一人の人生を読む
広告の「正解」が増えるほど、全部同じになる
1947年、ビル・バーンバック(William Bernbach)は、当時働いていたグレイ・アドバタイジングの経営陣へ書簡を書いた。広告の世界には成功するための知識が蓄積し、技術は洗練されていた。
バーンバックは技術そのものを否定していない。問題にしたのは、成功した方法が規則になり、規則を守ることが考えることの代わりになることだった。競合も同じ正解を知れば、全員が正しく、全員が同じに見える。
広告が人を動かすには、正確さや技術に加えて、見た瞬間に「これは何だろう」と思わせる何かが必要だと考えた。
郵便室から始まり、言葉の仕事へ移った
1911年、ニューヨークに生まれた。ニューヨーク大学を卒業したあと、シェンリー蒸留会社の郵便室から働き始め、やがて文章を書く力を認められて広告の仕事へ移った。
1939年のニューヨーク万国博覧会では広報責任者グローバー・ウェイレンの文章仕事に携わり、その後は広告会社、軍務、化粧品会社コティを経てグレイへ進む。
この時期にバーンバックが見ていたのは文章だけではなかった。何を見せ、何を言わないか。どの一言と、どの一枚を組み合わせるか。広告を言葉と視覚の関係として扱うようになっていく。
1949年、「仕事の組み方」を会社にした
1949年、バーンバックはネッド・ドイル、マクスウェル・デーンとドイル・デーン・バーンバックを創業した。
そこで、コピーライターとアートディレクターを一つのチームとして働かせた。それまでのように文章を書き終えてから絵を付けたり、レイアウトの後に説明文を流し込んだりするのではない。最初から二人で「何をどう伝えれば人が振り向くか」を考える。
創造性を個人のひらめきだけに置かず、異なる能力を持つ人が互いの案を変えながら一つの広告をつくる制作方法へ変えた。
1959年、小さい車を「大きく見せる」のをやめた
1950年代末のアメリカでは、大きく、長く、豪華な車が強い存在感を持っていた。そこへ売り込むのは、小さなドイツ車のフォルクスワーゲン・ビートルだった。
ドイル・デーン・バーンバックは、小ささを隠さなかった。紙面に大きな余白を残し、その中へ小さな車を置き、見出しを「小さく考えよう(Think Small)」とした。小さいことを謝るのではなく、取り回しやすさや燃料消費、巨大である必要のなさへ価値の基準をずらした。
このキャンペーンでは、アートディレクターのヘルムート・クローネ、コピーライターのジュリアン・ケーニグらが具体的な制作を担った。バーンバックはクリエイティブ責任者として、こうした組み合わせと制作文化を率いた。
個々の広告の作者名を整理することより重要なのは、言葉と絵を最初から同じ問題として考える組織から、この表現が生まれたことである。
不利な特徴から、別の価値を見つける
フォルクスワーゲンの仕事では、小ささを消さなかった。別の広告では、品質検査ではねられた車を「レモン(Lemon)」と呼び、欠点の存在を品質管理の厳しさへつなげた。
市場2位だったエイビスの広告でも、「一番ではない」ことを隠さず、「だからもっと努力する」という顧客への約束へ変えた。
バーンバックの仕事には、一見不利に見える事実をまず残し、その事実が競合にはない意味を持つ場所を探す動きがある。商品の弱点を消して理想像へ寄せるのではなく、見方を変えることで選ぶ理由をつくった。
ルールを捨てるのではなく、ルールの外でも考える
1947年の書簡でバーンバックが警戒したのは、広告技術そのものではなかった。過去に成功した手法を学んだ結果、次の広告まで同じ答えにしてしまうことだった。
技術は失敗を減らせる。調査も顧客を理解する助けになる。しかし、競合も同じ方法を使えるなら、それだけでは人が振り向く理由にならない。
だから制作チームには、商品を正確に理解したうえで、まだ使われていない見方を探す役割が残る。バーンバックが「クリエイティブ革命」の象徴になったのは、奇抜さを礼賛したからではなく、その探索を会社の仕事の仕組みにしたからだった。
最も長く残ったのは、仕事の構造だった
フォルクスワーゲンやエイビスの広告は現在も広告史の代表例として残っている。それと同じくらい長く残ったのが、コピーライターとアートディレクターが最初から一緒に考える働き方だった。
現在では珍しくない。珍しくないということは、それだけ制作の標準として広がったということでもある。
1982年、バーンバックは71歳で亡くなった。広告やデザインの現場に残した問いは、単純な「ルールを破れ」ではない。使えるルールを学んだうえで、そのルールが考えることの代わりになっていないかを問い続けることだった。
参考資料
- ドイツ歴史研究所「ウィリアム・バーンバック」人物資料
- 広告会社ドイル・デーン・バーンバック「創業者と会社史」
- アート・ディレクターズ・クラブ殿堂「ビル・バーンバック」
- 1947年5月15日付書簡の資料
- カリフォルニア大学ロサンゼルス校図書館/ロサンゼルス・タイムズ写真コレクション
- 国立国会図書館レファレンス協同データベース「アメリカの広告人の伝記」
- ウィキメディア・コモンズ画像権利ページ



