一人の人生を読む
フランス国境に近い大学からアメリカへ
ポール・B・バルテス(Paul B. Baltes)は1939年6月18日、ザールラウテルンに生まれた。現在のザールルイである。フランス国境に近いザールラント地方は、20世紀前半にドイツとフランスの政治的影響が交錯した地域だった。バルテスが大学へ進んだ1950年代末、この土地には戦後ヨーロッパの再編の時間がまだ近くにあった。
1959年からザールラント大学で心理学を学び、生物学と生理学も副専攻とした。1963年に心理学ディプローム(Diplom-Psychologe)を取得すると、交換学生としてアメリカのネブラスカ大学へ行く。いったんドイツへ戻り、1967年、28歳で発達心理学の方法論を扱う博士論文を完成させた。
その後、再びアメリカへ渡った。最初の主要な勤務先はウェストバージニア大学だった。ここでバルテスが関わったのは、子どもの発達を詳しく調べる従来の発達心理学を、そのまま続けることだけではない。「発達」という言葉が、なぜ青年期までで終わるように扱われるのか。その範囲自体を広げようとしていた。
30歳、発達を「一生」に広げる場をつくる
1969年、30歳のバルテスはラリー・グーレとともに、生涯発達心理学ウェストバージニア会議(West Virginia Conferences on Life-Span Developmental Psychology)を始めた。発達を誕生から老年まで連続して考える研究者たちが集まる場だった。
現在から見ると「人は一生発達する」という表現はそれほど奇妙に聞こえない。しかし発達心理学は長く、乳幼児、子ども、青年を中心に成長過程を研究してきた。成人になった後は比較的安定し、老年期は能力の低下として扱われやすかった。
バルテスたちが変えようとしたのは、単に研究対象の年齢上限ではない。もし60歳にも80歳にも変化があるなら、発達という概念そのものを「成長」と同義にはできない。大人になるまで能力が増えていく一本道では、生涯全体を説明できないからである。
アメリカで研究組織をつくり、41歳でベルリンへ戻る
1972年、33歳でペンシルベニア州立大学の個人・家族研究部門(Division of Individual and Family Studies)を率いるようになり、1974年には人間発達学(Human Development)の教授となった。研究だけでなく、生涯発達を扱う教育と研究組織をつくる仕事にも深く関わった。
アメリカで約12年を過ごした後、1980年、41歳でベルリンへ移る。マックス・プランク人間発達研究所の科学会員・共同ディレクターとなり、生涯発達心理学の研究部門を長く率いた。
これは若い研究者が海外留学を終えて帰国した、というほど短い往復ではない。20代後半から40歳前後まで、研究者としての初期キャリアの多くをアメリカで過ごした。その間につくった国際的な研究関係を、ベルリンの研究所へ持ち込むことになる。
バルテスの仕事には、その後も国境と専門分野を越える共同研究が多い。心理学だけで老いを説明するのではなく、社会学、医学、脳科学などと接続しながら、人間が時間の中でどう変化するかを考えていった。
発達は、成長だけではない
バルテスの生涯発達心理学を特徴づけるのは、「人は老いても発達する」という楽観的な標語ではない。
彼は、発達には生涯を通じて獲得と喪失があると考えた。ある能力が伸びる一方で、別の能力や機会が失われる。同じ人の中でも、すべてが同じ方向へ動くわけではない。発達は多方向的で、時期や領域によって異なる。
若年期にも失うものがあり、老年期にも得るものがある。だから老化を単なる衰退として扱わなくてよい。しかし同時に、高齢になっても努力すればあらゆる能力を若い時と同じように回復できる、という話でもない。
この両側を残したところに、バルテスの理論の特徴がある。
変われることと、限界があること
バルテスは「可塑性」を重要な概念にした。人間の能力は固定されておらず、訓練、経験、教育、文化的な道具によって変化しうる。高齢者の認知能力でも、訓練によって成績が上がることがある。実際に彼の研究グループは、老年期の認知的可塑性を実験的に調べた。
しかし可塑性を調べれば調べるほど、もう一つの問題も見えてくる。どこまで変えられるのか。
トレーニング前の成績と、十分に訓練した後の成績の差を見ることで、人間が持つ「余力」を推定できる。若者と高齢者を比べれば、両者とも改善しても、その改善幅や到達点が同じではないことがある。可塑性の存在と、年齢に伴う制約は矛盾しない。
バルテスにとって発達とは、自由に書き換えられる白紙になることではなかった。変化する力と、変化できない条件が同時にある。そのバランスが、年齢とともに動く。
選択・最適化・補償――マーグレット・バルテスとの共同研究
バルテスの研究を語るとき、マーグレット・M・バルテスを単に「妻」とだけ記すのは正確ではない。彼女も生涯発達と老年学を研究した心理学者であり、二人は共同研究者でもあった。
二人やその研究仲間が発展させた考えの一つに、選択・最適化・補償(Selection, Optimization, Compensation: SOC)がある。
人が使える時間、身体、注意、社会的資源には限りがある。そこで、何を大切な目標として選ぶか。選んだ領域へ資源を配分し、能力を高めるか。失われた能力や条件があるとき、別の方法で補うか。発達を、すべての能力を増やすことではなく、有限な資源の中で生活を組み直す過程として見る。
有名な例として、ピアニストが年齢とともに演奏曲を絞り、特定の技術を練習し、テンポの対比を工夫する、といった説明が使われてきた。ただしこのモデルは「工夫すれば何でも克服できる」という話ではない。選択が必要になるのは、そもそも資源が有限だからである。
1999年、60歳のとき、共同研究者でもあったマーグレットが死去した。バルテスはその後、彼女の名を冠した財団を設立し、生涯発達と老年学の研究支援につなげた。
70歳から100歳を調べる「ベルリン加齢研究」
ベルリンで進めた代表的な仕事の一つが、ベルリン加齢研究(Berlin Aging Study)である。対象は70歳から100歳を超える人々。心理学だけでなく、社会学、精神医学、内科学などが加わり、老年期を多面的に調べた。
「高齢者」という一語でまとめると、70歳と100歳以上が同じ集団のように見えてしまう。しかし実際には、健康、認知能力、社会関係、生活満足、経済条件の組み合わせは大きく異なる。平均値だけでは、老年期の多様性は見えにくい。
この研究は、老いを「何歳から一気に衰えるか」という一本の曲線にするのではなく、複数の能力や生活条件がそれぞれ違う速度で動く過程として見る材料を与えた。
また、非常に高い年齢まで生きる人々を調べることで、可塑性の限界もより明確になる。文化や技術、医療、教育は人間の能力を支えられる。それでも、生物学的な損失が大きくなる超高齢期には、補償が追いつきにくくなる領域がある。
「知恵」を研究対象にする
バルテスの研究室では、「知恵」も科学的な研究対象になった。
これは、年を取れば自動的に賢くなると証明するためではない。人生の重大な問題について、幅広い事実知識、手続き的知識、文脈の理解、価値の相対性、不確実性への対処をどのように評価できるかを考えた。
年齢と知恵の関係は単純ではない。人生経験が増えることは資源になりうるが、高齢そのものが高得点を保証するわけではない。ここでも、年齢を一方向の成長指標として扱わない姿勢が続いている。
発達の研究者が「知恵」を扱うことには、バルテスの人間観がよく表れている。速く計算できることだけが、人間の能力のすべてではない。人生の文脈を読み、不確実な問題を扱う能力もある。ただし、それさえ年齢とともに自動的に増えるわけではない。
晩年、可塑性より限界を強く見る
バルテスは晩年、人間の可塑性だけでなく、その限界をより強く論じるようになった。2006年には、脳、文化、環境が相互に作用するという観点から『生涯発達と脳』(Lifespan Development and the Brain)を編集している。同じ年には、超高齢期の人間の尊厳と限界についても文章を書いた。
ここで文化は、生物学に対抗する万能の力ではない。眼鏡、教育、医療、文字、社会保障、介護など、人間は文化的な仕組みによって多くの損失を補ってきた。それでも超高齢期には、生物学的損失が増え、補償に必要な文化的資源も大きくなる。ついには補償しきれない局面がある。
マックス・プランク研究所の追悼文によれば、がんを患った最終期にも、バルテスは病床で文章を口述し、電話で仕事を続けていた。病状が悪化すると、追加の診断や治療措置を続けない決定をしたと記録されている。2006年11月7日、ベルリンの自宅で67歳で死去した。
この最期を、彼の理論を実践した象徴的な場面として美しくまとめるのは避けたい。本人がその決定をどのような哲学で説明したのかは、追悼文だけからは分からない。ただ、可塑性を研究した人物が晩年には「限界」を理論から消さなかったことと、人生の最後まで研究を続けたことは、同じ時間の中にあった。
発達を「増えること」から解放した人
ポール・バルテスが生涯発達心理学に残したものは、「老人になっても人は成長できます」という励ましではない。
人は変化する。訓練によって改善できることもある。経験や文化によって、新しい能力を得ることもある。同時に、失うものがある。選ばなければならなくなる。補償しても届かない限界がある。そして、何が獲得で何が喪失になるかは、年齢、歴史、文化、身体、本人が置かれた条件によって変わる。
発達を一方向の階段から外したことで、幼児から老人までを同じ時間の中で考えられるようになった。バルテスの理論が広げたのは、「いつまで成長できるか」という年齢上限だけではない。そもそも人間の発達とは、増えることだけなのかという問いだった。



