Hegelroom / Biography

Jørn Utzon

建築 / デンマーク / 1918–2008

代表作は彼を世界へ押し上げた。同時に、家族ごと国を移し、最後にはその建物から本人を追い出した。

ヨーン・ウツソンが設計したヘレベックの自邸
seier+seier / Wikimedia Commons / CC BY 2.0
1918Born
2008Died
90Age
建築Field

02 / Profile

ヨーン・ウツソンとは?

ヨーン・ウツソン(1918–2008)は、シドニー・オペラハウスで知られるデンマークの建築家。だがその生涯は、一つの代表作の成功だけでは読めない。競技当選を家族で喜び、家族ごとオーストラリアへ移り、政治的対立の末に代表作から去り、その後は子どもたちと仕事を受け継ぎながら晩年まで設計を続けた。

生誕
1918年4月9日
死去
2008年11月29日
年齢
90歳
出生地
デンマーク・コペンハーゲン
活動地域
デンマーク、オーストラリア、スペイン、クウェート
分野
建築、デザイン

03 / Life

一人の人生を読む

造船所の町で育つ

ヨーン・ウツソンは1918年にコペンハーゲンで生まれ、幼少期から北ユトランドのオールボーで育った。父オーエは造船技師で、家族の暮らしは港と造船所の近くにあった。設計図や模型、船体の曲面は、建築を学ぶより前から身近なものだった。

1930年、両親はストックホルム国際博覧会を訪れ、グンナー・アスプルンドらの新しい建築に強い刺激を受けて帰宅したと、シドニー・オペラハウスの公式史は記している。家庭には造船の合理性と、当時の新しい芸術や建築への関心が同居していた。

ウツソンはデンマーク王立芸術アカデミーで建築を学び、1942年に卒業した。戦時中はスウェーデン、その後フィンランドで働き、アルヴァ・アールトら北欧の建築家に接した。さらに各地を旅し、古代建築や集落、自然の中で人がどこに立ち、何を見るのかを観察していった。

競技当選の電話を受けたのは、10歳の娘だった

1957年1月、ウツソン家に一本の電話がかかってきた。シドニー・オペラハウス国際設計競技の当選を知らせる電話だった。

その電話を取ったのは、当時10歳だった娘リンだった。リンの後年の回想では、父ヨーンと母リスは郵便局へ歩いて出かけており、リンは自転車で二人を追いかけて知らせたという。世界的な仕事の始まりは、建築事務所の会議室ではなく、一家の生活の中へ突然入り込んできた。

ウツソンの案は、海辺の大きな基壇と、その上に立ち上がる複数の屋根によって構成されていた。当選時の彼は38歳。国際的にはまだ無名に近かった。やがてこの一件は、本人だけではなく妻や子どもたちの暮らしを何年も動かすことになる。

描いた屋根が、すぐ建ったわけではない

1959年に工事が始まったが、競技図面に描かれた屋根を実際に建てる方法はまだ確立していなかった。ウツソンと構造家オーヴ・アラップらは、屋根の幾何学と施工方法を長く検討し、最終的に異なるシェルを一つの球面から切り出す「球面解法」へたどり着いた。

建てようとするたびに問題が現れ、その問題によって形そのものが変わった。ウツソンは大胆な形を描く一方、描いた形を施工可能なものへ何度も作り直した。

1963年初め、妻リスと三人の子ども、リン、ヤン、キムもオーストラリアへ移った。長男ヤンは現地で建築を学び、しばしばオペラハウスの現場を訪れたと後年振り返っている。父親の仕事は、家族の住む国、学校、友人関係まで変える生活そのものになっていた。

1966年2月28日、15分弱で終わった会談

巨大プロジェクトは技術だけでなく、費用と政治を抱えていた。1966年、ウツソンとニューサウスウェールズ州政府の関係は、未払い報酬や内部設計の試作費をめぐって悪化していた。

2月28日の正午、ウツソンは公共事業相デイヴィス・ヒューズの事務所を訪れた。シドニー・オペラハウスの公式記録では、会談は15分弱で終わった。数時間後、ウツソン側から、現在の条件では仕事を続けられないという趣旨の手紙が届けられた。政府はこれを辞任として扱った。

設計者の復帰を求める抗議も起きたが、ウツソンが計画へ戻ることはなかった。4月18日、一家はオーストラリアを離れた。ヨーン本人は、その後オーストラリアへ戻らなかった。

息子ヤンは後年、父がこの出来事を長く悲しんでいたと語っている。完成後の建物についても、自分が意図したものとは異なる部分を感じていたという。世界的な代表作になった建物を、ウツソン自身は最後までつくり切ることができなかった。

家族ごと離れたあとも、建築は続いた

シドニーから去った後、ウツソンはデンマークでキンゴー・ハウスやフレデンスボーの住宅群、バウスヴェア教会などを設計し、さらにクウェートやマヨルカ島でも仕事を続けた。

ヨーン・ウツソン設計のキンゴー・ハウスの中庭
キンゴー・ハウスの中庭。Seier + Seier / Wikimedia Commons / CC BY 2.0.

マヨルカ島には、家族のための自邸キャン・リスを建てた。仕事で国を移動し続けた一家にとって、建築は職業であると同時に、どこでどう暮らすかを決める行為でもあった。

息子キムは、若いころ父の影響の外で仕事をしたいと考えた時期があったと語っている。その後は父や兄ヤンと協働した。父と近くで働くと強い影響を受けすぎるため、離れた場所から手紙でやり取りする方がうまくいったこともあったという。

距離を取りたい気持ちと、受け継ぐ仕事が同じ家族の中にあった。

父が戻らなかった建物へ、息子が戻る

1990年代末、シドニー・オペラハウスとウツソンの関係は少しずつ修復された。高齢になったヨーン自身はオーストラリアへ行かなかったが、息子ヤンが父の代理としてシドニーを訪れ、改修や将来計画に関わった。

ヤンは幼いころからこの建物の話を聞き、青年期には現場を歩き、父が離れた後も家族の中で建物について語り続けてきた。数十年後、その息子が父のスケッチや考えを読み取り、完成後の建物へ再び持ち込むことになった。

2003年、ウツソンは85歳でプリツカー賞を受賞した。シドニー・オペラハウスはすでに世界的な象徴になっていた。競技当選を知らせる電話を娘が受け、仕事のため家族で国を移し、政治的対立で家族ごと去り、晩年には息子が本人の代わりに建物へ戻った。

2008年、ウツソンは90歳で死去した。翌年、オペラハウスで行われた追悼行事にはヤンとリンが出席した。

ウツソン家にとってシドニー・オペラハウスは、成功であり、移住の理由であり、父が完成を見届けなかった仕事であり、子どもたちが後年もう一度向き合うことになった建物でもあった。

04 / Timeline

時間の輪郭

  1. 19180歳

    コペンハーゲンに生まれ、オールボーで育つ

  2. 194224歳

    デンマーク王立芸術アカデミーを卒業

  3. 195738歳

    10歳の娘Linが自宅で競技当選の電話を受ける

  4. 195940歳

    シドニー・オペラハウス着工

  5. 196344歳

    妻Lisと子どもたちとオーストラリアへ移住

  6. 196647歳

    州政府との対立の末に計画を離れ、家族でオーストラリアを去る

  7. 197355歳

    シドニー・オペラハウス完成。本人は完成まで戻らない

  8. 197658歳

    バウスヴェア教会完成

  9. 199981歳

    息子Janを通じてシドニー・オペラハウスへ再関与

  10. 200385歳

    プリツカー賞受賞

  11. 200890歳

    死去

05 / Works

主な仕事

01

劇場 / 1973

シドニー・オペラハウス

1957年の国際設計競技当選案。ウツソンは建設途中の1966年に計画を離れた。

02

集合住宅 / 1958

キンゴー・ハウス

中庭をもつL字型住戸を地形に沿って配置した住宅群。

03

教会 / 1976

バウスヴェア教会

規則的な外部と、雲を思わせる曲面天井を組み合わせた。

04

住宅 / 1970

キャン・リス

マヨルカ島の自邸。家族が暮らす場所としてつくられた。

06 / Conditions

ヨーン・ウツソンの人生をつくったもの

  • 01

    仕事が家族の時間へ入り込む

    競技当選からオーストラリア移住、離脱、晩年の再関与まで、オペラハウスは本人だけでなく妻や子どもたちの生活にも入り込んだ。

  • 02

    代表作を完成させなかった建築家

    世界的代表作の設計者でありながら、制度との対立から建設途中で去り、完成した建物を自分の意図どおりには見なかった。

  • 03

    父の仕事から逃れたい子どもと、受け継ぐ子ども

    息子たちは父の影響から距離を取りたい時期を持ちながら、後年は設計や改修を通じて父の仕事と再び関わった。

07 / Read more

もっと知る

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