一人の人生を読む
15歳で入った大学
アラン・デイヴィッド・ブルームは1930年、インディアナポリスに生まれた。両親はともにソーシャルワーカーだった。少年期に家族がシカゴへ移り、1946年、ブルームは15歳でシカゴ大学の学部課程に入った。
大学は、その後のブルームにとって単なる勤務先ではなくなった。何を読むのか。誰と話すのか。自分が当然だと思っている価値を、別の時代の人間の言葉にさらすことができるのか。彼が後に大学教育について激しい言葉で論じる背景には、まず自分自身が大学という場所で古典と教師に出会った経験があった。
シカゴでは政治哲学者レオ・シュトラウスらに学び、1955年にイソクラテスの政治哲学を扱った博士論文でPh.D.を取得した。パリではアレクサンドル・コジェーヴとも接し、フランスやドイツで学ぶ時間を過ごした。アメリカの大学だけを内側から見ていた研究者ではなかった。
翻訳することは、古い本を現在へ連れてくること
ブルームはイェール大学を経て1963年にコーネル大学へ移った。1967年には同大学のClark Teaching Awardを受賞している。研究者としての代表的な仕事の一つが、1968年に刊行したプラトン『国家』の英訳と解説だった。
ブルームが古典を重視したのは、昔の権威に従えばよいと考えたからではない。現代人が当然だと思っている自由、平等、幸福、教育といった言葉を、まったく異なる前提を持つ著者にぶつけることで、自分たちの常識を比較できると考えたからだった。
この姿勢はルソーの翻訳にも続く。ブルームにとって読むことは、過去から正解を受け取る作業というより、現在の自分とは違う尺度を持つ相手と長い会話をすることに近かった。
1960年代末、大学のなかで起きた衝突
ブルームがコーネルで教えていた1960年代末、アメリカの大学では学生運動と大学改革をめぐる激しい対立が続いた。コーネルも例外ではなかった。ブルームは大学の対応や学問環境の変化に強い失望を抱き、1970年にコーネルを離れてトロント大学へ移った。
この経験を、後の著作の単純な原因にしてしまうことはできない。しかし、大学が何を守り、学生に何を要求すべきなのかという問いが、ブルームにとって抽象論ではなかったことは確かである。彼は教室で古典を読む一方、大学そのものが政治的・文化的な争いの場になる時代を経験していた。
1979年、ブルームはシカゴ大学へ戻った。Committee on Social ThoughtとCollegeで教え、後にはJohn U. Nef Distinguished Service Professorとなった。ここで作家ソール・ベローとも親しくなった。
本ではなく、会話をしに来た
ブルームとベローの交流について、ベローの妻ジャニスは後年、PBSのドキュメンタリーで具体的な一日を振り返っている。ブルームが夫妻を訪ねたとき、会話は台所で朝から夜まで続いた。ベローが外へ出て古い楓や庭の木を見ないかと誘うと、ブルームは木を見るためではなく、あなたと話すために来たのだという趣旨で返したという。
このエピソードは、彼の教育観を理解する小さな手がかりになる。古典を読むことも、大学で教えることも、彼にとって情報を一方向に渡す作業ではなく、相手と問いを往復させる会話だった。
1987年、学者の本がベストセラーになる
1987年、『アメリカン・マインドの終焉』(原題 The Closing of the American Mind)が刊行された。ソール・ベローが序文を書いたこの本は、大学教育、相対主義、音楽、性、古典の衰退などを横断しながら、若者の知的生活について論じた。
ブルームが批判したのは、単純な意味での「開放性」そのものではない。どの価値観も同じように正しいのだから判断してはいけない、という態度が徹底されると、異なる考えを本気で比較する理由まで失われるのではないか、と問うた。開かれた心を目指した結果、かえって問いが閉じる。この逆説が本の題名になっている。
専門家向けの本としては異例の反響だった。シカゴ大学は後に、この本が1987年の刊行時から強い称賛と批判の双方を受け、長く論争の焦点になったと振り返っている。ベストセラーになったことで、ブルームは突然、大学の教室を越えてアメリカ文化を論じる人物として知られるようになった。
「保守派」という一語では収まらない
『アメリカン・マインドの終焉』は保守派から強く支持され、ブルーム自身もしばしば保守思想家として紹介された。一方、本人はそのラベルだけで自分を説明することを拒んだ。彼が守ろうとした中心には、特定の政策綱領よりも、真理について考える生活、古典を読み、学生と問いを共有する生活があった。
そのためブルームを読むときは、「1960年代の学生運動に反対した教授」だけに縮めない方がよい。プラトン、ルソー、シェイクスピア、ニーチェ、愛や友情についての仕事まで見ると、彼の関心は政治的な陣営より広い。
最後まで、愛と友情を読む
晩年、ブルームは『Love and Friendship』の仕事を続けた。スタンダール、ジェイン・オースティン、フローベール、トルストイ、シェイクスピア、モンテーニュ、プラトンなどを読みながら、愛と友情が人間の生に何をもたらすかを考えた本である。
1992年10月7日、シカゴで62歳で死去した。同書は翌1993年に死後出版された。
ブルームの最も有名な本は、大学が「閉じた」と告発した本として記憶されている。しかし彼の長い仕事を通して見ると、問いはもう少し素朴で厄介である。大学へ来た若者に、まだ知らない生き方や考え方と本気で出会う機会を渡せているか。何でも選べる状態をつくるだけで、人は本当に考え始めるのか。その問いは、1987年の大学だけに閉じてはいない。
主な参考資料
- University of Chicago Press, Allan Bloom author page
- Simon & Schuster, Allan Bloom / The Closing of the American Mind
- みすず書房『アメリカン・マインドの終焉――文化と教育の危機』新装版
- University of Chicago Chronicle, “Scholars revisit Bloom’s The Closing of the American Mind” (1997)
- PBS American Masters, The Adventures of Saul Bellow
- Wikimedia Commons, Internationales Management-Gespräch: Allan Bloom




