Hegelroom / Biography

Jan Gehl

建物を見上げる前に、広場に誰がいるかを見る

2006年、コペンハーゲンのEurogel会議で講演するヤン・ゲール。
画像の出典
1936Born
Died
Age
Field

02 / Profile

ヤン・ゲールとは?

ヤン・ゲールは、都市を建物や交通量だけで判断せず、歩き、座り、立ち止まる人の行動から考える方法を広めたデンマークの建築家。心理学者の妻イングリッドとの調査を起点に、都市の生活を測り、各地の公共空間の改善に関わった。

生誕
1936-09-17
出生地
デンマーク、ボーンホルム島ロンネ

03 / Life

一人の人生を読む

人のいない広場に立つ

1992年、デンマークの建築家ヤン・ゲール(Jan Gehl)は、オーストラリア西部の都市パースを訪れた。市から依頼を受け、中心市街地の使われ方を調べるためだった。後年、彼は、街の中心にあるフォレスト・プレイスという広場で、人影の少ない夜を過ごしたことを回想している。

中心部に働く人はいても、仕事が終わると街が空になる。飲食店や酒場は別の地区、ノースブリッジに集まっていた。ゲールは、なぜ楽しい場所を一か所にまとめ、ほかを空っぽにしてしまうのかと疑問に思ったという。ゲールの回想では、当時の市長は、飲食店が集中していれば少数の警察車両で管理しやすいと答えたという。

広場の形を図面の上から論じるだけでは、この夜の人の少なさは分からない。街に出て、人がいる場所といない場所を確かめる。国外の都市から招かれるようになっても、ゲールの仕事には、こうした地道な観察があった。

設計図だけでは答えられない

ゲールは1936年、デンマークのボーンホルム島ロンネに生まれた。幼少期を経て建築の道に入った理由は、後年の本人の説明によれば、特別に建築家に憧れたからではない。家族に建築家はおらず、高校では工学の道を考えていた。進学先について説明に来た建築学生の話が面白そうだった。それで建築へ進むことにしたという。

1954年に王立美術アカデミーの建築学校に入り、1960年に卒業した。彼が学んだ時代、建築の授業では近代主義の都市計画が強い影響力を持っていた。模型の上で建物を離して並べ、日光と空気を取り入れる住宅地を考える。上下水道を備えた明るい住まいは、それまでの都市住宅の問題を改善するための重要な目標だった。

その教育に疑問を抱くきっかけは、設計事務所での仕事の中にあった。ゲールの回想では、ある住宅開発を望む施主が、「人々にとって良い住まい」をつくってほしいと求めた。何をもって「人に良い」と言えるのか。住宅の形や設備を説明するだけでは、施主の問いに十分答えられなかったと、ゲールは振り返っている。

ゲールはこの疑問を、心理学を学んでいた妻イングリッド・ゲール(Ingrid Gehl)に持ち帰った。心理学なら、住まいと人の生活について答えがあるのではないか。だが、彼女が大学の関係者に尋ねても、建築と日常の行動を直接結びつける知識は十分に見つからなかったという。

イングリッドは、その疑問を夫に与えただけの人物ではない。のちに住宅・生活環境を専門に研究し、自ら著書を刊行する心理学者だった。建築家が建物の寸法を知っていても、そこで人が何をするのかまでは分からない。二人は、それを一緒に見に行くことにした。

イタリアの広場で、建物の外を見る

1965年、二人は研究資金を得て、半年にわたりイタリアの都市を訪ねた。ローマをはじめとする都市の広場では、人が通り過ぎるだけでなく、腰掛け、話し、周囲を眺め、時には長く留まっていた。夫妻が調べたのは、人がどこを歩くかだけでなく、どこに座るか、どんな場所が避けられるか、風や建物の配置が行動にどう関わるのか、ということだった。

広場があれば自然に人が集まるわけではない。同じ街の中でも、人が集まる場所と空いたままの場所がある。建物の間にどれだけの空間があるかを図面で測っても、その違いは説明できない。二人の関心は、建物そのものから、建物に囲まれた場所での暮らしへと移っていった。

帰国後、ゲールはコペンハーゲンの街路を継続して調べるようになった。1968年には王立アカデミーの同僚や学生とともに、季節だけでなく平日と週末、昼と夜を分けて公共空間の利用状況を記録した。夏の日曜日に人が多いというだけでは、街の生活は分からない。冬の平日の午後に誰が残るのかまで見なければならないからだ。

調査の場所として重要だったのが、コペンハーゲン中心部の商店街ストロイエである。ここでは1962年、市の判断によって車を排除した歩行者向けの街路がつくられていた。この変更をゲールが計画したわけではない。彼が行ったのは、車が減った場所で、人の過ごし方がどう変わるかを調べ、その結果を都市を考える人々に伝えることだった。

車の台数には調査がある。では、街角で立ち話をする人や、ベンチに座る人を、都市の計画資料として数えられないだろうか。ゲールはそれを長い時間をかけて実践した。1971年には『建物のあいだのアクティビティ』(原題『Livet mellem husene』)につながるデンマーク語の著書を発表した。同じ年、イングリッドも居住環境に関する自著『住環境』(原題『Bo-miljø』、邦訳未確認・仮訳)を刊行している。

当時、ゲールの関心に同意しない建築家もいた。2025年のインタビューで彼は、建築家の仕事は生活ではなく形を扱うことだ、と同業者から言われたのを覚えていると語った。建物を美しく設計する専門家にとって、人がそこで何をするかを数える研究は、建築の外側にある仕事にも見えたのである。

2013年のコペンハーゲン、ガメルトーヴ・ニュートーヴ側から見た歩行者空間ストロイエ。
2013年のコペンハーゲン・ストロイエ。1960年代の調査当時ではなく、後年の歩行者空間を写した写真。 — Nahid Vafaie / CC BY 2.0

数えることが、街を変える道具になる

ゲールの仕事は、街を歩く人の姿を観察して終わるものではなかった。調べた結果を都市の職員に渡し、以前と後でどう変わったかを比較できるようにした。交通部局が車の台数を数えるように、歩行者の人数や滞在する人の行動も長期的な資料にする。初めのころのコペンハーゲンでの調査は無償で行われたが、やがて市が調査を依頼し、費用を支払うようになったと彼は回想している。

1971年の著書が英語で出版されたのは1987年だった。その年ごろ、ゲールと仲間はノルウェーのオスロでも中心市街地の調査を行うようになる。自分の住む都市で長く見てきたことを、条件の異なる都市の行政に伝える段階へ移り始めた。

パースで人影の少ない夜を見た2年後、1994年のメルボルンでは、クリップボードと人数を数える器具を持って街路に立ち、歩行者を記録した。大規模な設計図より前に、実際の道が誰に使われているかを把握する。それは都市を動かす政治家や職員にとっても、目で確かめられる材料になった。

もちろん、調査結果を示した建築家が都市を一人で変えたわけではない。店を開く人、住む人、歩道を改修する担当者、予算を決める政治家がいなければ、調査は紙のまま残る。ゲールの仕事が広がるほど、彼の方法は、別の専門家が使い、行政が判断するためのものになっていった。

一人の研究から、事務所の仕事へ

2000年、ゲールは建築家ヘレ・ソーホルト(Helle Søholt)と、都市の公共空間を専門とする事務所を共同設立した。彼はそれまで長く大学で教え、研究してきた。街の利用状況を調べる方法を、一人の研究者の活動ではなく、複数の人間がさまざまな都市で実施できる仕事へ移す転換だった。

事務所はコペンハーゲンの外でも仕事を重ね、2007年から2009年にかけてニューヨーク市の公共空間の調査・検討にも参加した。車道の一部を歩く人のための空間に変える取り組みは、街路の幅を変える以上に、何を優先して道路を使うのかという行政判断を必要とする。ゲールたちの調査はその判断を支えたが、実際に施策を決め実行したのは市の行政や協力した人々である。

長年の研究で示そうとしたのは、都市の中心を巨大な建物の配置だけで決めないという姿勢だった。歩く速さで見えるもの、会話の距離、座って眺められる場所。都市の模型を上から眺めた建築学生は、街に足を置いたときの尺度を、仕事の中心に据えるようになっていた。

2010年、ゲールは『人間の街――公共空間のデザイン』(原題『Cities for People』)の原著を刊行した。同じ年、共同創業した事務所の所有者という立場からは退いた。それでも方法が終わったわけではなく、ソーホルトをはじめとする次世代の人々が都市での仕事を引き継ぎ、本人も執筆や講演を続けた。2013年にはビアギッテ・スヴァーレ(Birgitte Svarre)と公共生活の調べ方について共著を出している。

ただし、行政と協力する仕事が、いつも提案の実現につながったわけではない。同じ2013年、シドニー港沿いの大規模開発「バランガルー」で、ゲールは助言役を辞めた。建物をできるだけ多く建てようとする経済的な圧力のなかで、人が使う公共空間への配慮が後退していると問題視したためだった。街を観察し、提案することはできても、開発の最終的な判断を下すのは別の人々だった。彼は、その隔たりにぶつかってもいた。

2016年11月、ブラジルのポルトアレグレで講演するヤン・ゲール。
2016年11月、ブラジル・ポルトアレグレでの講演に登壇するヤン・ゲール。 — Fronteiras do Pensamento / Luiz Munhoz / CC BY-SA 2.0

良い街になったとき、誰が住めるのか

ゲールの仕事は、車が中心だった街に、歩く人や立ち止まる人の場所を取り戻そうとしてきた。その結果、居心地の良い街ができたとしても、残る問いがある。そこに住みたい人が増えて家賃や住宅価格が上がれば、以前から暮らしていた人が住み続けられなくなるかもしれない。

ゲールは、公共空間の改善が地域の人気を高め、住宅費を上昇させる問題を認めている。一方で、だから歩道を元に戻せばよいとは考えない。手頃な価格の住宅をどう確保するかは、行政や政治が別に取り組まなければならない、と論じた。人が集まる場所をつくることと、誰でもそこに居続けられることは、同じ政策ではないのである。

バランガルーで助言役を辞めた経験にも、観察と提案だけでは都市の決定を動かせない現実があった。まして住宅価格や居住者の権利は、歩行者の人数を数えるだけでは決められない。ゲールが都市の生活を可視化するほど、その結果をどう使うかは政治や行政に問われることになる。

2026年9月、ゲールは90歳を迎えた。コペンハーゲンではその仕事を振り返る展示が開かれたが、本人の発言は過去の成果だけに向けられてはいない。近年も、建物が大きすぎて地上の人の感覚を無視した開発や、歩いて過ごせる街のあり方について話している。

パースの広場で夜を過ごしたという回想から、すでに三十年以上がたった。そこに人がいないことを疑問に思った建築家の仕事は、都市が人の活動を数えるようになることを助けた。けれど、広場に人が集まるようになった後も、問いは終わらない。そこに来られるのは誰か。そして、その街で暮らし続けられるのは誰か。ゲールが始めた観察は、なお別の答えを必要としている。

07 / Read more

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