一人の人生を読む
書きかけの原稿があるとき、戦争が始まろうとしていた
2003年、アメリカ軍によるイラク侵攻が近づいていたころ、歴史家ディーナ・リズク・フーリー(Dina Rizk Khoury)は、別の時代のイラクについて本を書いていた。舞台は、オスマン帝国が支配した時代のバグダードである。政治改革と反乱を調べ、原稿は半分ほどまで進んでいたという。
しかし、侵攻への動きが本格化するにつれ、彼女の関心は現代のイラクへ移っていった。新聞や政治家の議論には、サダム・フセイン、独裁、兵器、経済制裁といった言葉が並んでいた。それぞれに重大な意味のある問題だったが、その説明からは、何十年も戦争を生きてきたイラクの人々が見えなくなっている。フーリーにはそう感じられた。
フーリーは2013年のインタビューで、侵攻に反対する一人として、そして歴史家として、イラク人自身の歩みが議論から消えていることに不満を覚えたと説明している。書きかけの本から目を離し、彼女は目前の侵攻に至るまでの人々の時間を調べ始めた。
だが、フーリーが戦争を研究しようと考えるまでには、それよりずっと前の時間があった。
六か月の調査で見た、終わらない戦争の日常
フーリーはレバノン内戦の初期を含む時期を、自分の形成期として過ごしたと語っている。内戦が始まったとき、人々はいつか終わる一時的な異常として受け止めていた。ところが戦争が続くにつれ、明日も続くものとして暮らしを営まなければならなくなった。彼女自身も1980年代から1990年代にかけて、家族を訪ねてレバノンへ戻っていた。
1977年にベイルート・アメリカン大学を修了し、その後はアメリカで中東の歴史を研究した。1985年、学位論文のためイラクへ行き、六か月間を過ごしている。イラクでは1980年に始まったイランとの戦争がまだ続いていた。訪問から二年後の1987年には、ジョージタウン大学で博士号を取得する。
1985年の滞在について、彼女が後年まで覚えていたのは、戦争が生活のなかに組み込まれていたという感覚だった。戦争は戦闘の知らせが届く日だけの出来事ではなくなっていた。人々が暮らしを続け、政府がそれに対応するなかで、戦時であること自体が日常の前提になっていく。後年の彼女は、その変化に人々と政府がどのように関わったのかを問いにした。
レバノンとイラクは違う国であり、戦争の経緯も同じではない。それでも彼女にとっては、どちらにも「一時的なはずのことが、いつの間にか普通になる」という問題があった。この問いは、しばらく直接の研究テーマにはならなかったが、2003年の転換を考えるうえで重要だった。
モスルの歴史を書いていた人
フーリーが最初に取り組んだのは、現代の戦争ではなく、オスマン帝国時代のイラクだった。1997年に刊行した『オスマン帝国の国家と地方社会――モスル、1540〜1834年』(原題:State and Provincial Society in the Ottoman Empire: Mosul, 1540–1834、邦題仮訳)では、イラク北部の都市モスルをめぐり、帝国の統治と地方の有力者たちがどのような関係にあったかを調べた。
現在の国境線で地図を眺めると、国家が初めから一つのまとまりとして存在していたように思いやすい。しかし地方の人々には土地ごとの利害があり、税を集める役人がいて、町を動かす商人や有力者もいる。中央の命令だけでは社会は動かない。フーリーが長年見ていたのは、国家の仕組みと地方に暮らす人々との接点だった。
この初著書は中東研究に関わる学会から賞を受けた。ジョージ・ワシントン大学で教えるようになった彼女は、オスマン期のバグダードにも研究を広げていく。だからこそ、2003年の研究の転換は、既に積み重ねた仕事の上で起きた決断だった。
『戦時下のイラク』を書いたときにも、国家が人々をどのように扱うかという関心は消えなかった。ただし、調べる対象は大きく変わる。地方の有力者たちに代わって、徴兵された兵士、戦死した人の家族、戦地から戻った人々が、研究の中心に入ってきた。
国家の書類には、兵士はどう記されるのか
イラクは1980年から1988年までイランと戦った。その後、1990年のクウェート侵攻と翌年の湾岸戦争、長く続いた国際的な経済制裁を経験する。2003年の侵攻直前までのおよそ二十数年間に、複数の戦争とその後始末が日常に折り重なっていた。
フーリーはこの時代を、戦場での勝敗からだけ捉えなかった。国家は徴兵する人間を数え、軍から離れた者を処罰し、戦死者の家族を区分し、援助や称賛の対象を決める。戦争が続けば、そうした分類や手続きは官庁の普段の仕事になっていく。その一方で、そこに名を記された人間にはそれぞれ別の生活がある。
彼女が調べたバアス党の文書には、兵士を動員し、前線を保ち、脱走者を取り締まる国家の仕組みが残されていた。2013年の著書で紹介した1983年のイラク南部の事例では、軍と党の機関が協力して脱走兵らを追い、逮捕や殺害、公開処刑に至った経過が記録されている。戦争を支える行政は、ときに国内の人々へ向けられた暴力の行政でもあった。
とはいえ、書類を積み上げるだけでは、兵士が戦争をどう経験したかは分からない。そこでフーリーは、軍務に就いた本人たちに話を聞く道を選んだ。
アンマンとシリアで、兵士の話を聞く
2007年、フーリーはヨルダンの首都アンマンへ向かった。2009年にはシリアでも調査を行った。相手はイラン・イラク戦争や第一次湾岸戦争を経験したイラク人元兵士たちだった。政権の文書に残る動員や処罰の記録に、兵士本人の語りが加わっていった。
この聞き取りは、大学の研究室だけでできたわけではない。アンマンでは、イラク学術研究所の研究者ルシーン・タミニアン(Lucine Taminian)が、話を聞く相手とのつながりを作り、調査について助言した。フーリーは後年、こうした協力によって、イラン・イラク戦争が一世代の感覚を形づくったことを理解できたと記している。
兵士の一人、マジン・アル=ハディーシー(Mazin al-Hadithi)は、初めて敵兵を殺した経験を彼女に語った。戦闘の後、死亡したイラン兵の持ち物に家族の写真を見つけ、そこに写る子どもたちを目にしたという。それまで遠くの「敵」だった相手に、自分と同じような家族がいた。その事実に直面したときの記憶が、長く彼のなかに残っていた。
フーリーが聞き取ったのは、戦場から戻った兵士が長く抱えていた記憶だった。国家の文書には兵士を動員し、死者を顕彰する仕組みが残る。しかし、マジンの話に残っていたのは、殺した相手にも家族がいたと知った瞬間だった。フーリーは、同じ戦争についてのその異なる記録を、どちらも捨てずに読み解こうとした。
二〇一三年、一冊の本になった問い
2013年、フーリーは『戦時下のイラク――兵役、殉教、記憶』(原題:Iraq in Wartime: Soldiering, Martyrdom, and Remembrance、邦題仮訳)を刊行した。扱ったのはイラン・イラク戦争や湾岸戦争とその後の時代である。徴兵、兵士の死、家族の暮らし、政府の広報、戦争の記憶。これらを別々の問題として切り離さずに描いた。
その本では、戦争が例外状態のまま長く続いたのではなく、行政や文化、社会の関係そのものを変えていったと論じられる。国家が「殉教者」として称える人がいる一方、軍を離れる人もいた。戦うことに意味を見いだす人も、戦争の体験に苦しむ人もいた。フーリーは国家の文書と証言を照らし、矛盾した経験が一つの社会のなかに共存していた様子を追った。
彼女が本を書き始めた理由には、2003年の侵攻をめぐるアメリカの議論への強い違和感があった。だが、完成したものはその瞬間の政治的意見を述べるだけの文章にはならなかった。イラク人が二十数年にわたって暮らしてきた時間を取り戻そうとする歴史書となったのである。
2013年のインタビューで、フーリーはこの本がアラビア語に訳され、イラクの人々からどう読まれるかを知りたいと語っている。その後、大学の紹介には著書が実際にアラビア語へ翻訳・刊行されたと記載される。自分が調べた人々のいる言語で著作が読まれることは、研究を英語圏の議論だけに閉じない一つの道となった。
研究の外に戦争を置けない
2017年、カナダのサイモンフレーザー大学は、フーリーによる二日続きの講演・セミナーを案内した。一つはイラクの戦争が人々の生活と政治をどう変えたか。もう一つは十九世紀末から二十世紀初頭のペルシア湾沿岸を移動した人々と、旅券などの書類の歴史だった。戦争を調べた後も、国家が人間を分類し、その移動や暮らしを扱う仕組みへの関心は続いていた。
2020年から2021年にかけて、フーリーは中東研究学会の会長を務めた。2021年の会長講演で彼女が持ち出したのは、パレスチナの作家エミール・ハビービー(Emile Habibi)の作品に登場する、悲観と楽観の入り交じる生き方だった。
講演のなかでフーリーは、夏を過ごしたベイルートを思い起こしながら、紛争や強制移住のなかで暮らす人々のことを語った。抗議する人々や難民などの暮らしには、希望と喪失とが同時にある。中東について書き、教える研究者もまた、人々の希望と、彼らを取り巻く暴力の両方に向き合っている、と彼女は述べた。
さらに講演では、研究のために現地の人々や研究仲間の助けを借りる学者が、その人々に対してどのような責任を持つのかを問うた。2007年のアンマンでタミニアンの協力を得て聞き取りを行った経験を思えば、それは一般論として遠くにある問題ではない。歴史を書く仕事を可能にする人間関係の問題でもあった。
戦争の終わりに、記憶は終わらない
フーリーの研究は2013年の本で止まらなかった。2024年に発表した論文では、第一次世界大戦がイラクの国民的な記憶のなかでどう語られてきたかを取り上げた。王政時代には国家の成立を正当化する歴史となり、それに異を唱える人々には外国の支配の記憶ともなった。1958年の革命後には、また別の国家像のもとで意味づけが変わっていく。
1985年のイラクで、戦争が人々の普段の暮らしに入り込んでいるのを見た歴史家は、やがて兵士の言葉を集め、国家が戦争をどう記録するのかを調べるようになった。そして今度は、戦争が終わった後、その出来事が誰の記憶として残されるのかを問うている。
戦争には、始まった日付と終わった日付がある。けれど人が生きた時間は、その境目だけで区切れない。フーリーは書きかけの原稿を前にして、かつて見たイラクと、これから起こる戦争のあいだに横たわる長い時間へ研究の目を向けた。彼女の仕事は、その時間を、国家の言葉だけでも個人の思い出だけでも片づけずに書こうとする試みとして続いている。




