一人の人生を読む
写真家になるのに、大学の美術教育はいらなかった
ウォルター・アーネスト・ストーンマンは1876年、イングランド南西部のプリマスに生まれた。
伝記によれば、プリマス・カレッジを15歳で離れ、若いうちから写真の仕事へ入った。19世紀末の写真家は、現在のように美術大学で写真を学んでから作家になるとは限らない。スタジオで撮影、現像、プリント、顧客対応を覚えながら職人として育つ道が大きかった。
ストーンマンもその一人だった。21歳になる1897年ごろには、ロンドンのベーカー・ストリートにあった大手写真館J・ラッセル&サンズ(J. Russell & Sons)で働いている。
ここで撮る相手は、一般の記念写真だけではなかった。王族、政治家、軍人、貴族、学者、芸術家。社会的に名の知られた人物が次々にカメラの前へ座った。
写真を上手に撮ることと、有名人を撮れる場所にいること。その二つを備えたスタジオの中で、ストーンマンは若手から経営を担う立場へ上がっていく。
一人を撮る仕事から、「時代全体を残す」仕事へ
転機は1917年だった。
第一次世界大戦のさなか、ストーンマンは英国国立肖像画美術館(National Portrait Gallery)の館長ジェームズ・ミルナーに、一つの構想を持ち込んだ。
著名なイギリス人を、その都度ばらばらに撮るのではなく、継続的に写真に残していく。
後に国立写真記録(National Photographic Record)と呼ばれる仕組みである。
対象者にはスタジオでの撮影を依頼し、一回の撮影から作られた写真を美術館の記録として保存する。公開展示のためというより、まずは「この時代に誰がいたのか」を後世に残すための資料だった。
これは少し不思議な仕事である。
通常、肖像写真は一人の依頼人のためにつくられる。ところが国立写真記録では、一枚の写真が同時に国家的な記録の一部になる。
ストーンマンの仕事は、写真家として人物を撮ることから、人物を記録し続ける仕組みそのものをつくることへ広がっていった。
毎年100人、200人と撮り続ける
国立写真記録は、一度の大型企画で終わらなかった。
英国国立肖像画美術館によれば、ストーンマンはその後41年間にわたってこの仕事を続け、およそ7000人を撮影した。年によって違いはあるが、毎年100人から200人ほどが新たに記録へ加わっていった。
1920年には後に首相となるスタンリー・ボールドウィン。1924年には作家ラドヤード・キプリングや建築家エドウィン・ラッチェンス、ジャイルズ・ギルバート・スコット。1948年には詩人T・S・エリオット。1950年には後の首相アンソニー・イーデン。
写真史の教科書に載るような一枚の傑作を残す仕事とは、少し性格が違う。
必要なのは、四十年以上にわたって人を呼び、撮り、整理し、また次の人を撮ることだった。
その結果、現在の美術館のデータベースでは、ストーンマンは1万8000点を超える肖像資料と関連づけられている。これは7000人という撮影人数と矛盾しない。同じ人物について複数のネガやプリント、別カットが存在するからである。
1921年、同じ考えを王立協会へ持っていく
ストーンマンがつくった「人を継続的に写真で記録する」という仕組みは、英国国立肖像画美術館だけにとどまらなかった。
王立協会(Royal Society)のアーカイブには、1921年のストーンマンとの書簡が残っている。彼は、協会の会員たちも継続して撮影することを提案した。
協会の評議会は提案を承認した。翌1922年の書簡には、ストーンマンから肖像写真を受け取ったことへの礼が記録されている。
現在、王立協会には20世紀の科学者たちの肖像が大量に残っている。その背景にも、こうした仕組みがある。
誰かが「偉大な科学者だから一枚撮ろう」と思うだけでは、何十年にもわたる記録にはならない。
対象を選ぶ。撮影する。受け取る。整理する。保存する。そして翌年も続ける。
写真を制度として続けることが必要だった。
ただし、「誰を残すか」は中立ではない
国立写真記録には、もう一つ見逃せない面がある。
「その時代を代表する人物を記録する」と言っても、誰を代表者とするかは自然に決まるわけではない。
初期の記録では、政治家、軍人、王族、司法関係者、学者など、当時の制度の中心にいた人々が大きな割合を占めた。英国国立肖像画美術館が特定の一人の写真家と独占的に仕事をすること自体にも、当時から批判があったという。
つまり国立写真記録は、20世紀英国の人物を残した巨大な資料であると同時に、20世紀前半の英国社会が「残す価値がある」と考えた人物の一覧でもある。
アーカイブは、ただ過去を保存するだけではない。
何を保存するかを決めることで、後世から見える過去の形そのものをつくる。
ストーンマンの仕事が面白いのは、ここにある。
王や首相も、同じ記録の一人になる
ストーンマンが撮った人物には、国王ジョージ6世、複数の首相、軍人、科学者、建築家、作家が含まれる。
一枚一枚だけを見れば、端正なスタジオ肖像である。
しかし数千人分を並べると意味が変わる。
服装、表情、職業、肩書、誰が招かれ誰が招かれなかったか。写真は「この人はどんな顔をしていたか」だけでなく、当時の社会がどのような人々によって構成されていたと考えていたのかまで見せ始める。
個人の肖像が集積すると、社会史の資料になる。
ストーンマン自身がすべてを予想していたかどうかとは別に、彼が四十年以上続けた仕事は、結果としてそのような規模に達した。
写真家が死んでも、記録は止まらなかった
1940年代に入っても、ストーンマンは撮影を続けた。1948年には写真への貢献で大英帝国勲章(MBE)を受けたと伝えられている。
1958年5月、82歳で死去する。
けれど国立写真記録は終わらなかった。
後を継いだのは写真家ウォルター・バード、その後はゴッドフリー・アージェントだった。事業は1970年まで続き、記録された人物は最終的に1万人を超えた。
これは、ストーンマンの仕事の性格をよく表している。
一人の写真家の作品集なら、その人がカメラを置けば制作は止まる。
しかし彼がつくったのは、本人がいなくなっても続けられる仕組みだった。
ウォルター・ストーンマンの名前は、彼が撮ったチャーチルや国王ほど知られていない。
それでも私たちが今、20世紀前半のイギリスを生きた何千人もの顔を見ることができる背景には、一人ずつ撮り続けるという地味な仕事を、四十年以上やめなかった写真家がいる。




