Hegelroom / Biography

Lena Maria Vendelius

音楽 / スウェーデン

競泳を終えて歌手になり、店を閉じてまた旅へ出た。止まるたびに、仕事の形を作り直した。

1998年長野パラリンピック開会式会場となったエムウェーブの冬景色
Naganojmmmm / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
1968Born
Died
Age
音楽Field

02 / Profile

レーナ・マリア・ベンデリウスとは?

レーナ・マリア・ベンデリウスは、パラ水泳のスウェーデン代表から歌手へ転じ、絵画、執筆、講演、店舗運営、オンライン教育へと仕事を広げてきた。1998年には長野パラリンピック開会式で歌い、翌年には小学館の学習まんが人物館の主人公にもなった。身体条件と必要な支援を生活の現実として引き受けながら、状況が変わるたびに仕事の組み合わせを作り直してきた人生をたどる。

生誕
1968
出生地
スウェーデン
活動地域
スウェーデン、日本、アジア
分野
音楽、パラスポーツ、絵画、執筆・講演

03 / Life

一人の人生を読む

「できるか」より、どうやるかを覚えていった

レーナ・マリア・ベンデリウス(Lena Maria Vendelius)は1968年、スウェーデンに生まれた。日本では長く「レーナ・マリア」、また旧姓のクリングヴァルで知られてきた。

生まれたときから両腕がなく、左脚は右脚より短かった。原因は分かっていない。義足を使いながら、幼いころから足や口を使って日常の動作を身につけていった。

3歳で水泳を始めた。18歳でスウェーデン代表チームに入り、世界大会で2個の金メダルを獲得し、2つの世界記録を出した。1988年にはソウル・パラリンピックに出場する。同じころ、スウェーデンのテレビ・ドキュメンタリーでも知られるようになった。

競泳は彼女を国際舞台へ連れていった。その後の人生では、競技で身につけた経験を残しながら、仕事の中心を別の場所へ移していく。

水泳を終え、音楽へ移る

水泳の次に大きくなったのが音楽だった。ストックホルムの王立音楽大学で学び、その後、歌手としての活動を本格化させる。

1990年代に入ると海外公演が増えた。とりわけ日本、韓国、台湾などアジアとの関係が長く続いた。日本には繰り返し訪れ、コンサートだけでなくテレビや出版を通して名前が知られていく。

一方で、絵も描いていた。1990年から「口と足で描く芸術家協会」に参加し、足や口で制作を続けた。自伝も書いた。泳ぐ人、歌う人、描く人、書く人。活動は一つの肩書きに収まらなくなっていった。

1998年3月5日、競技者ではなく歌手としてパラリンピックへ戻る

1998年3月5日、長野パラリンピック冬季競技大会が開幕した。会場はエムウェーブ。レーナ・マリアは開会式で歌った。現在の本人公式プロフィールには、「アメイジング・グレイス」と「輝く日を仰ぐとき」の2曲を歌ったと記されている。

10年前、彼女はソウルでパラリンピックの競技者だった。長野では、歌手として同じパラリンピックの場に立った。

水泳で得た国際経験の上に音楽活動が重なり、日本との関係もさらに広がった。競技者だった時間を消すことなく、別の役割でパラリンピックの舞台へ戻った一日だった。

日本では、自伝の次に漫画の人物になった

同じ1998年、日本では自伝『レーナ・マリア : フット・ノート足で書かれた物語』が小学館から刊行された。翌1999年には、小学館の「学習まんが人物館」で『レーナ・マリア』が出版された。

日本で彼女の名前は、音楽、公演、テレビ、書籍、漫画を通して広がった。身体の使い方や競技歴は強い印象を残したが、その後も仕事は変わり続けた。水泳から音楽へ移り、絵を描き、本を書き、講演をし、店を持ち、またツアーへ戻る。身体条件が変わらない時間の中で、仕事の組み合わせは何度も変わっている。

40代になっても、肩書きは増えた

2008年、レーナ・マリアはスウェーデン国王からメダルを受けた。芸術家・アスリートとしての活動と、障害のある人々の模範としての貢献が理由とされた。

翌2009年には国際講演会に登壇した。大会側の紹介は「画家、歌手、アスリート」。すでに複数の仕事が一つの経歴に重なっていた。

その後、ヨンショーピング中心部では数年間、店舗も運営した。2017年、その店を閉じる。再びツアー活動へ力を入れるためだった。

同じ2017年6月10日、パトリック・ベンデリウスと結婚し、現在の姓になった。二人はヨンショーピング郊外の田園地域で暮らしている。

2020年、移動できなくなった仕事を作り替える

長く海外公演を続けてきた人にとって、2020年の新型コロナウイルス感染症は仕事の前提そのものを崩した。本人の公式サイトによれば、予定されていた公演や海外ツアーはほぼすべて中止になった。

そこで、オンラインの歌唱講座を開発した。スウェーデン語だけでなく、日本語、韓国語など複数の言語で展開した。

さらに学びを続け、2023年にはカウンセリングセラピストの資格を取得した。50代になってからも、歌う仕事の外側へ活動領域を広げている。

仕事が止まったときには、以前と同じ形が戻るのを待つのではなく、移動を前提にしていた活動を別の形に組み直した。

自立を、方法として考える

レーナ・マリアは、足で絵を描き、水泳で世界記録を出し、世界各地で歌ってきた。それと同じ生涯の中で、仕事をやめたり、別の仕事へ移ったり、必要な支援を使ったりもしている。

2011年のインタビューでは、年齢を重ねるなかで掃除や洗濯など一部の生活実務に助けを使うようになったと話している。自立には、必要な支援を組み込みながら、自分の生活を自分で設計する方法もある。

競泳、音楽、絵画、執筆、講演、店舗、オンライン教育、カウンセリング。彼女が長い時間をかけて続けてきたのは、一つの能力を証明し続けることではなく、その時々の状況に合わせて、自分が使える力と支援の組み合わせを作り直すことだった。

04 / Timeline

時間の輪郭

  1. 1968

    スウェーデンに生まれる

  2. 1970年代初め

    3歳から水泳を始める

  3. 1980年代後半

    18歳でスウェーデン代表入り。世界大会で金メダル2個、世界記録2個

  4. 1988

    ソウル・パラリンピックに競泳選手として出場

  5. 1990

    口と足で描く芸術家協会に参加

  6. 1991頃

    音楽教育を終え、歌手として海外ツアーを本格化

  7. 1998

    3月5日、長野パラリンピック開会式で歌唱。日本語版自伝も刊行

  8. 1999

    小学館の学習まんが人物館『レーナ・マリア』が刊行

  9. 2008

    芸術・スポーツ・社会的活動を理由にスウェーデン国王からメダルを受ける

  10. 2009

    国際講演会に登壇

  11. 2017

    店舗を閉じツアー活動へ再集中。6月10日、パトリック・ベンデリウスと結婚

  12. 2020

    コロナ禍で公演・海外ツアーがほぼ停止し、オンライン歌唱講座を開発

  13. 2023

    カウンセリングセラピストの資格を取得

05 / Works

泳ぐ・歌う・描く・教える

01

競泳 / ソウル / 1988

ソウル・パラリンピック

スウェーデン代表として出場。競技者として国際舞台に立った。

02

歌唱 / 長野・エムウェーブ / 1998

長野パラリンピック開会式

競技者として出たパラリンピックに、10年後は歌手として戻った。

03

自伝 / 1998

『レーナ・マリア : フット・ノート足で書かれた物語』日本語版

本人の生活と仕事を自分の言葉でたどる日本語版。

04

講演 / 2009

2009年の国際講演会

画家、歌手、アスリートとして紹介され、国際会議の舞台で経験を語った。

05

教育 / 2020

オンライン歌唱講座

海外公演が止まったコロナ禍に、移動を前提としない仕事として開発した。

06 / Conditions

レーナ・マリア・ベンデリウスの人生をつくったもの

  • 01

    仕事の組み替え

    競泳から音楽、絵画、執筆、講演、オンライン教育へと活動の形を変え続けた。

  • 02

    身体と自立

    身体条件を隠さず、必要な支援も使いながら、自分の生活と仕事の方法を作った。

  • 03

    日本との関係

    1990年代から繰り返し来日し、長野パラリンピック開会式、書籍、学習漫画を通して知られた。

  • 04

    学び直す

    50代でもオンライン教育やカウンセリングを学び、新しい仕事へ広げている。

07 / Read more

もっと知る

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