一人の人生を読む
弁護士になる前、商売に失敗している
エイブラハム・リンカーン(Abraham Lincoln)は1809年、ケンタッキー州に生まれた。
後の大統領を知っていると、若いころから政治家へ向かって歩いていたように見える。実際はそうではない。
イリノイ州ニューセーラムで商店経営に関わったが、店はうまくいかず、借金が残った。郵便局長を務め、測量を覚えて収入を得た。法律にも興味を持ったが、本人は後の回想で、教育が足りない自分にできるだろうかと考えていたと書いている。
1834年、州議会に当選したあと、同じく当選した弁護士ジョン・T・スチュアート(John T. Stuart)から法律を学ぶよう勧められた。リンカーンは法律書を借り、自宅へ持ち帰って本格的に勉強を始める。
学校を終え、資格を取り、それから社会へ出たのではない。
仕事に失敗し、別の仕事で食べながら、必要になった知識を後から身につけていった。
法律家になった人が、国の分裂を引き受ける
弁護士として仕事を築き、政治へ戻ったリンカーンは、奴隷制を新しい地域へ広げるかどうかをめぐる対立のなかで全国的に知られるようになる。
1860年、大統領選挙に勝った。
しかし、就任した1861年に与えられたのは、完成した国家をどう運営するかという仕事ではなかった。南部諸州が離脱し、南北戦争が始まった。
まず求められたのは連邦を維持することだった。
ここが、後の「奴隷解放の父」という像だけを見ると分かりにくい。
リンカーンは最初から、大統領権限で全米の奴隷制を一度に廃止できると考えていたわけではない。奴隷制への反対、憲法上の権限、境界州の政治、軍事情勢、連邦維持を同時に扱わなければならなかった。
「連邦を守る」と「自由にしたい」は、同じ文章ではなかった
1862年夏、リンカーンは奴隷解放を戦争政策として使う案をすでに検討していた。7月には草案を閣僚へ示している。
一方、8月22日、新聞編集者ホレス・グリーリー(Horace Greeley)への公開書簡では、大統領としての公式な目的は連邦を救うことだと述べた。奴隷をどう扱うかは、その目的との関係で判断するという立場だった。
ただし同じ書簡で、個人としては、すべての人が自由であってほしいという願いも区別して記している。
二つは矛盾を消して一文にまとめられる話ではない。
「自分は何を望むか」と「大統領として何を実行できるか」は別だった。
1862年9月22日、結果はまだ出ていない
9月17日、メリーランド州アンティータムで大規模な戦闘が起きた。
北軍の圧倒的勝利ではなかった。しかし南軍のロバート・E・リー(Robert E. Lee)が撤退したことで、リンカーンは、解放政策を発表するために必要としていた軍事的な機会が来たと判断した。
9月22日、リンカーンは閣僚を集め、改訂した予備的奴隷解放宣言を示した。
海軍長官ギデオン・ウェルズ(Gideon Welles)が残した記録によれば、リンカーンは文面への意見には耳を傾けた。しかし、宣言を出すという決定そのものは、すでに固めていた。
この日、戦争がどう終わるかは分かっていない。
宣言が政治的に成功するかも、反乱州が戻るかも、奴隷制が最終的にどのような制度で廃止されるかも決まっていない。
それでも、数か月かけて検討してきた判断を、公的な文書へ変えた。
予備的宣言は、反乱状態にある地域が1863年1月1日までに連邦へ戻らなければ、そこで奴隷状態に置かれている人々を自由とすると告知した。
「奴隷を全部、一日に解放した」わけではない
1863年1月1日、奴隷解放宣言が発効する。
歴史的な転換だった。しかし、その日にアメリカの奴隷制がすべて法律上なくなったわけではない。

1863年1月1日付の奴隷解放宣言、第1頁。米国国立公文書記録管理局所蔵。パブリックドメイン。 出典
宣言は、大統領の戦争権限を基礎として、反乱状態にある地域を対象にした。連邦側に残った奴隷州などは対象外だった。奴隷制そのものを全米で廃止するには、のちの憲法修正第13条が必要になる。
この限界を確認することは、リンカーンの成果を小さくすることではない。
むしろ、願いがそのまま法律になるわけではない世界で、どの権限を使い、どこまで動かせたのかが見える。
勝者の言葉だけでは終わらなかった
1864年、リンカーンは再選された。
1865年3月4日、第二次就任演説を行う。南北戦争は終結へ向かいつつあった。
普通なら、勝利を目前にした指導者が自分たちの正しさを宣言しても不思議ではない。
しかしリンカーンは、奴隷制と戦争を、一方だけの罪として簡単に片づけなかった。長い戦争が国全体に何をもたらしたかを語り、最後を報復ではなく、傷を癒やし平和を築く方向へ結んだ。
その約6週間後、リンカーンは暗殺され、56歳で死去した。
彼の人生を「奴隷を解放した偉人」の一文にすると、重要なものが落ちる。
商売に失敗したことも、教育不足を気にしながら法律を学んだことも、連邦維持と奴隷解放を同じ速度では進められなかったことも消えてしまう。
最初から正しい答えを持っていたから歴史を動かしたのではない。
自分の立場で何ができるかを何度も問い直し、そのたびに判断の範囲を広げていった。
リンカーンの生涯に残っているのは、その更新の跡である。




