この問いをたどる
人は、何歳になっても変わる
「もう40歳だから、性格なんて変わらない」
「50歳から新しいことを始めても、もう遅い」
そう考えたことがある人は少なくないと思う。
では、人は何歳まで変われるのだろうか。
先に答えを言えば、30歳や40歳を境に、人が変われなくなるという線は見つかっていない。 成人した後も性格は動く。習慣も変わる。仕事や家族の中で担う役割も変わるし、「自分はこういう人間だ」という見方が変わることもある。
だから、年齢だけを理由に「もう自分は変われない」と決める必要はない。
ただし、20歳と50歳では、同じようには変わらない。
若いころには、進学、就職、転居、結婚など、生活そのものが大きく組み替わる機会が多い。年齢を重ねれば、職歴、家族、住まい、収入、健康、人間関係が積み重なる。その積み重ねは、新しいことを始める力にもなるし、動きにくさにもなる。
つまり、年齢を重ねると人は変われなくなるのではない。
変わり方と、変わるための条件が変わっていく。
この記事で考えたいのは、その違いである。
「変わる」と言っても、変わるものは一つではない
たとえば、40歳で会社を辞めて別の仕事を始めた人がいるとする。
その人は確かに「変わった」。けれど、外向的だった人が内向的になったとは限らない。性格は以前とほとんど同じまま、仕事だけを変えたのかもしれない。
反対に、仕事は同じでも、以前より人と衝突しなくなったり、物事を計画的に進めるようになったりする人もいる。
さらに、本人は何も変わっていないつもりでも、親になれば生活の中心は変わる。病気や死別、不況によって、それまでの人生そのものが組み替えられることもある。
「人が変わる」という言葉には、いくつもの違う話が入っている。
心理学で測る性格の傾向。毎日の習慣や考え方の癖。自分を何者だと思うかという自己像や役割。そして、どんな仕事を選べるか、どこに住めるか、誰と会えるかという人生の選択肢である。
これらは影響し合う。しかし、同じものではない。
ここを分けて考えると、「年を取ると変われない」という感覚の正体も見えやすくなる。
30歳を過ぎると、性格は固まるのか
日本で年齢と人の成熟を結びつける言葉といえば、『論語』の「三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る」を思い浮かべる人もいるだろう。
もちろん、孔子が「30歳で性格が固定される」と言ったわけではない。ただ、年齢とともに人生の段階が進み、人の立場や考えが少しずつ定まっていく。そんな感覚には、私たちも馴染みがある。
近代の心理学には、もっと直接的に「30歳ごろには人は固まる」と書いた人物がいる。
1890年、48歳だったウィリアム・ジェームズは『心理学原理』の「習慣」の章で、人は年齢とともに習慣の束になり、30歳ごろには性格・人格が「石膏のように固まり、二度と柔らかくならない」と書いた。
かなり強い言葉である。
ただし、ジェームズがそこで語っていたのは、現在の心理学でいう性格だけではない。職業に就くことで身につく振る舞い、思考の癖、偏見、業界特有のものの見方、発音、身振り、人との接し方まで含まれていた。
それでも、この「石膏」という比喩は後の人格心理学にも残った。
では、本当に大人の性格はほとんど動かなくなるのか。
長期的に同じ人を追った研究を見ると、答えはもっと動的である。
2000年に152の縦断研究をまとめた研究では、子ども時代より成人期の方が、他の人と比べたときの性格の違いが残りやすくなることが示された。若いころに周囲よりかなり外向的だった人は、年齢を重ねても外向的な方にいる可能性が高い。
これは、年齢とともに性格がある程度変わりにくくなることを示している。
しかし、それで話は終わらない。
20人全員が10年前より同じだけ計画的になったとする。すると、誰がより計画的かという人同士の違いは変わらない。つまり、人と人との違いが残ったまま、全員が変わることはできる。
2006年に92の縦断研究をまとめた研究では、誠実性や情緒的な安定性などに成人期の変化が確認された。変化が大きかったのは20〜40歳ごろだが、中年期や老年期にも変化は続いていた。2022年のより大規模な研究でも、大人になった後の性格変化は確認されている。
現在の研究から言えることは、かなりはっきりしている。
年齢を重ねると性格は変わりにくくなる。けれど、30歳を境に止まるわけではない。
「ここから先はもう変わらない」という年齢は、見つかっていない。
変わりたいと思えば、性格まで変えられるのか
では、自然に変わるだけではなく、自分から変わることもできるのだろうか。
答えは、できる。ただし、願うだけでは足りない。
2015年、ネイサン・ハドソンとクリス・フレーリーは、主要な五つの性格特性を「こう変えたい」と望む人を16週間追った。望んだ方向への変化は、日常の行動の変化と結びついていた。
2017年には、心理療法など207の介入研究をまとめたレビューで、平均約24週間の介入期間に性格特性の測定値が変化していることが報告された。2021年には、スマートフォンを使って日々の行動を支える方法でも、望んだ方向への変化が一部で確認されている。
大人の性格は、完全な固定物ではない。
「もう自分はこういう性格だから仕方がない」と考えている人にとって、これは重要な話だと思う。
決意した翌日に別人になれるわけではない。変化の大きさには個人差があるし、変えやすいものと変えにくいものもある。
それでも、成人した後でも性格の一部は動く。習慣や行動を変えることには意味がある。
「もう遅い」と決める理由にはならない。
年齢を重ねると、「変わる」の意味も変わっていく
人が変わるのは、性格が変わるときだけではない。
エリク・エリクソンは、人間の発達を子ども時代だけで終わらせなかった。親密な関係を築くこと。次の世代に何かを残すこと。自分の人生をどう受け止めるか。成人期や老年期にも、人には新しい課題が現れると考えた。
20歳の自分と50歳の自分が違うのは、性格の点数が変わったからとは限らない。
誰かの親になった。部下を持つようになった。親を介護するようになった。長く続けた仕事を辞めた。配偶者を失った。
立っている場所が変われば、自分に向けられる問いも変わる。
ドナルド・E・スーパーも、仕事を一度きりの「職業選択」として考えなかった。1980年に示した生涯・生活空間アプローチでは、キャリアを、学生、働く人、配偶者、親、市民など、生涯にわたって担う複数の役割の組み合わせとして捉えた。
学生だった人が働く人になる。働きながら親になる。親の介護をする。退職する。ある役割が小さくなり、別の役割が大きくなる。
そのたびに、「自分は何者か」という自己像も、仕事の意味も動く。
40歳で職業を変えた人を見て、「性格が変わった」と説明する必要はない。性格はかなり似たままでも、役割が変わり、自己像が変わり、使える機会が変われば、人生の形は大きく変わる。
性格だけを見ていたら、人が変わるという出来事のかなりの部分を見落としてしまう。
自分が人生を変えるだけではない。人生の方も、自分を変える
ここまでの話だけなら、「結局、自分で変わろうと思えばいい」と読めるかもしれない。
しかし、人生はそこまで本人の思い通りにはできていない。
グレン・H・エルダー・ジュニアは、世界恐慌を経験した子どもたちの長期追跡資料を研究した。
家計が急激に悪化した家庭では、経済的な圧迫が親の行動を変え、それが子どもへ伝わった。ある研究では、所得の大きな減少が父親の拒否的な養育行動と結びつき、それを介して女子の心理社会的な状態が悪化する経路が確認された。一方、男子では同じ経路は確認されなかった。
同じ家に起きた不況でさえ、全員を同じようには変えなかったのである。
エルダーがさらに注目したのが、出来事がいつ起きたかだった。
第二次世界大戦では、若くして軍務へ入った男性もいれば、すでに仕事や結婚生活を築いた30代で動員された男性もいた。後者では、それまでにつくってきた職業や家庭生活が中断される。職業上の利益は小さく、その後の身体的健康が悪化しやすい傾向も見られた。すでに結婚していた男性では、比較的遅い入隊や戦闘経験が、のちの離婚リスクの高さとも結びついていた。
ここで重要なのは、「30代だから変われなかった」ということではない。
30代までに、すでに仕事があり、家族があり、それまでにつくった人生があった。だから、同じ軍務でも、その出来事が壊すものが違った。
年齢とは、単なる身体の数字ではない。
何年生きたかという時間の中には、それまでにつくった人生が入っている。
そして、その人生が次の変化の条件になる。
年齢とともに固まるのは、「自分」ではなく「選択肢」かもしれない
「若いころより動きにくくなった」と感じるとき、私たちはつい「自分が固くなった」と考える。
しかし、本当に固くなったのは自分なのだろうか。
たとえば、50歳の人が20歳のころより転職しにくいとしても、それを「50歳になると人は変われない」だけで説明することはできない。
50歳を超えた人の就業についての研究をまとめると、関係するのは本人の意欲や性格だけではない。健康、技能、これまでの職歴、家族の介護、職場の制度、年齢差別、年金制度、景気まで重なっている。
人間関係も同じである。
177,000人以上を含む277の研究をまとめた研究では、友人関係のネットワークは成人期を通じて小さくなる傾向が報告されている。一方、家族とのネットワークは比較的保たれていた。就職、親になること、配偶者との死別なども、人とのつながり方を変えていた。
働く場所が変わる。子育てに時間を使う。退職して同僚と会わなくなる。地域を離れる。新しい人と出会う場が減る。
ここで変わっているのは、「人づきあいのできない性格」ではなく、人間関係が生まれる生活の構造である。
時間がたつほど、人生には履歴ができる。
その履歴は資源になる。長く働いたからこそ持っている技能や信用がある。何十年も続けた人間関係がある。貯めた資産もある。
同時に、履歴は制約にもなる。家族がいる。住宅がある。仕事上の責任がある。これまでの専門が、別の分野へ移るときの壁になることもある。
だから、「若いころより変わりにくくなった」と感じたとき、すぐに「自分が固くなった」と考えなくていい。
変わりにくくなったのは、自分ではなく、選べる道の方かもしれない。
もしそうなら、必要なのは性格を責めることではない。どの条件が自分を動きにくくしているのかを見ることである。
「変われる」は、「何でもできる」という意味ではない
ここまで「人は変われる」と書いてきた。
ただ、それは「何歳になっても努力すれば、若いころと同じことができる」という意味ではない。
ポール・B・バルテスの生涯発達心理学は、そこに重要な線を引いた。
バルテスは、人間の発達を子どもから老年まで続くものとして考えた。人には変化する余地があり、訓練や経験、文化的な道具によって能力を変えられると考えた。
しかし、彼のいう発達は、ずっと右肩上がりに成長することではない。
何かを得ながら、別のものを失う。ある能力が伸びる一方で、別の能力が下がる。何かを選ぶことは、別の何かに使える時間や資源を減らすことでもある。
高齢になれば、生物学的な制約も大きくなる。訓練や工夫で補えることにも限界はある。
それでも、発達は終わらない。
失ったものを別の方法で補うことも、残った力の使い方を変えることも、新しい役割を引き受けることも、人生の変化に含まれる。
変わるとは、若い自分に戻ることではない。
だから、「変われる」と「何でもできる」は、まったく違う。
限界があることは、変化できないことを意味しない。
むしろ年齢を重ねるほど、何を変え、何を受け入れ、どこに力を使うのかを選ぶことが重要になる。
では、人は何歳まで変われるのか
人は、何歳まで変われるのか。
この問いに「43歳まで」「60歳まで」と答えることはできない。
それよりは、こう答えた方が実際に近い。
人は、何歳になっても変わる。けれど、年齢とともに変わり方が変わる。
30歳を過ぎても性格は動く。40代、50代でも習慣を変えることはできる。仕事や家族の役割が変われば、自己像も変わる。病気、死別、不況のように、自分では選ばなかった出来事によって大きく変えられることもある。
一方で、年齢を重ねれば、それまでの人生が積み上がる。
身体は変わる。家族ができる。職歴ができる。資産ができる。責任が増える。人間関係も組み替わる。だから20歳と50歳では、同じ一歩を踏み出すために必要な条件が違う。
それを、「もう年だから」と一つの言葉で片づける必要はない。
性格が変わりにくいのか。習慣が残っているのか。家族や仕事の責任があるのか。新しい人や仕事に出会う機会が減っているのか。身体的な制約があるのか。
何が自分を動きにくくしているのかが分かれば、「自分という人間そのものが、もう変われない」という話ではなくなる。
若いころと同じように変わる必要もない。
今まで生きてきた履歴を使って変わることもできる。何かを捨てて変わることもある。環境を変えることもある。習慣を一つだけ変えることもある。失ったものを別の方法で補うこともある。
人は、白紙には戻れない。
けれど、白紙に戻れないことと、これからを書き加えられないことは、同じではない。
年齢を重ねると、人は変われなくなるのではない。変わるための条件が変わる。
だから、「もう遅いのではないか」と思ったときに考えるべきなのは、何歳まで変われるのかではない。
いまの自分は、何なら変えられるのか。何を変えるには、どんな条件を動かす必要があるのか。
その問いなら、年齢に関係なく、まだ考えることができる。


