一人の人生を読む
真空管を、石の中の電子で置き換えられないか
ウィリアム・ブラッドフォード・ショックレーは1910年、アメリカ人の両親のもとロンドンに生まれた。家族は数年後にアメリカへ戻り、彼はカリフォルニアで育った。
1932年にカリフォルニア工科大学を卒業し、MITへ進む。1936年、固体のエネルギーバンドに関する研究で博士号を取得すると、ベル電話研究所に入った。
当時、電話やラジオ、計算機で信号を増幅する中心は真空管だった。真空管は重要な技術だったが、大きく、熱を出し、壊れやすい。もし固体の中で同じ仕事ができれば、電子機器はもっと小さく、丈夫になる。
ショックレーはその可能性に早くから取りつかれた。
1939年12月29日、まだトランジスタのないノート
1939年12月29日。ショックレーは研究ノートに、半導体を使って真空管を置き換える装置が可能ではないかという考えを書き残した。
まだ「トランジスタ」という名前すら存在しない時期である。第二次世界大戦をはさみ、実際に増幅作用を持つ半導体素子が生まれるまでには、さらに8年近くかかった。
戦争中、ショックレーは対潜水艦戦などのオペレーションズ・リサーチに携わった。終戦後の1945年、ベル研究所へ戻ると、固体物理の研究グループを組織する。そこに理論物理のジョン・バーディーン、実験に強いウォルター・ブラッテンらが加わった。
目標は同じだった。真空管を、半導体で置き換える。
最初に動かしたのは、バーディーンとブラッテンだった
1947年12月、バーディーンとブラッテンはゲルマニウムを使った点接触型の装置で増幅作用を確認した。これが最初の実用的なトランジスタ効果の実証となった。
ショックレーはグループを率いていたが、この決定的な実験を直接成し遂げたのは二人だった。後世に「三人がトランジスタを発明した」と一行でまとめると、研究現場にあった役割の違いや緊張は見えにくくなる。
ショックレーはそこで止まらなかった。点接触型とは別に、半導体の層を接合する構造を考え、接合型トランジスタの理論を発展させた。点接触型より安定して製造しやすい方向へ、トランジスタを大きく前進させる仕事だった。
1956年、三人でノーベル賞を受ける
1956年、ショックレー、バーディーン、ブラッテンの三人は、半導体研究とトランジスタ効果の発見によってノーベル物理学賞を共同受賞した。
この時点でトランジスタは、単なる研究室の珍しい装置ではなくなりつつあった。真空管より小さく、低消費電力で、やがて大量生産にも向く。ラジオ、通信、コンピュータの姿を変えていく基礎部品になる。
ショックレーの科学者としての強みは、目の前の実験結果を理論の中へ組み込み、次の構造を考える力にあった。1950年に刊行した『Electrons and Holes in Semiconductors』は、半導体中の電子と正孔を扱う重要な専門書となった。
研究所をつくれば、もっと速く進めるはずだった
ショックレーは1955年、長く勤めたベル研究所を離れた。アーノルド・ベックマンの支援を受け、カリフォルニア州マウンテンビューにショックレー半導体研究所を立ち上げる。
彼は全国から優秀な若い科学者と技術者を集めた。後にIntelを創業するロバート・ノイスやゴードン・ムーアも、その中にいた。
ここだけを見ると、ノーベル賞級の研究者が最先端の人材を集め、半導体企業をつくるという理想的な出発に見える。しかし組織運営はうまくいかなかった。
研究方針は頻繁に変わり、部下への不信も強まった。技術者たちは、より現実的なシリコントランジスタの開発を進めたいと考えたが、ショックレーは別の多層素子へ関心を移していた。経営者を替えてほしいという要望も実らなかった。
8人が辞めたことで、別の未来が始まる
1957年9月、研究所の主要メンバー8人がそろって辞職した。ショックレーは彼らを「裏切り者の8人」と呼んだ。
8人はフェアチャイルド・セミコンダクターを設立する。そこからさらに多くの企業が分かれ、ノイスとムーアはのちにIntelを創業した。
つまりショックレーの会社そのものは成功しなかったが、彼がマウンテンビューへ集めた人材が外へ飛び出したことで、後のシリコンバレーを形づくる重要な流れが生まれた。
これは単純な「失敗が成功を生んだ」という美談ではない。ショックレーの研究者としての眼力が優秀な人材を集めた一方、組織の中でその人材を生かせなかった。その二つが同時に存在した結果である。
科学的功績が、その後の主張を正しくするわけではない
1963年、ショックレーはスタンフォード大学の教授となった。その後、彼は半導体研究とは異なる領域で、人種、知能、遺伝についての主張を強く打ち出すようになる。
彼は集団間の知能差を遺伝で説明し、優生政策につながる考えを公に語った。これらの主張は科学者たちから強く批判された。スタンフォードでも遺伝学者らが、文化や環境の影響を無視して複雑な人間の特徴を単純な遺伝差へ還元することに反論している。
ここで難しいのは、過去の科学的功績と後年の主張をどう扱うかである。
ショックレーがトランジスタ物理に大きな貢献をしたことは変わらない。同時に、ノーベル賞を取った科学者だからといって、別の分野で語ったことまで正しいわけではない。専門知、名声、判断力は同じものではない。
発明の歴史を、一人の天才の物語にしない
ショックレーの人生には、現代の技術史を考えるうえでいくつものねじれがある。
トランジスタの未来を早くから見抜いた。優れた研究グループをつくった。しかし最初に動くトランジスタを作ったのはバーディーンとブラッテンだった。自分の会社に最高の人材を集めた。しかし、その人材は彼のもとを去り、別会社で大きな成功を収めた。
科学の歴史は、一人の天才がすべてを発明して前へ進む話ではない。着想する人、実験する人、理論をつくる人、製品にする人、会社を離れて別の組織をつくる人がいる。
ショックレーはその中心にいた人物の一人だった。そして彼の生涯は、科学的な才能の大きさと、人間や社会についての判断の確かさが別の問題であることも示している。
主な参考資料
- Nobel Prize, “William B. Shockley – Biographical / Facts”
- Computer History Museum, “The Silicon Engine”
- Computer History Museum, “1956: Silicon Comes to Silicon Valley”
- Stanford Report / Stanford Libraries, “Silicon Genesis”
- Stanford Department of History, “An Evolving View of Inheritance”
- KADOKAWA『The CODE シリコンバレー全史』
- 秀和システム『図解入門 よくわかる最新半導体の基本と仕組み[第3版]』
- Wikimedia Commons, William Shockley / first transistor image files




