一人の人生を読む
「男らしさ」は、なくしたほうがいいのか
2026年、京都産業大学の教室で、伊藤公雄は学生たちに男性学とジェンダー平等の話をしていた。
講義のあと、学生から質問が出た。男性学が目指すのは、男らしさをなくすことなのか。それとも、それにとらわれない社会をつくることなのか。
大学が公開した学生の講義報告によれば、伊藤が重視したのは後者だった。ある一つの「男らしさ」を全員に求めるのではなく、固定的な男性像にとらわれずに生きられる社会を目指すという答えである。学生は、伊藤が長く研究してきた男性学の目的を尋ねていた。
伊藤は1951年に埼玉県で生まれた社会学者である。日本の男性学・男性性研究を形づくってきた一人であり、大阪の男性運動にも、大学や自治体の男女共同参画の仕事にも関わってきた。
「男らしさ」を問う伊藤の仕事は、京都の学生運動、イタリア文学の研究、大阪の研究会を経て、社会制度を考える場へ広がっていった。
京都大学で、女性差別をめぐる抗議に関わる
1970年代の京都大学では、学生と教員の対立が続いていた。1973年から翌年にかけて、文学部の一人の女子学生の卒業論文作成と大学院進学をめぐり、所属教室の教員の対応が女性差別に当たるとして、本人と支援者たちが抗議した。
当時、文学部で社会学を学び学生運動に参加していた伊藤は、この問題に学部自治会側の担当者として関わった。一橋大学の人物アーカイブによれば、伊藤は女性解放運動の人々とも接するようになった。
伊藤は1976年に京都大学文学部を卒業し、大学院へ進んだ。大学院で取り組んだのは、イタリアの文学と政治文化だった。
イタリアの小説から、男性の姿を見る
大学院で社会学者・作田啓一が小説を通した社会研究を構想したとき、伊藤はイタリアの作家アルベルト・モラヴィアの小説を題材に、ファシズムと男性性を考える論文を書いた。
ファシズムは政治体制の問題である。しかし、その時代が求めた強い男の姿や、それを支える文化の表現も、人が社会をどう理解するかに関わっている。文学を読むことは、権力の仕組みを制度だけでなく、人々に示された男性像から考える道にもなった。
1981年、伊藤はイタリア政府の給費留学生としてミラノ大学政治学部へ渡った。帰国後は京都大学、神戸市外国語大学、大阪大学で研究と教育を続けた。1993年にはイタリア文化を扱う『光の帝国/迷宮の革命』を刊行している。
文化や政治のなかで形づくられる男性像を研究する一方、伊藤は日本の男性たちが自分の生活を語り直す動きにも加わっていく。その舞台の一つが大阪だった。
五人が世話人になった大阪の研究会
1989年9月、日本女性学研究会の例会で「男はフェミニストになれるか」という討論会が開かれた。翌年には大阪で、男性が「男らしさ」に縛られない生き方を考えるシンポジウムが開かれた。
その流れのなかで、1991年4月、大阪に「メンズリブ研究会」が発足する。世話人は五人。味沢道明、伊藤公雄、東生春加、中村彰、水野阿修羅だった。
それ以前から、男性が家事や育児に向き合う運動や、女性への暴力や買春を批判する男性たちの運動はあった。大阪の研究会が打ち出したのは、女性を抑圧する側としての男性を問うと同時に、決められた「男らしさ」に苦しむ男性自身の経験にも目を向けることだった。
運動の歴史を記した大山治彦と大束貢生の論文によれば、研究会は隔月で、男性同士が自分の経験を語り合う場を設けた。大学では小説や文化から男性像を考えていた伊藤が、ここではほかの世話人たちとともに、男性が自分の暮らしを語れる場づくりに関わった。
この活動から1995年には「メンズセンター」が生まれ、男性の悩みを受ける電話相談にもつながった。伊藤は著作を出すだけでなく、ほかの世話人たちとともに、男性が互いに話せる場の発足を担った。
「男の苦しさ」を語ることの難しさ
男性たちが自分の苦しさを語り始めると、今度は、その「男性」とは誰かが問われる。1999年に大山と大束がまとめた男性運動の歴史では、世代によって関心が異なることや、異性愛を当然の前提にしがちなことが、運動の課題として挙げられた。
伊藤は研究会の発足前、1988年に『これからの男の自立』を刊行していた。その後、1993年の『〈男らしさ〉のゆくえ』、1996年の『男性学入門』へと著作を重ねる。男性を一つの集団として語ることと、その内側の違いを見ること。その緊張を抱えたまま、男性学は大学の外にも読者を得ていった。
大学と行政で担った仕事
伊藤は男性学の研究や研究会への参加に加え、男女共同参画に関わる大学や行政の仕事も担った。
大阪大学の教員を経て、2005年に京都大学大学院文学研究科の教授となった。京都大学では女性研究者支援センターの推進室長や男女共同参画室の副室長を務め、国や自治体の審議会にも参加した。学会の運営を担う仕事も続けた。
2006年度には、日本、ドイツ、イタリアの少子高齢化とジェンダー政策を比べる研究を主宰した。若いころ研究したイタリアは、ここでは文化や表象だけでなく、家族と社会制度を比較する相手にもなっている。
女性研究者が働き続けられる大学の環境、育児や介護を支える社会の仕組み。伊藤が向き合う対象は、文化のなかの男性像から、日々の生活を左右する制度にも及んでいた。
退職しても、問いは続く
伊藤は2017年、京都大学を定年退職した。だが、男性について考える仕事はそこで止まらなかった。
新型コロナウイルスの感染拡大をめぐって京都大学が公開した対談では、伊藤は男性文化が他人の生命や身体だけでなく、自分自身をケアする力も弱くしがちだと話している。弱音を見せずに働き続けることが当然とされれば、他人の助けを必要とするときにも、助ける側に回るときにも、身動きが取りにくくなる。
2022年には研究者たちと『男性危機(メンズクライシス)?』を刊行し、男性の困難を政策の問題として扱った。2025年には、1993年の『〈男らしさ〉のゆくえ』を増補版として再び世に出した。
同年、京都産業大学や奈良県での講義記録にも、男性の長時間労働や、ケアをする・受け入れる力への関心が現れている。
1991年、大阪の研究会で男性たちが自分の経験を語り合う場をつくった伊藤は、35年後の教室でも学生の問いに向き合っていた。研究会に集まる男性たちから、大学で学ぶ若い世代へ。相手も場所も変わったが、伊藤が考え続けているのは、社会の求める「男らしさ」が一人ひとりの生き方をどう縛るのかという問題だった。


