一人の人生を読む
経済には、「どこで起きるか」という問題がある
工場をどこに置くか。
店はどこまでの客を相手にできるか。
ある都市が大きくなり、別の都市が小さいままでいるのはなぜか。
経済学は価格や生産量を扱う。しかし、アウグスト・レッシュが強く意識したのは、経済活動には必ず場所があるということだった。
生産地と消費地のあいだには距離がある。距離が伸びれば輸送費がかかる。価格が上がれば需要は変わる。企業が増えれば市場は分割される。
こうした関係を、レッシュは空間の形として考えた。
商業実習のあと、経済学へ進む
レッシュは1906年、ドイツのエーリンゲンに生まれ、ハイデンハイムで育った。
学校を終えると、すぐ大学へ行ったわけではない。まず商業実習を経験し、その後1927年からフライブルク、キール、ボンで経済学を学んだ。
重要な教師の一人が、ヨーゼフ・シュンペーターだった。
1932年に博士号を取得し、1934年からはロックフェラー奨学生として断続的にアメリカへ渡る。1936年にはボンで大学教授資格を取得し、再びアメリカで研究を続けた。
この時期、理論だけではなく、現実の産業や地域の配置を確かめながら、後の主著につながる材料を集めていった。
市場を「需要の円錐」として見る
レッシュの立地論で分かりやすいのが、需要を距離と結びつける考え方である。
生産地点の近くでは、商品を届ける費用が小さい。遠くへ行くほど輸送費が増え、消費者が支払う価格は高くなる。すると、一般には需要が小さくなる。
距離を横方向に、需要量を高さとして考えると、市場は円錐のような形で表現できる。
現実には、隣にも企業がある。円形の市場だけを並べれば隙間や重なりが生じるため、競争する市場を平面上に敷き詰めて考えると、六角形の市場圏が現れる。
1940年、レッシュはこうした問題を『経済の空間的秩序(Die räumliche Ordnung der Wirtschaft)』にまとめた。
題名を直訳すれば、「経済の空間的秩序」である。
企業の立地だけでなく、経済地域や国際貿易までを、一つの空間の問題として考えようとした。
しかし、理論が置かれた空間はナチ体制下だった
レッシュの伝記には、もう一つ重要な問題がある。
古い伝記では、彼は「ナチズムの断固たる反対者」と描かれてきた。実際、近年の研究も、レッシュがナチ思想の重要な部分に強い嫌悪を持っていたこと自体は否定していない。
ただし、そこで話は終わらない。
2023年、経済史家グンナー・ターケは、戦後に作られた「抵抗する学者レッシュ」という像を再検討した。
レッシュ自身が政治的に距離を取ろうとしても、彼の専門だった空間経済学は、ナチ体制が東ヨーロッパを再編しようとした空間研究のなかで価値を持ち得た。1940年から勤務したキール世界経済研究所も、戦時下の研究制度から切り離された場所ではなかった。
ここで重要なのは、反対者か協力者かを一語で決めることではない。
研究者が自分を「政治とは別の場所」に置いたとしても、その知識がどの制度で使われるかまでは切り離せない。
レッシュの伝記は、その問題を残している。
戦争が終わった直後に、研究人生も終わった
1944年、主著の第2版が出た。
翌1945年5月、ヨーロッパでは戦争が終わる。その直後の5月30日、レッシュはラッツェブルクで亡くなった。
まだ38歳だった。
彼の理論は、その後も生き残った。英語版『立地の経済学(The Economics of Location)』を通して国際的に読まれ、地域科学や都市・立地研究に影響を与えた。
1971年にはハイデンハイム市がアウグスト・レッシュ賞を創設した。現在、レーゲンスブルク大学の案内でも、彼は「現代の地域科学の創設者の一人」と紹介されている。
同時に、その案内は近年の伝記研究にも目を向けている。
理論の価値と、理論が生まれた制度の歴史。その二つを別々にしないこと。
レッシュをいま読む意味は、そこにもある。


