Hegelroom / Biography

Richard Joseph Neutra

建築 / オーストリア / 1892–1970

白い近代住宅の背後には、落ち込み、家族の負担、友人との決裂、焼けた自宅があった。

1935年、椅子に座るリチャード・ノイトラ
Los Angeles Times / UCLA Library / Wikimedia Commons / CC BY 4.0
1892Born
1970Died
78Age
建築Field

02 / Profile

リチャード・ノイトラとは?

リチャード・ノイトラ(1892–1970)は、ウィーンからアメリカへ渡り、ロサンゼルスを拠点に活動した建築家。ラヴェル・ヘルス・ハウスやファン・デル・レーウ研究住宅(VDL)で知られる一方、その生涯には妻ディオーネとの48年の結婚、三人の息子、抑うつ期、シンドラーとの友情と決裂、公共住宅の挫折、自邸火災と再建があった。

生誕
1892年4月8日
死去
1970年4月16日
年齢
78歳
出生地
オーストリア=ハンガリー帝国・ウィーン
活動地域
オーストリア、ドイツ、アメリカ
分野
建築、デザイン

03 / Life

一人の人生を読む

戦争で止まった渡米と、スイスで出会った18歳の女性

リチャード・ノイトラは1892年、ウィーンに生まれた。建築を学び、オットー・ワーグナーやアドルフ・ロースの影響を受け、若いころからアメリカへ渡ることを考えていた。だが第一次世界大戦がその計画を止めた。

戦後、仕事が安定しないヨーロッパを転々とする中で、1919年、療養先のチューリヒ湖畔で18歳のディオーネ・ニーダーマンと出会った。ノイトラは27歳だった。ディオーネの家族と食事をするようになり、二人は親しくなった。

ノイトラの仕事は不安定で、戦後の状況も厳しかった。二人が結婚したのは1922年末だった。

翌1923年、ノイトラはアメリカへ渡る。ディオーネもその人生に入っていくことになる。

妻は、夫の「抑うつの時期」を手紙に書いていた

1923年のディオーネの手紙には、彼女がリチャードの「抑うつの時期」や職業上の浮き沈みに、自分が耐えられるかを考えていたことが残っている。

同時に、自分自身についても不安を書いている。妻になり、相談役になり、家事や育児に追われることで、自分の音楽や人生を失ってしまわないか。ディオーネは後に三人の息子、フランク・ノイトラ、ディオン、レイモンドを育てる一方、音楽を続け、リチャードのエグゼクティブ・アシスタントとして出版や人間関係、膨大な書簡の整理にも関わった。

フランク・ノイトラには自閉症があった。ディオンは建築家になり、後年父と協働する。レイモンドは医師・研究者の道へ進んだ。

ノイトラの実務は、ディオーネの事務所労働と家族生活の上にも成り立っていた。

シンドラーの家で、二つの家族が暮らす

アメリカへ渡ったノイトラは、フランク・ロイド・ライトのもとで短期間働いた後、ロサンゼルスへ向かった。そこにはウィーン時代からの旧友ルドルフ・シンドラーがいた。

ノイトラ一家は、シンドラー夫妻のキングス・ロードの家へ入った。二つの家族が同じ住宅で暮らし、二人の建築家は同じ小さな仕事場で働いた。

家事の分担、台所の使い方、仕事の取り方、建築観、評価の差。日常と職業上の競争が同じ家の中に重なった。1930年、ノイトラ一家はキングス・ロードを離れる。その後、二人の関係は長く疎遠になった。

友情と競争が、同じ共同生活の中で続いていた。

国際的評価を得ても、自宅は借家だった

1929年、ノイトラはラヴェル・ヘルス・ハウスを完成させる。鉄骨、ガラス、吹付けコンクリートを使った住宅は、彼の名を国際的に知らしめた。

リチャード・ノイトラ設計のラヴェル・ヘルス・ハウス
ラヴェル・ヘルス・ハウス。MichaelJLocke / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0.

だが、そのころのノイトラ自身は自宅を所有していなかった。

ヨーロッパ旅行中、面識のなかったオランダの実業家ケース・ファン・デル・レーウから電報が届き、二人は会うことになる。後年のノイトラの回想では、ファン・デル・レーウがロサンゼルスを訪れた際、建築を案内した一日の終わりに、ノイトラが借家暮らしだと知ったことから、自邸建設資金を低利で貸す話へ進んだ。

世界的に知られ始めた建築家が、自分の家を建てる資金を支援者から借りた。1932年、その融資によってファン・デル・レーウ研究住宅が建つ。

ファン・デル・レーウ研究住宅は、研究施設である前に家族の家だった

シルヴァーレイクに建てたファン・デル・レーウ研究住宅(VDL)は、自邸であり、事務所であり、建築の実験場だった。家族はそこで暮らし、リチャードは設計をし、ディオーネは生活と仕事の両方を支えた。

シルヴァーレイクのファン・デル・レーウ研究住宅
ファン・デル・レーウ研究住宅。Daniel Kim / Wikimedia Commons / CC BY 2.0.

ノイトラは光、風、植栽、眺望、身体への刺激を住宅設計の条件として扱った。その思想は後年「人間と環境」の関係として理論化されていく。この家では建築理論だけでなく、夫婦、子ども、事務所スタッフ、訪問者の生活が同時に動いていた。

有名になっても、すべての計画が実現したわけではない

ノイトラの仕事は住宅だけではなかった。学校、集合住宅、低コスト住宅、戦時労働者住宅にも関わった。1949年には『タイム』誌の表紙にも登場し、近代建築家として大きな名声を得た。

ロサンゼルスの大規模公共住宅計画「エリシアン・パーク・ハイツ」は、政治的対立の中で実現しなかった。住宅で国際的評価を得た時期にも、都市や公共住宅へ広げようとして届かなかった仕事が残った。

1963年、自宅が焼ける

1963年3月21日の深夜、ファン・デル・レーウ研究住宅は火災に見舞われた。リチャードとディオーネは中西部へ出かけており、息子ディオンが現場へ駆けつけ、図面や資料の救出に関わった。

一週間ほどして帰宅したリチャードは71歳だった。ファン・デル・レーウ研究住宅の公式記録では、当初、再建は無理だと考えていたという。しかし家族で話し合い、建築基準との調整を重ね、ディオンの働きもあって再建する方向へ進んだ。

老年のノイトラが失った自邸を、息子世代が実務の中心へ入りながら再建していった。家族と仕事の関係もそこで変わった。

息子と組む父、長く疎遠だった友人

1965年、ノイトラは息子ディオンと正式にパートナーシップを組んだ。若いころに家族と事務所が重なっていた生活は、晩年には父子の共同実務という形にもなった。

一方、シンドラーとの関係には別の時間が流れていた。1953年、心臓発作から回復中だったノイトラが入院していた病院で、末期のシンドラーと偶然同じ病室になったという家族の回想が残る。長く疎遠だった二人がドイツ語で話し、笑っていたと家族は語っている。

競争と断絶を抱えた二人の関係の最後に、同じ病室で言葉を交わした時間があった。

白い住宅だけでは終わらない

1970年、ノイトラはヨーロッパ滞在中のヴッパータールで78歳で死去した。ディオーネとの結婚は48年に及んだ。

ノイトラの写真集には、白い壁、大きなガラス、風景へ開く住宅が並ぶ。その建築の背後には、戦争で遅れた移住、夫の抑うつ期を書き留めた妻、自分を失うことを恐れながら家庭と事務所を支えたディオーネ、三人の息子、友人シンドラーとの共同生活と決裂、借家暮らし、実現しなかった公共住宅、自邸火災、父子での再建と共同実務があった。

ノイトラは人間と環境の関係を建築で考えた。彼自身と家族の生活もまた、不安定さや衝突を抱えながら、その環境の中で続いていた。

04 / Timeline

時間の輪郭

  1. 18920歳

    ウィーンに生まれる

  2. 191927歳

    スイスで18歳のディオーネ・ニーダーマンと出会う

  3. 192230歳

    ディオーネと結婚

  4. 192331歳

    アメリカへ移住。ディオーネは手紙に夫の抑うつ期と職業的不安定さを書く

  5. 192533歳

    ロサンゼルスでシンドラー一家とキングス・ロードに暮らす

  6. 192937歳

    ラヴェル・ヘルス・ハウス完成

  7. 193240歳

    ファン・デル・レーウ研究住宅(VDL)を建設

  8. 194957歳

    『タイム』誌の表紙を飾る

  9. 196370歳

    ファン・デル・レーウ研究住宅が火災で焼け、家族で再建を決める

  10. 196573歳

    息子ディオンと共同事務所を組む

  11. 197078歳

    ヴッパータールで死去

05 / Works

主な仕事

01

住宅 / 1929

ラヴェル・ヘルス・ハウス

軽量鉄骨、ガラス、吹付けコンクリートを用いた丘陵地の住宅。

02

住宅・仕事場 / 1932

ファン・デル・レーウ研究住宅

家族の住居と設計事務所を重ねた自邸。1963年の火災後に再建された。

03

住宅 / 1946

カウフマン砂漠住宅

パームスプリングスの砂漠環境に応答した住宅。

04

労働者住宅 / 1942

チャンネル・ハイツ

戦時期にサンペドロ近郊で取り組んだ集合住宅計画。

06 / Conditions

リチャード・ノイトラの人生をつくったもの

  • 01

    妻と家族が支えた実務

    ディオーネは妻・母・相談役・音楽家・事務所スタッフを兼ね、ノイトラの仕事と家族生活は長く重なっていた。

  • 02

    友情と競争の両方を抱える

    シンドラーとは若いころからの友人だったが、共同生活と職業上の競争が重なり、長く疎遠になった。

  • 03

    成功の隣に不安定さと失敗がある

    国際的名声を得る一方、抑うつ期、借家暮らし、実現しなかった公共住宅、火災による自邸焼失などを経験した。

07 / Read more

もっと知る

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