、「愛情によって相手を選ぶ」理想が多数派になったのである。

その理想が普通になったあと、何が起きたのか。

この問いを、女性だけの解放史にも、男性だけの経済問題にもせず、四人の人物の人生と研究から考えてみたい。

恋愛結婚が勝った。それでも、女性は自由だったのか

1970年、東京で一枚のビラが配られた。題名は「便所からの解放」。

書いた田中美津は、1943年生まれ。ベトナム反戦運動などに関わるなかで、社会を変えようと語る男性たちの集まりでも、女性には女性の仕事や振る舞いが期待されることに不満を深めていた。

田中が拒んだのは、女性は慈しむ母であるか、男性の性的な欲望を受け止める存在であるか、そのどちらかでしか見られないことだった。

ちょうど、恋愛結婚が社会の標準になりつつあった時期である。

相手を自分で選べる。それは確かに、それ以前には手に入れにくかった自由だった。しかし、選んだ先にある結婚生活で、妻や母の役割まで自動的に決まってしまうのなら、どこまでが「自分で選んだ人生」なのか。

田中たちのウーマン・リブは、単に結婚に反対した運動ではない。自分の欲望も嫌悪も矛盾も、誰かに決められた「よい女」の姿に押し込めないで生きられるかを問う運動だった。

1972年、田中は『いのちの女たちへ とり乱しウーマン・リブ論』を刊行する。「とり乱す」という言葉は、相反する気持ちを整った一つの正しさに直さないという姿勢でもあった。

田中自身も、自由を口で説くだけの人ではなかった。

1975年にメキシコへ渡り、結婚せずに子どもを産んだ。日本に帰ってからは鍼灸師となり、1982年に治療院を開いた。運動の中心にいたころ、大勢が自分の言葉を待つ関係に息苦しさを感じていた彼女にとって、患者と一対一で向き合う仕事は、別の人間関係の形だった。

しかし、息子を育てると、自分もまた「子どものため」と思って相手の人生を決めたくなることに気づいたという。

誰かから役割を押しつけられない自由と、誰かの生き方を押しつけずに暮らすこと。田中の人生には、その二つの難しさが並んでいた。

恋愛する相手を自由に選ぶことだけでは、自由の話は終わらなかったのである。

「稼げる男」は、本当に自由に恋愛できたのか

では、同じ時代の男性にとってはどうだったのだろう。

戦後日本で標準になった結婚像には、もう一つの約束があった。男性は安定した収入を得て、夫・父として家族を支える。女性は家庭を担う。高度経済成長期の会社員家庭のイメージとして、多くの人に共有された形である。

そこでは、男性も自由に恋愛相手を選べる。しかし、その相手と生活するには「家族を養える男」であることが期待される。自分で相手を選ぶ自由と、一人前の男にならなければならないという圧力が同居していた。

この問題に男性の側から目を向けたのが、社会学者の伊藤公雄だった。

伊藤が男性を研究するようになった出発点の一つは、1970年代の京都大学にある。女子学生の卒業論文や進学をめぐる差別への抗議に、学部自治会の担当者として関わった。女性の側から社会を問い直す声に接したのである。

伊藤はその後、イタリアの文学や政治文化を研究し、男らしさが時代や社会の中で形づくられていくことを考えた。

1988年には『これからの男の自立』を刊行する。男性の「自立」がわざわざ本の題名になる。それは、男性がすでに何からも自由な存在だったわけではないことを示している。

1991年、大阪で五人の世話人によって「メンズリブ研究会」が始まった。伊藤もその一人だった。

ここでは男性同士が、自分の経験を語り合った。仕事で疲れ果てても弱音を吐けない。家事や育児を自分の仕事として引き受けることに戸惑う。強く、稼ぎ、家族を守る男でいなければならない。そんな圧力を、人の生まれつきの性質ではなく、社会が期待している役割として見直そうとした。

この活動は、男性だけを被害者と呼ぶためのものではなかった。男性が持つ権限や、女性が引き受けさせられてきた負担も同時に問題になる。男性の苦しさを論じることが、女性への不平等を消してしまってはならないからだ。

ここで見えてくるのは、恋愛結婚を支える見えにくい条件である。

愛し合っていれば結婚できるはずだと言いながら、結婚には収入や働き方への期待がついて回る。恋愛が自由になっても、夫と妻に求められる人生は、まだ対等ではなかった。

結婚と家族が、「自然な人生」でなくなっていく

1980年代から1990年代にかけて、結婚や家庭を別の角度から問い直した人がいる。上野千鶴子だ。

上野は1948年、富山の医師の家庭に生まれた。後年の回想では、家の中で父親が強い権限を持ち、母親が家事を引き受け、兄や弟と自分では期待されることが違ったと語っている。

大学の学生運動を経験した上野は、京都の女性学研究会で、女性たちが自分たちの生活を研究の題材にする場に出会った。

会社で働けば賃金が支払われる。しかし、食事を作り、洗濯をし、子どもや高齢者の世話をする仕事には、家庭の中では賃金がつかないことが多かった。その仕事を誰がしているのか。

1990年、上野は『家父長制と資本制』を刊行し、家庭内の無償労働と社会の仕組みを結びつけて論じた。1994年の『近代家族の成立と終焉』では、私たちが自然な家族の姿だと思っているものが、歴史の中でできあがった形であることを問うた。

2014年、東京大学でマイクを持って講演する上野千鶴子
2014年の上野千鶴子。Whym / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0。

そもそも「家庭は愛し合う男女と子どもがつくる場所だ」という前提を外してみたら、どうなるだろう。

結婚していても孤独な人はいる。一人暮らしでも友人や地域のつながりに支えられる人はいる。血縁だけではできないケアもあれば、家族だからといって引き受けきれない世話もある。

上野は2007年に『おひとりさまの老後』を刊行する。一人で年を取るときの住まい、金銭、介護、周囲との関係を考える本だった。未婚者だけでなく既婚女性にも読まれたと、上野は後年振り返っている。

彼女自身も晩年の歴史家・色川大吉の在宅生活を支えることになり、家族ではない人の暮らしをどう支えるかという問いに具体的に向き合った。

ここで起きているのは、「一人の方が幸せだ」という単純な価値観の逆転ではない。

恋愛して結婚すれば、住まいも生活も老後も一つの家庭の中で完結する。その想定が、現実を説明しきれなくなっていたのである。

結婚したいのに、結婚へ進めない人たち

だが、話は思想や価値観が変わったことだけでは終わらない。

1991年、家族社会学者の山田昌弘は、成人した未婚の子と親がどう暮らしているかを共同調査した。

調査地の東京・府中市と長野・松本市で目についたのは、成人しても親と同じ家で暮らす若者たちだった。山田自身は早く親元を出た経験があり、これほど同居しているとは思っていなかったと振り返る。

働いて得た収入を自分の買い物や娯楽に使い、住まいと食事は親に支えられる。その生活をどう理解するか。

山田は1997年、新聞で「パラサイト・シングル」という言葉を使い、1999年に同名の本を出した。「親に寄生する」という強い響きの名前は広く知られるようになった。

しかし、社会の現実はすぐにその言葉からはみ出し始める。

1990年代後半から2000年代、若者の雇用の不安定さが目立つようになった。親と暮らす理由も変わる。自分の給料を自由に使いたいから同居する人だけではなく、家を出たくても、独立した家賃や生活費を払える収入がない人がいる。

山田は2020年の論文で、自分が1999年に立てた予測の誤りを認めている。同じ親との同居でも、豊かな生活と、困窮して生活を支え合うことでは意味が違う。

この修正は重要だ。

結婚しないという結果から、その人が結婚したくないのだと決めることはできない。結婚を望むことと、結婚できる条件を持つことは別だからである。

恋愛して相手を選ぶことが普通になった社会でも、家族を持つための収入、働き方、住まいの見通しがなければ、結婚へは進みにくい。しかも、夫は稼ぎ手であるべきだという期待だけが残れば、男性にとっての負担はさらに重くなる。

もちろん、未婚化のすべてを不景気だけで説明できるわけではない。家族への期待、出会いの環境、働き方、本人の希望は人によって違う。だからこそ、恋愛への関心が弱まったという一つの言葉で説明を終えることもできない。

「婚活」という言葉が生まれた社会

2007年、ジャーナリストの白河桃子が山田に「結婚活動」について取材した。

就職活動を「就活」と呼ぶなら、結婚活動は「結活」になる。だが、それでは語呂が悪い。そうして生まれたのが「婚活」という言葉だった、と山田は振り返っている。

2008年、二人は『「婚活」時代』を刊行した。

この言葉が面白いのは、恋愛結婚が広く行われるようになった社会で、結婚が今度は自分から探し、行動しなければ実現しにくいものとして現れたことだ。

見合いから恋愛への変化は、結婚相手を誰かに決められない自由を広げた。けれど、相手を決めてもらわなければ、出会うことも、自分で選ぶことも、自分たちで引き受けなければならない。

さらに、職場や周囲の人間関係を通じて結婚相手と出会う機会も変わっていく。

結婚の「自由」は、いつのまにか結婚相手を見つける「活動」の必要にもなった。

ただし、婚活が広まったことを、そのまま恋愛の敗北とは呼べないだろう。結婚したい人が、出会いの手段を増やしているとも読める。選択肢が増えることと、選ぶ負担が増すこと。その両方が、同じ社会で起きている。

2025年、恋愛を望まない人が三人に一人

では、その先にある現在は、どうなっているのか。

国立社会保障・人口問題研究所の「第17回出生動向基本調査」は、2025年6月に実施され、2026年9月に結果が公表された。

18〜34歳の未婚者について、次の数字が報告されている。

2025年の出生動向基本調査。18〜34歳の未婚者では、異性との交際を望まない人が男性35.7%、女性35.3%。恋人または婚約者がいる人は男性19.6%、女性27.8%
国立社会保障・人口問題研究所「第17回出生動向基本調査」(2025年実施・2026年公表)から作図。いずれも18〜34歳の未婚者。調査の概要・出典。異性との交際希望・交際状況についての回答であり、すべての恋愛関係を測ったものではない。

恋人または婚約者がいる人は、男性19.6%、女性27.8%。「いずれ結婚するつもり」という人も、男性75.1%、女性77.8%へ減った。

一方で、同じ調査の夫婦調査では、2020〜2024年に結婚した初婚どうしの夫婦のうち、アプリなどインターネットを通じて知り合った割合が20.2%だった。

ここが大切だ。

恋愛を望まない人が目立つ一方、相手を探し、出会い、結婚する人もいる。「愛情を感じる人と暮らせること」を結婚の利点に挙げる割合は、むしろ前回より増えている。

恋愛が社会から消えている、とは言えない。恋愛と結婚を人生にどう位置づけるかが、一つではなくなっている。

また、数字は個人の気持ちの理由までは教えてくれない。誰かと付き合いたいが、生活に余裕がなくて今は望まない人もいるかもしれない。恋愛とは別の関係を大切にしたい人もいる。いま交際を望まないと答えても、後に考えが変わる可能性もある。

そもそもこの調査は「異性との交際」を尋ねたものだ。同性愛、両性愛、アセクシュアルなど、異性との交際希望だけでは見えない経験を、一つの数字に押し込めることはできない。

「三人に一人」という数字は、単純な答えではなく、社会が何を当然としてきたのかを考え直す入口なのである。

恋愛が不要になったのではない。「人生の入口」が一つではなくなった

恋愛、結婚、家庭へ進む生き方のほか、仕事、友人、地域、単身生活など複数の関係と生活を組み合わせる人生の経路を並べた概念図
一つの順路から、複数の経路へ。歴史の正確な因果を示す図ではなく、本文で扱った人生の選択肢を整理した概念図。

田中美津は、自分の身体や子を産むかどうかを、他人に決められたくなかった。伊藤公雄は、強く稼ぐ男でなければならないという期待そのものを問うた。上野千鶴子は、愛情に満ちた夫婦と子どものいる家庭だけを「自然な家族」と考える見方を問い直した。山田昌弘は、結婚したいという希望があっても、その希望を実現する条件が変わっていく現実を調べた。

四人の議論は一致しない。

田中の問いは、一人の女がどう生きるかという切実な経験から出発した。伊藤は男らしさが作る苦しさと権力を見た。上野は家族の中に見えにくかった労働やケアを見つけた。山田は調査結果に自分の見立てを修正させられた。

そして誰も、「だから人は恋愛しなくてよい」とだけ言っていたわけではない。

むしろ彼らが示したのは、恋愛する・結婚する・家族をつくるという行為のそれぞれに、本人の希望と、その希望を支える社会の条件があることだった。

かつて、親や家の事情から離れて、自分で選んだ相手と家庭をつくることは大きな自由だった。けれど、その自由が「誰もがそうするべき人生」として定着すれば、そこから外れる人は、いつまでも人生を始めていないかのように扱われてしまう。

就職し、恋愛し、結婚し、子どもを育てる。順番どおりに進めば一人前。そうではなければ、まだ途中。

いま、その順番を唯一のものとして考えることが難しくなっている。

恋愛のある人生もある。恋愛を望んでも結婚しない人生もある。そもそも恋愛を中心に置かず、仕事や友人や地域のつながりを大切にする人生もある。結婚した後で一人に戻る人もいる。

それをすべて、恋愛離れという一語でまとめることはできない。

終わりつつあるのは、恋愛ではない。恋愛をして、結婚して、家庭をつくってはじめて「自分の人生が始まる」という、一本の順路を誰にでも当てはめられた時代なのかもしれない。

ただし、選べる生き方が増えたことと、誰もが望む生き方を実現できることも同じではない。生活費が足りないから一人でいる人と、一人の暮らしを自分で選んだ人とでは事情が違う。恋愛に縛られない自由を語るなら、恋愛したい人がそれを実現できる条件も、同じように考えなければならない。

かつて恋愛は、家に決められた人生から抜け出すための言葉だった。

その恋愛までが、人に決められた人生の条件になったとき、次の自由が問われるようになったのである。

出典と調査

02 / 人物

この問いを受け渡した人物

理論だけではなく、その問いを引き受けた人の生涯へ。

03 / さらに読む

このテーマをもう少し読む

人物の流れをつかんだあとに、この問いをもう少し深くたどりたい人へ。

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