そもそも「民主化」とは、何を広げることなのか
民主主義と言えば、まず選挙を思い浮かべる。
一人一票。代表を選ぶ。選ばれた側が期待に応えなければ、次の選挙で交代させる。
けれど、民主主義の中心にあるのは、選挙という仕組みそのものだけではない。
もっと根にあるのは、みんなに関わることを決めるとき、一部の身分や階級だけを特別扱いせず、構成員を対等な者として扱おうとする考え方である。
近代の民主主義が形をとっていく18世紀末、この考えは二つの方向に現れた。
1789年のフランス人権宣言は、「人は自由かつ権利において平等に生まれる」と宣言した。
同時に、主権は国民にあり、すべての市民は自ら、あるいは代表を通して、法の形成に参加する権利を持つとした。
ここには、互いに結びついた二つの力がある。
一つは、決める力を、一部の支配者だけのものにしないこと。
もう一つは、生まれや身分による特権を崩し、それまで一部の人だけのものだった権利や機会を、より多くの人に開くことである。
この二つは同じではない。
前者は、「誰が決めるのか」という政治参加の問題である。
後者は、「誰まで同じ権利を持つのか」という平等の問題である。
そして後世になると、「民主化」という言葉は政治制度を越えて使われるようになる。
教育の民主化。文化の民主化。技術の民主化。
そこでは必ずしも投票を意味しない。
かつて一部の人に限られていたものへ、多くの人が手を伸ばせるようになることまで、「民主化」と呼ばれるようになった。
これは民主主義そのものの定義ではない。民主主義に伴って広がった「特権を一般化する」という感覚が、別の領域へ拡張されたものと考えた方がいい。
では、この二つを経済へ持ち込むと、どうなるだろう。
毎日働く会社で、商品の価格、工場の速度、人員配置、賃金、投資、撤退を誰が決めるのか。
これは、経済の意思決定に参加できる人をどこまで広げるのかという問題である。
一方で、毎日の食事、服、家具、家電、自動車を、どれだけの人が無理なく買えるのか。
こちらは、それまで一部の人しか享受できなかった豊かな暮らしへ、どこまで多くの人が手を届かせられるのかという問題である。
20世紀の「経済民主主義」をめぐる議論には、この二つの方向が現れる。
この記事で考えたい中心の問いは、そこにある。
「経済を民主化する」とは、何を、どこまで多くの人に開くことなのか。経済の意思決定への参加か。それとも、豊かな暮らしへの入口か。
先に言っておくと、ここで「幸福度」を測るわけではない。
豊かな商品があれば人は必ず幸せになる、とも、会社で投票できれば幸福になる、とも言えない。
見たいのは、その少し手前である。
人が自分の生活をつくるうえで、経済の中のどんな力や機会が、広く開かれているべきなのか。
その問いを、四人の人物からたどってみたい。
ただし、この四人が一つの思想を順番に受け継いだわけではない。直接の影響関係が確認できるところと、別の時代・場所から似た問題へ別々の答えを出したところは分ける。
そして最初に見るのは、ヘンリー・フォードである。
なぜならフォードは、「豊かな暮らしへの入口を広げる」という意味での民主化を劇的に進めながら、「誰が決めるのか」というもう一方の民主化とは鋭く衝突した人物だからだ。
一人の生涯の中に、この記事で考えたい二つの方向が同時に見える。
フォードは、まず「持てる人」を増やした
1908年、ヘンリー・フォードの会社はT型フォードを発売した。
自動車そのものを発明したわけではない。
フォードが変えたのは、誰が自動車を持てるかだった。
フォード・モーターは部品の標準化、工作機械の配置、作業の分割を進め、1913年には移動式組立ラインを本格化させる。
それまで一台のシャシーを組み立てるのに約12時間半かかっていたものが、1914年初めには約93分まで短くなった。
1908年から1927年までにT型フォードは1500万台以上つくられ、価格は初期の約850ドルから、後期には仕様によって260ドルほどまで下がった。
高価な機械だった自動車が、普通の家庭でも現実的に検討できる商品へ変わっていった。
1914年には、条件を満たす労働者へ利益分配を加えた「5ドル・8時間」の制度も発表した。それ以前の基本的な日給は2ドル34セント、労働時間は9時間だった。
高い賃金。短い労働時間。安い商品。
ここだけを見れば、フォードは産業の生産性を使って、豊かな生活へ入れる人を増やした人物に見える。
1922年にサミュエル・クローザーとまとめた『私の人生と事業』には、「民主主義と産業(Democracy and Industry)」という章がある。
ただし、そこで重視された民主主義は、労働者が会社の経営者を選ぶことではなかった。
能力に応じて機会を得られること。産業が人びとへ奉仕すること。良い商品を安く供給すること。
フォードにとって産業の社会的価値は、誰が決定するかより、何をどれだけ多くの人へ届けられるかに強く置かれていた。
豊かさへの入口を広げる。
これは、経済を民主化する一つの答えだった。
しかし、ここで話は終わらない。
賃金を上げても、決める力まで広がったわけではなかった
フォードの5ドル制度には条件があった。
会社の社会部は、従業員の家庭を予告なしに訪問し、家の清潔さ、間借り人、子どもの通学、銀行への貯蓄などを調べた。
高い賃金を支払う会社が、その賃金を受け取るにふさわしい生活まで判断する。
ここで、豊かさへの入口を広げることと、自分の生活を自分で決められる範囲を広げることは別の問題だと分かる。
会社の中でも同じだった。
フォード・モーターは長く全米自動車労働組合(UAW)の承認を拒んだ。1937年には、ルージュ工場で組合活動のビラを配ろうとした組織者たちが、フォード・サービス部門の男たちから暴行を受ける「歩道橋の戦い」が起きた。
会社がUAWと労働協約を結ぶのは1941年である。5ドル制度から27年後だった。
フォードは労働者の所得を増やした。
しかし、会社の意思決定に労働者が組織として力を持つことには、同じ熱意を示さなかった。
安い商品を買えること。高い賃金を得ること。会社で発言できること。自分を左右するルールを誰が決めるのかに関われること。
これらは、全部「生活をよくする」ように見える。しかし同じものではない。
ナフタリは、「投票できるだけで民主主義なのか」と考えた
フォードが大量生産を進めていたのと同じ20世紀前半、ドイツでは別の方向から経済の民主化が論じられていた。
中心人物の一人が、フリッツ・ナフタリである。
第一次世界大戦後のドイツには、ワイマール共和国の議会と選挙があった。
政治については民主化が進んだ。
しかし、工場、カルテル、金融、公共事業ではどうか。
国民は政治家を選べても、生活を左右する巨大な経済組織の決定にはほとんど入れない。
1928年、ナフタリはドイツ自由労働組合総同盟(ADGB)の委員会作業をまとめ、『経済民主主義――その本質・道・目標』を刊行した。
その構想に入っていたのは、企業での労働者の共同決定だけではない。
社会保険の自治。公共企業。独占やカルテルへの統制。協同組合。教育機会。
ナフタリたちが問うたのは、会社の会議室に労働者代表を一人置けば済む、という話ではなかった。
政治で始まった民主主義を、経済関係の中へどこまで広げられるか。
経済の中にある大きな権力を、公共の統制から切り離したままでよいのか。
生活を左右される人が、その意思決定に関われない状態を、どこまで正当化できるのか。
ここで「経済民主主義」は、フォードとは別の方向を向く。
フォードが広げたのは、商品と所得へのアクセスだった。
ナフタリが広げようとしたのは、決定への参加だった。
二つの「経済民主化」は、何を広げようとしているのか
ここまでを一度、分けてみよう。
01 / 決定への参加を広げる
- 中心の問い
- 誰が決めるのか
- 主な対象
- 労働者、市民、制度の当事者
- 主な手段
- 共同決定、自治、労働者統治、公共的統制
- 代表的な人物
- ナフタリ、のちのダール
- 見落としやすい危険
- 権利があっても、豊かな供給が実現するとは限らない
02 / 豊かさへのアクセスを広げる
- 中心の問い
- 誰が持てるのか、使えるのか
- 主な対象
- 消費者、生活者、大多数の家庭
- 主な手段
- 大量生産、標準化、低価格、流通の大規模化
- 代表的な人物
- フォード、のちの渥美俊一
- 見落としやすい危険
- 豊かさが広がっても、組織の権力は集中したままかもしれない
この二つは、どちらが本物でどちらが偽物という関係ではない。
見ている欠乏が違うのである。
一方は、自分の生活を左右する仕組みに声が届かないことを問題にする。
もう一方は、豊かな生活に必要なものが一部の人にしか届かないことを問題にする。
人は、声だけで生活できない。
しかし、商品が豊富に手に入れば、自分を左右する仕組みに何も言えなくてもよい、とも言いにくい。
この緊張を、さらに理論の側から押し広げた人物がいる。
ダールは、「なぜ会社だけ民主主義の外なのか」と問うた
ロバート・ダールは、民主主義を「選挙があるかどうか」だけでは測らなかった。
誰が実際に決めているのか。
構成員は実効的に参加できるのか。
判断に必要な理解へアクセスできるのか。
何を議題にするかについて統制を持てるのか。
そうした基準を使って、都市政治や国家制度を問い続けた。
そして1980年代半ば、その問いを企業へ持ち込んだ。
『経済デモクラシー序説』には、「企業内の民主主義への権利」を正面から扱う章がある。
政治では、一人ひとりを対等な市民として扱うことが重要だと考える。
それなのに会社へ入ると、所有する側と働く側の決定権に大きな差があっても、それは当然として扱われる。
なぜ会社の入口で、民主主義の問いを止めてよいのか。
ダールの問題意識は、会社の中だけで終わらなかった。
企業の所有や支配が一部へ集中すれば、大きな経済的資源も一部へ集中する。その資源は政治へ働きかける力にもなりうる。
つまり、企業内の権力格差は、政治的平等にも戻ってくる。
ここでナフタリの問いが、アメリカの民主主義論からもう一度現れる。
ただし、ナフタリからダールへ一本の思想が直接受け継がれた、と単純化する必要はない。
重要なのは、別の時代に民主主義を真面目に適用しようとすると、似た壁へぶつかったことである。
政治では対等な市民である人が、なぜ経済では大きく非対称な権力関係に入るのか。
渥美俊一は、「豊かな消費生活」を経済民主主義と呼んだ
ここで、もう一つの流れへ戻ろう。
戦後日本でチェーンストア経営を教え続けた渥美俊一は、「経済民主主義」という言葉を使っていた。
しかし、そこに置かれた意味は、ナフタリやダールの企業民主主義とはかなり違う。
渥美が編集したチェーンストアの用語体系では、経済民主主義は、一部の特権階級しか享受できなかったような豊かな消費生活を、大多数の国民が日常的に楽しめる経済の状態として説明された。
そのためには、流通だけでなく製造業まで、大衆の暮らしに役立つ形へ変える必要がある。
ここで民主化されるものは、会社の議決権ではない。
豊かな生活そのものへのアクセスである。
渥美は、新聞記者として商店を取材した後、1962年にペガサスクラブを立ち上げ、翌年には日本リテイリングセンターを設立した。
彼自身が巨大チェーンを所有したわけではない。
中内功、伊藤雅俊、岡田卓也ら、多くの経営者が学ぶ場をつくり、店舗を比較し、数字で測り、仕事を標準化し、別の店でも再現できる仕組みを教えた。
渥美にとって、「豊かな社会」は精神論だけでは実現しない。
棚の幅。在庫。利益率。人員配置。商品政策。店舗の規模。仕入れと販売の仕組み。
そうした細部を変え、大量の商品を低いコストで安定して届ける産業へ小売を変えなければならない。
これは、フォードの大量生産とよく似た方向を向いている。
ただし、ここでも「フォードの思想が渥美へ直接継承された」と書く根拠はない。
渥美がアメリカのチェーンストアを重要な研究対象にしていたことと、フォードが大量生産によって大衆化を進めたことは確認できる。
そこから言えるのは、もっと控えめなことだ。
製造と流通という別の場所で、「高価で限られた豊かさを、大多数の日常へ広げる」という似た課題が現れた。
フォードは工場からそれを進めた。
渥美は店と流通の仕組みからそれを進めようとした。
豊かになれば、それで経済は民主的なのか
ここで、フォードへ戻る意味がある。
フォードの生涯は、「豊かさへのアクセスを広げること」の力と限界を、一人で両方見せているからだ。
T型フォードは安くなった。
賃金も上がった。
週の労働時間も短くなった。
しかし同じ会社で、社会部は家庭生活へ介入し、労働組合は長く拒まれ、息子エドセルが社長になってもヘンリーは実権を完全には手放さなかった。
さらにフォードは、自ら所有する新聞と自動車販売網を使い、反ユダヤ主義の虚偽と陰謀論を広く流通させた。
つまり、ものを大量に届ける能力は、それ自体では権力を民主化しない。
むしろ大規模な生産・流通・メディアの仕組みを持つ者には、それだけ大きな力が集まることもある。
安い商品を買える社会と、組織の権力が分散した社会は、同じではない。
この点から見ると、ナフタリやダールの問いは消えない。
誰がその巨大な仕組みを動かすのか。
その決定によって生活を左右される人は、どこまでそこへ参加できるのか。
では、決める権利さえあれば十分なのか
反対側にも、同じ問いを返す必要がある。
会社の会議へ参加できる。労働者代表がいる。経済の重要な決定に公共的な統制が入る。
それは大きな変化である。
しかし、それだけで商品の品質が上がるわけでも、必要なものが安く大量に供給されるわけでもない。
人は制度の構成員であると同時に、生活者でもある。
毎日必要な食料、住居、衣服、移動、医療、教育、日用品へアクセスできなければ、意思決定への参加だけで「豊かな暮らし」が完成するわけではない。
ここでは渥美やフォードが見ていた問題も消えない。
どうすれば一部の人にしか手が届かなかったものを、大多数の日常へ落とせるのか。
どうすれば良い商品を、繰り返し、安定して、低いコストで届けられるのか。
つまり二つの民主化は、互いを否定するというより、互いが見落としやすい欠落を照らす。
経済民主主義を、二本のものさしで見る
「経済民主主義」という言葉に一つの定義だけを押し込めるより、二本のものさしとして使うと分かりやすい。
一つ目は、「決める力」――自分を左右する意思決定へ、どこまで参加できるか。
- 働く人は、自分の労働条件にどこまで関われるか。
- 組織の重要な決定に異議を申し立てられるか。
- 経済的な巨大権力を、公共が統制できるか。
- 影響を受ける人が、意思決定から完全に排除されていないか。
二つ目は、「豊かさへの入口」――生活に必要なものへ、どこまで現実に手が届くか。
- 生活に必要なものが、一部の富裕層だけのものになっていないか。
- 生産性の向上が、価格や所得や時間の改善として生活者へ届いているか。
- 商品やサービスの品質が、大多数にとって現実的な価格で安定して供給されているか。
- 規模の利益が、企業の内部だけにとどまっていないか。
ナフタリとダールは、主に一つ目を強く問うた。
フォードと渥美は、主に二つ目へ巨大なエネルギーを注いだ。
そしてフォードの矛盾を見ると、二つ目だけでは足りないことが分かる。
反対に、生活者の現実を考えれば、一つ目だけで十分とも言えない。
経済を民主化すると、人は幸せになるのか
最初の問いへ戻ろう。
経済を民主化すると、人は幸せになるのか。
この問いに、四人から「なる」と答えることはできない。
幸福は、制度一つで決まるほど単純ではない。
家族、健康、仕事、所得、人間関係、自由、偶然、価値観。人がよく生きられるかどうかには、もっと多くの条件が絡む。
ただ、この四人を並べると、経済の中で重要な二つの条件が見えてくる。
自分の生活を左右する仕組みに、声が届くこと。
そして、
人間らしく暮らすための物やサービスへ、現実に手が届くこと。
決定権だけあっても、貧困のままなら苦しい。
豊かな商品だけあっても、自分を左右する巨大な組織に何も言えなければ、別の苦しさが残る。
だから「経済を民主化する」という言葉を使うなら、何が、どこまで多くの人に開かれたのかを聞いた方がいい。
意思決定への参加なのか。労働者の共同決定なのか。安い商品なのか。高い賃金なのか。自由な時間なのか。企業に対抗できる組織なのか。豊かな暮らしへの入口なのか。
そのどれを広げたのかによって、同じ「民主化」でも社会はまったく違う形になる。
経済の民主化は、「権力」と「豊かさ」を同時に見る問いになる
1928年のナフタリは、政治だけ民主的でも、経済の大きな権力が民主主義の外にあれば不十分だと考えた。
1980年代のダールは、民主主義の基準を会社へ持ち込み、なぜ企業内部だけを例外にするのかと問い直した。
フォードは、低価格の商品と高い生産性によって、かつて限られていた豊かさへの入口を大きく広げた。しかし、会社の権力まで同じように広げたわけではなかった。
渥美俊一は戦後日本で、「経済民主主義」を大多数が豊かな消費生活を享受できる状態として語り、それを実現するためにチェーンストアの標準化、計数管理、大規模化を教えた。
四人は同じ答えを持っていない。
むしろ、答えが違うからこそ並べる意味がある。
経済を民主化するとは、単に「みんなで決める」ことでも、「みんなが買える」ことでもない。
少なくとも、二つの問いを同時に持つ必要がある。
その仕組みを、誰が決めているのか。
その仕組みが生み出した豊かさへ、誰が入れるのか。
経済民主主義という言葉が今も面白いのは、この二つを一度に見ようとすると、企業、労働、消費、権力、豊かさを別々の問題として切り離せなくなるからである。
「人は幸せになるのか」という問いに、一つの制度で答えることはできない。
しかし、経済の中で誰が何を決められ、誰がどんな豊かさに手を伸ばせるのかを見るとき、権力だけを見るのでも、豊かさだけを見るのでも足りない。
その二つのあいだに、経済を民主化するという100年近い問いが残っている。


