一人の人生を読む
戦時の都市から農村へ
グレン・H・エルダー・ジュニア(Glen H. Elder Jr.)は1934年、オハイオ州クリーブランドに生まれた。後に彼は、人の発達を「本人の内側だけ」で説明しない研究者になる。世界恐慌、戦争、失業、家族の経済状態、学校、結婚、軍務。人生の外で起こる出来事が、いつ、どのように個人の経路へ入り込むのかを長く追った。
その研究を、幼少期の経験だけから説明することはできない。ただ、エルダー自身は研究人生を振り返った文章で、第二次世界大戦期のクリーブランドでの生活と、その後のペンシルベニアの農村・農場生活への移動を挙げている。都市から農村へ生活条件が変わった経験は、社会の変化が暮らしの形を動かすことを身近にした、と彼は後から振り返った。
大学では社会学を学んだ。1957年にペンシルベニア州立大学を卒業し、翌年ケント州立大学で修士号を取得する。1961年、27歳でノースカロライナ大学チャペルヒル校の博士号を取得した。この時点で彼が主に身につけていた研究方法は、ある時点で多くの人を比較する横断的な調査だった。
人生を時間の流れとして読む研究者になったのは、その後である。
28歳、バークレーで「30年分の人生」を読む
1962年、28歳のエルダーはカリフォルニア大学バークレー校へ移り、人間発達研究所(Institute of Human Development)でも研究を始めた。そこには、子どもたちと家族を何年にもわたって追跡した資料が保存されていた。
本人の回想によれば、扱うことになった記録は、およそ400人について約30年にわたる複数時点のデータを含んでいた。若いエルダーは、それまで主に一時点の調査を学んできた。ところが同じ人、同じ家族を時間を追って読むと、人間の姿は静止しない。仕事が変わり、収入が変わり、親子関係が変わり、学校を出て、結婚し、家を出る。数年のあいだにも生活条件が動く。
ここに「ある日、資料を開いて人生の真理に気づいた」という場面は確認できない。むしろ重要なのは、記録をコード化し、何度も読む作業の中で、問いそのものが変わっていったことだ。人と人の違いを一時点で比べるだけでなく、同じ人が時間の中でどう変わったかを見なければならない。
そして、保存されていた子どもたちの人生には、研究室の外で起きた巨大な出来事が入り込んでいた。世界恐慌である。
世界恐慌は、家族の中を通って子どもへ届いた
1929年に始まった世界恐慌は、アメリカの多くの家庭の所得と仕事を奪った。エルダーが調べたのは、「貧困になった子どもはどうなるか」という一段の因果だけではない。所得の急減が父母の関係や養育、子どもの仕事、学校生活へどう伝わり、その後の経路へつながるかだった。
1974年、40歳で刊行した『大恐慌の子どもたち』(Children of the Great Depression)は、1920〜21年に生まれオークランドで育った人々を、小学生時代から成人後まで追った研究をまとめている。経済的打撃を受けた家庭では、子どもが家計を助ける仕事を引き受けることもあり、親の役割や親子関係も変化した。
その後、エルダーらが同じ資料をさらに分析すると、所得の大きな減少が子どもへ届く経路の一つがより具体的に見えた。経済的困窮が強い家庭では父親の拒否的・非支持的な養育が増え、それを通して女子の心理社会的な状態が悪化する傾向が確認された。一方、男子には同じ形の影響が見られなかった。性別によって家族内で担った役割や、家庭外で働く機会が異なっていたことも、その差を考える手がかりになった。
年長の男子の中には、家計を助ける仕事や家の責任を担うことが、家庭内の緊張から距離を取り、仕事への動機や自信を得る経験につながった者もいた。つまり経済危機は、家庭所得という数字だけで子どもを同じ方向へ押したのではない。父親との関係、性別、年齢、任された役割を通って、それぞれの人生へ入っていった。
軍務は、若い男性と30代の男性に同じ結果をもたらさなかった
エルダーの研究で大きくなっていったのが、出来事のタイミングという問題である。その具体例の一つが軍務だった。
1986年に発表した研究では、1928〜29年生まれのバークレーの男性を追っている。1930年代に家庭が困窮し、成績が低く、自分への自信も乏しかった男性ほど、1940年代末から朝鮮戦争期に早く軍務へ入る傾向があった。そして、その早い軍務が人生の転換点となった人々がいた。軍務後は学校を離れる時期、結婚、第一子の時期が遅くなり、職業生活には不安定さを残しながらも、中年期には非従軍者に並ぶ職業上の到達を示した。早期入隊者では、青年期から中年期にかけて心理的な強さや健康の改善も大きかった。
しかし「軍隊に入れば人生が好転する」という結論ではない。第二次世界大戦では徴兵・動員の年齢が30代後半まで広がった。すでに職業や結婚生活を築いてから動員された男性を追った別の研究では、入隊が遅いほど、軍務から得られる職業上の利益が小さく、既存の仕事を中断する損失が大きかった。遅く動員された男性ほど、その後の身体的健康が悪化する経路に入りやすく、その一部は仕事上の不利益によって説明された。
結婚についても差が出た。すでに結婚してから軍務へ入った退役軍人では、より遅い年齢での入隊や戦闘経験が、その後の離婚リスクの高さと結びついていた。ここで「タイミング」とは、同じ出来事を経験しても結果が違う、という抽象語ではない。学校、仕事、結婚、子育てがどこまで進んだ時点で出来事が割り込んだかによって、守られるもの、中断されるもの、利用できる制度が変わるという意味だった。
若い時期の軍務は、それ以前の不利な経路をいったん切り、教育や職業への橋渡しになる場合がある。逆に、成人後に積み上げた仕事や家族関係がある時期の軍務は、その既存経路を壊す側に働くことがある。年齢は単独で効くのではなく、その年齢までに何を築き、どんな制度と歴史状況の中にいたかと組み合わさっていた。
コーネルとブロンフェンブレンナー、そしてノースカロライナ大学へ戻る
1967年、エルダーはノースカロライナ大学チャペルヒル校へ移った。そこで社会学を教え、研究を続ける。1979年からはコーネル大学で人間発達学(Human Development)の教授となった。
コーネルには、人間の発達を家庭、学校、地域、制度という複数の環境から考えた心理学者ユリー・ブロンフェンブレンナーがいた。エルダーは後年、コーネル時代の知的交流を研究史の中で振り返っている。二人の理論は同じではないが、個人を環境から切り離さない点では近い問題を見ていた。
1984年、50歳でエルダーはノースカロライナ大学へ戻った。ここから研究対象はさらに広がる。世界恐慌を経験した世代だけでなく、農村社会、家族、軍務、都市の不利、社会変動と回復力へと研究が続いていく。
農業危機の中の子どもたち
1980年代のアメリカ中西部では、農産物価格、負債、金利などの問題が重なり、多くの農家が経済的危機に直面した。エルダーらはアイオワの家族を対象に、この新しい社会変動が親と子どもへどう伝わるかを長期的に追った。
ここでも研究の単位は「不況を経験した個人」だけではない。親の経済的圧迫が夫婦関係や養育へ及ぼす影響、子どもの仕事や学校、地域との関係を一緒に見る。2000年、ランド・D・コンガーと刊行した『土地の子どもたち』(Children of the Land)では、農業危機を経験した農村の若者たちの発達を、家族と地域の資源も含めて描いた。
世界恐慌を研究した40歳の研究者が、50代以降には別の時代の経済危機を追っていた。エルダーが求めたのは、一つの歴史事件についての結論というより、社会の変化と人生を結ぶ方法だった。
1997年、ライフコースを発達理論として語る
1990年代までに、エルダーの研究は「ライフコース」という言葉で広く知られるようになっていた。1997年、児童発達研究学会(Society for Research in Child Development)の会長として講演し、翌年その内容を『発達理論としてのライフコース』(The Life Course as Developmental Theory)として発表する。
長年の研究を整理したその枠組みには、いくつかの原則がある。人の人生は、歴史的な時間と場所の中に置かれる。出来事の影響は、人生のどの時点で起きたかによって異なる。そして人は、一人で生きているのではなく、親子、夫婦、友人などのつながった人生の中にいる。
同時に、エルダーは人間の主体性も消さなかった。人は与えられた条件の中で選択し、行為し、自分の経路をつくる。ただし、その「選べるもの」の範囲自体が、時代や制度や家族によって違う。
これは「環境が人間を決める」という理論ではない。逆に、「意志さえあれば人生を自由に作れる」という理論でもなかった。
環境でも、意志だけでもない
エルダーの研究が扱った人物の多くは、本人が望んで世界恐慌や戦争や農業危機を選んだわけではない。人生の条件は外側から変わった。それでも、同じ出来事を経験した人々のその後が同じにはならないことも、長期データは示していた。
過去の履歴が違う。出来事が起きた年齢が違う。頼れる家族や制度が違う。そこで本人が取れる選択も違う。さらに一つの選択が、次に利用できる選択肢を変えていく。
ライフコース研究は、人生を「本人の性格」だけに還元しない。その一方で、歴史の波に流されるだけの存在としても扱わない。個人と環境のあいだにある長い相互作用を、実際の人間を何十年も追うことで見る。
エルダーがバークレーで出会ったのは、完成した理論ではなく、時間を含んだ大量の記録だった。そこで見えてきたのは、人間の発達を理解するには、その人が何歳だったかだけでなく、その年齢のとき世界で何が起きていたのかまで見なければならない、という問題だった。



