一人の人生を読む
歴史家になる前は、言語を研究していた
ヨハン・ホイジンガ(Johan Huizinga)は1872年12月7日、オランダ北部のフローニンゲンに生まれた。後にヨーロッパを代表する文化史家になるが、若いころから歴史学者になる道を一直線に歩いたわけではない。
フローニンゲン大学で学んだ彼が強く惹かれたのは、言語学と東洋の言語だった。1897年、古代インド演劇における道化役を扱った研究で博士号を取得する。卒業後はハールレムの学校で歴史を教えながら研究を続けた。
ところが、関心は次第に中世ヨーロッパへ移っていく。1905年、32歳でフローニンゲン大学の歴史学教授となり、1915年にはライデン大学へ移った。専門を変えたというだけではない。後の著作を見ると、言葉、イメージ、儀礼、象徴に対する若いころからの感覚は、歴史を書く方法そのものへ持ち込まれていった。
中世を「暗い時代」として片づけない
1919年、46歳で『中世の秋』を刊行した。扱ったのは主に14世紀から15世紀のフランスとネーデルラントである。
ホイジンガが描いたのは、王朝や戦争の年表だけではなかった。宗教儀礼、騎士道、衣服、祭り、死への恐れ、愛の表現、色彩や象徴。人びとが世界をどのように感じ、どんな形式を通して生きていたかを重ねて、一つの時代の輪郭を描こうとした。
題名の「秋」も単純な衰退の意味ではない。ルネサンスを新しい時代の突然の始まりとして切り離すより、中世末期の文化が熟し、過剰なほど形式化され、その内部から別の時代へ移っていく過程を見る。その描写は、政治史や制度史だけでは捉えにくい過去の質感を歴史学へ持ち込んだ。
歴史家が、自分の時代の危機を書く
第一次世界大戦を経て、1920年代から30年代のヨーロッパでは政治的緊張が強まっていった。ホイジンガは過去だけを書いていたわけではない。1935年には『明日の影の中で』を刊行し、同時代の文化が理性や節度を失っていくことへの危機感を論じた。
その三年後の1938年、65歳で『ホモ・ルーデンス』を刊行する。そこで扱った「遊び」は、仕事の反対としての余暇ではない。競技、祭礼、法、戦争、詩、学問など、人間の文化の多くが、一定のルール、境界、緊張、反復をもつ遊びの形式と深く結びついていると考えた。
歴史家が「遊び」を大きな主題にしたことは、後のゲーム研究からも繰り返し参照されることになる。ライデン大学でも、21世紀のゲーム研究を語る際に『ホモ・ルーデンス』が再び取り上げられている。
1942年、大学を辞める
1940年、ドイツ軍がオランダを占領した。大学も占領政策の外にはいられなかった。
1942年4月29日、69歳のホイジンガは、他の教授たちとともに、自分たちはもはや占領者の政策と両立できないとして教授職の辞職を申し出た。5月には王立科学アカデミーの部門長職を退くことを強いられ、6月1日、教授職から正式に離れた。
その二か月後、8月7日、彼は他のライデン大学教授8人とともに逮捕され、シント・ミヒールスヘステルの人質収容所へ送られた。
後から見れば、文化史の大家が占領に抵抗したという一文でまとめられる。しかしその時点で、ホイジンガは70歳を目前にした研究者だった。自分の大学から離れ、自由に住む場所も選べず、戦争がいつ終わるかも分からない。
収容所で迎えた10月3日
シント・ミヒールスヘステルでは、拘束された人びとが議論や講演、音楽会を開いて時間を過ごしていた。ホイジンガもそこで一度、自分が長く勤めたライデンの歴史について語った。
1942年10月3日。ライデンでは毎年、1574年のスペイン軍による包囲から都市が解放された日を記念する。この日、収容所にいるホイジンガは「ライデン解放」を主題に講演した。
彼自身は、その時まさに占領下で自由を奪われている。16世紀の都市が敵の包囲から解放された日を、20世紀の人質収容所で語ることになった。講演の場の細かな会話や本人の内心までは資料から再現できない。確認できるのは、10月3日にその講演を行ったという事実である。
健康状態が悪化し、10月25日に釈放された。しかしライデンへ戻ることは許されなかった。居住地をヘルダーラント州かオーファーアイセル州に限られ、11月10日から同僚ルドルフ・クレーフェリンガが所有するデ・ステーフの家で暮らした。
解放を待ちながら書く
デ・ステーフでも研究をやめなかった。1943年には、ヨーロッパ文明がどこまで壊れうるのかを考える『傷ついた世界』を書き、自身がどのように歴史へ向かったかを振り返る文章も残した。
1944年秋、連合軍によるマーケット・ガーデン作戦でアーネム周辺は激しい戦場となり、デ・ステーフにも被害が及んだ。ホイジンガはその土地で戦争の終結を見ることなく、1945年2月1日に72歳で死去した。オランダ全土の解放はその数か月後だった。
遊びを、文化の中心へ置いた人
『中世の秋』と『ホモ・ルーデンス』は一見すると別の本に見える。一方は中世末期の文化史で、もう一方は遊びをめぐる文化論である。しかしどちらにも、制度の名称だけでは文化は捉えられないという姿勢がある。
人は規則をつくり、儀礼を繰り返し、象徴を共有し、競い、祝う。その形式の中で社会を生きている。ホイジンガは、そうした一見周辺的に見えるものを歴史の中心へ持ち込んだ。
彼の議論のすべてがそのまま現在の歴史学やゲーム研究で受け入れられているわけではない。それでも、「人間は何をしたか」だけでなく、「どんな形式の中で世界を経験したか」を問う視点は、現在まで読み継がれている。
主要参考資料
- Huizinga Online / Leiden University Libraries — Life / chronology / archive
- Leiden University — Huizinga reconsidered: play in the digital age




