一人の人生を読む
ゴルフの開始時刻がずれた
アイオワ大学で大学院生だった頃、アルバート・バンデューラ(Albert Bandura)は、友人と日曜日のゴルフに出かけた。二人は予約したスタート時刻に遅れ、後の組へ回された。前には二人の女性がいた。やがて追いついた二組は、一緒に回ることになった。
その一人が、看護学校で教えていたヴァージニア・ヴァーンズ(Virginia Varns)だった。二人は1952年に結婚する。何十年も後、バンデューラはこの出来事を振り返り、妻とはゴルフ場の「サンドトラップで出会った」と冗談めかして書いた。
予定どおりに出発していれば、二人は同じ組にならなかった可能性が高い。バンデューラは後年、この種の出来事を「偶然の出会い」が人生経路を変える例として扱った。同時に、その影響は、人が持つ能力や周囲の環境、その後の行動によって増幅も弱化もすると考えた。
1982年、56歳になったバンデューラは「偶然の出会いと人生経路の心理学」を論じた。計画、能力、動機だけでなく、予測できない出会いが人生経路を変える過程も心理学の対象に置いたのである。彼自身の人生には、その問いを思わせる分岐がもう一つあった。
心理学も、最初は予定になかった
バンデューラは1925年12月4日、カナダ・アルバータ州の小さな町マンダレに生まれた。父はポーランド、母はウクライナから十代で北米へ渡った移民だった。両親には十分な学校教育の機会がなかったが、子どもの教育を重んじた。バンデューラの回想では、父は自分で三つの言語を読むことを身につけ、地域の学校委員も務めた。
バンデューラは五人の姉のいる末っ子として育った。町の学校は小さく、高校課程を担当する教師は二人しかいなかったという。必要な科目をすべて授業で教えてもらえる環境ではなく、生徒たちはかなりの部分を自分たちで学ばなければならなかった。
晩年の自伝で、バンデューラはこの学校生活を、自分で学ぶ力を身につけた経験として振り返っている。これは少年期の経験が後の理論を生んだという記録ではなく、後年の本人が自分の過去に与えた意味である。
高校時代の夏には、エドモントンの家具工場で働き、さらにユーコン地方でアラスカ・ハイウェイを維持する基地の仕事にも加わった。大学へ進むと、生活費のため木工関係の仕事をしながら、ブリティッシュコロンビア大学(UBC)で学んだ。
心理学への入口は、進路計画より通学時間と時間割の偶然だった。早朝から授業のある学生たちと相乗りして大学へ通っていたため、自分の授業が始まるまで時間が余った。図書館で時間割を見て、朝早く受けられる心理学入門を見つけた。空き時間を埋めるために取ったその授業から、心理学へ進むことになった。
1949年、23歳でUBCを卒業し、アメリカのアイオワ大学大学院へ進んだ。1952年に博士号を取得し、翌年にはスタンフォード大学へ着任する。そこで始まった研究は、まず「人は周囲からどう影響を受けるのか」という側から進んでいった。
人は、見て学ぶ
1950年代の心理学では、行動がどのように学習されるかを説明するとき、報酬や罰によって行動が強められたり弱められたりする過程が大きな位置を占めていた。バンデューラも学習理論の強い環境で訓練を受けたが、やがて別の問題を前面に出す。
人は、自分自身が報酬や罰を受けなくても、他人がしていることを見て学ぶのではないか。
スタンフォードで、最初期の博士課程学生リチャード・ウォルターズ(Richard Walters)と家族内の攻撃行動を研究した後、バンデューラは観察学習を実験室で調べていった。1961年にはドロシア・ロス(Dorothea Ross)、シーラ・A・ロス(Sheila A. Ross)との共同研究で、後に「ボボ人形実験」として広く知られる研究を発表した。
子どもたちは、大人が空気を入れた大型の人形を殴る、倒す、特有の言葉を発するといった行動を見る。その後、大人のモデルがいない場面で、攻撃的なモデルを見た子どもたちは、非攻撃的なモデルを見た子どもや対照群に比べて、観察した特徴的な攻撃行動を多く再現した。
この研究では、子どもは同じ行動をするたびに直接ほめられていない。それでも、他人の行動を見ること自体が、新しい行動を学ぶ経路になりうることが示された。1963年には、実物の大人だけでなく、映像やアニメーションを通したモデルでも模倣が起こりうることを調べた。
この研究は、学習の説明に観察という経路を加えた。しかし、ボボ人形はやがて、実験そのものよりはるかに広い論争の象徴になっていく。
ボボ人形が、研究より大きな話になった
1960年代から70年代、アメリカではテレビの暴力表現が子どもへ与える影響が社会問題になった。バンデューラの研究は、その議論の中で繰り返し参照された。
1961年の実験が直接確かめたのは、統制された環境で、大人の特徴的な行動を観察した子どもが、その後に似た行動を再現しやすくなることだった。現実社会での長期的な暴力行動を説明するには、家庭、仲間、社会状況、報酬、規範など、さらに多くの条件を扱う必要がある。
バンデューラ自身も、後年の自伝で、実験室の観察学習研究と、社会全体でのメディア暴力の影響を区別しながら論争を振り返っている。その後の研究では、何を学ぶかだけでなく、学んだ行動をいつ実行するか、その判断に人自身がどう関わるかが前面に出ていく。
人は環境から影響される。では、その人自身は、自分の行動にどんな役割を持つのか。
「できる」と思うことは、どこから来るのか
次の転換は、攻撃行動ではなく恐怖の研究から生まれた。
バンデューラたちは、蛇に強い恐怖を持つ人たちに、段階を踏んで対象へ近づき、実際に扱える経験を積む方法を研究した。支援を受けながら、小さな行動を自分で成功させ、その範囲を広げていく。バンデューラはこの過程をguided masteryと呼んだ。
そこで彼が注目したのは、恐怖が減ることだけではなかった。人は「自分にはこの行動を遂行できる」という見込みを変えていく。その見込みが、難しい状況に近づくか、どれだけ努力するか、失敗のあとにどこまで続けるかと関わっているのではないか。
1977年、バンデューラは「Self-efficacy: Toward a Unifying Theory of Behavioral Change」を発表し、この考えを自己効力感(self-efficacy)として体系化した。
ここでいう自己効力感は、ある課題や状況に対して、必要な行動を自分が実行できるとどの程度見込んでいるか、という判断を指す。人間としての価値を評価する自己肯定感や、漠然とした自信より、具体的な行動に即した概念である。
バンデューラは、その見込みを形づくる情報として、自分で実際にやり遂げた経験、他者がやるのを見る経験、他者からの働きかけ、身体的・感情的な状態などを挙げた。なかでも実際の達成経験を重く見た。自己効力感は、行動と結果の経験を通して更新される見込みとして捉えられた。
人・行動・環境は、互いに動かし合う
観察学習は周囲のモデルから受ける影響を、自己効力感は自分の行動可能性についての判断を扱った。1980年代以降、バンデューラは両者を含む枠組みを社会的認知理論(social cognitive theory)として広げていく。
そこでは、人の考え方や身体状態などの個人的要因、実際の行動、周囲の環境が、一方向ではなく互いに影響し合うと考えた。
環境は人の選択肢を狭めたり広げたりする。人はその環境から学ぶ。しかし人の行動もまた、他者の反応や制度、次に出会う環境を変える。自分で直接できないことなら他者へ働きかけることもできるし、集団として環境を変えようとすることもできる。
2001年のレビューでは、バンデューラは人間のエージェンシーを、意図を持つこと、先を見通すこと、自分の行動を調整すること、自分自身を振り返ることなどから説明した。彼が想定したエージェンシーは、制約の中で意図し、予測し、調整し、環境へ働き返す能力だった。
この枠組みには偶然も入った。心理学講義との出会い、ゴルフ場での出会い。本人の人生にも、予測できなかった分岐があった。1982年の論文で彼は、偶然の出来事が誰に出会い、どんな能力や環境と結びつき、その後どう増幅されるかを心理学の問題として論じた。
一人の行動から、集団の行動へ
晩年の研究では、焦点が個人から集団へ広がった。
バンデューラは、人が集団として何をできると考えるか、つまりcollective efficacyやcollective agencyへ関心を広げた。社会的認知理論は、健康、教育、組織だけでなく、メディアを通じた社会変化にも応用された。
その一つが、連続ドラマの登場人物を通して、識字、家族計画、女性の地位、健康などについて行動のモデルを示すentertainment-educationだった。バンデューラは、自分の観察学習や自己効力感の考え方が、大規模な社会課題へ使われる過程に関わった。
90代になってもこの方向は続いた。リン・チェリー(Lynne Cherry)との論文では、若者が気候変動に対して他者とともに行動し、周囲へ影響を広げる過程を論じている。
2016年5月、90歳のバンデューラはホワイトハウスでNational Medal of Scienceを授与された。公式の受賞理由には、社会的学習の仕組み、自己に関する思考が動機づけや行動変容へ与える影響、そして社会的認知理論の発展が挙げられた。
ボボ人形から半世紀以上が過ぎていた。研究の中心は「他者を見た人がどう動くか」から、「人々が自分たちをどのような行為者だと考え、環境へどう働き返すか」まで広がっていた。
広がった理論には、異論も残った
自己効力感は、心理学、教育、健康、組織研究など多くの領域で使われるようになった。普及と並行して、因果性と測定をめぐる論争も続いた。
1980年代から、自己効力感については、行動との相関があるだけで「自己効力感が行動を引き起こす」と言えるのか、結果への期待や過去の成功経験とどこまで区別できるのか、といった批判が出た。後の研究でも、質問の仕方によっては「できるか」という能力判断に、「やるつもりがあるか」という動機まで混ざるのではないかという測定上の問題が論じられている。
論争の焦点は、何を測り、何を原因とみなすかにあった。広く使われた概念であるほど、その境界と因果関係は繰り返し検討された。
バンデューラ自身も批判へ応答しながら理論を修正し、対象を広げ続けた。観察学習から自己効力感、社会的認知理論、エージェンシーへと研究対象が広がるにつれ、「人は環境に規定されながら、どのように行為者でもありうるか」という問題も形を変えて続いた。
偶然のあとに残るもの
本人の自伝には、妻ヴァージニアと二人の娘と過ごしたハイキングやキャンプ、音楽や食事の時間が書かれている。死後、娘キャロルはStanford Magazineに、孫たちが訪れると父が仕事を置き、庭で一緒に過ごしたことを振り返っている。
バンデューラは2010年にスタンフォードでの現役教員生活から退いた後も、執筆と社会的応用への関心を続けた。2021年7月26日、スタンフォードの自宅で眠っている間に亡くなった。95歳だった。
ゴルフ場の出会いから約70年、彼の研究は観察学習、自己効力感、社会的認知理論、集団的エージェンシーへ広がった。どの段階でも焦点にあったのは、条件に影響される人が、その条件へどう働き返すかを説明することだった。
ゴルフの開始時刻のずれは、彼が後年、偶然を考えるときに繰り返し戻った個人的な例になった。偶然は人生経路を変える。その影響は、人の行動や周囲の環境との相互作用のなかで形を変える。1982年に論じたこの見方は、彼自身の研究史にも重なっている。
観察された行動を再現する子どもから、自己効力感を更新する個人、他者とともに社会へ働きかける集団へ。バンデューラは半世紀以上、人間が環境から影響を受けながら環境へ働き返す過程を心理学の言葉にしていった。




