知らない町へ行くと、その町のことが少し分かる。駅前には店が集まり、住宅街には学校があり、郊外に大きな病院がある。人びとの暮らしを知ろうと思えば、実際に歩いてみる方法がある。
では、一つの町ではなく、社会の仕組みを知りたいときはどうしたらよいのだろう。政治への参加、都市の配置、親と子の暮らし。どれも毎日の生活に関わるが、全体の姿は簡単には見えない。
ここでは、約160年の隔たりを持つ3人を取り上げる。19世紀にアメリカを訪ねたトクヴィル、20世紀前半に都市の配置を理論化したクリスタラー、1990年代に親子の暮らしを調べた山田昌弘。3人の仕事には、現地で見る、条件を整理して図で考える、暮らしの実態を調査するという違いがある。社会を調べる方法には何があるのかを、具体的な研究から比べていこう。
まず、3人は何を調べたのか
- トクヴィル:民主的な社会で、人びとはどのように政治へ参加し、周囲の意見に影響されるのか。アメリカ訪問とその後の政治経験から考えた。
- クリスタラー:大都市、小都市、村はなぜ異なる規模で存在するのか。商店やサービスが届く範囲から、町の配置を説明しようとした。
- 山田昌弘:成人して働く若者は、親とどのように暮らしているのか。親子の調査から、家族についての思い込みを問い直した。
3人とも社会の「全体」を知ろうとしたが、旅先での観察、理論上のモデル、実際の家庭への調査は同じ方法ではない。
トクヴィル――監獄を調べる旅から、民主主義を考えた
1831年、アメリカへ渡る
アレクシ・ド・トクヴィルは1805年、フランスの貴族の家に生まれた。法律を学び、司法官として働くなかでギュスターヴ・ド・ボーモンと知り合う。1831年、二人はアメリカの監獄制度を調べるために渡航した。
監獄の視察には、実際の施設を見て、制度の運営を知るという目的があった。しかしトクヴィルが旅のあいだに考えたのは、それだけではない。町で人びとが集まること、地域の自治を担うこと、新聞を読み、団体をつくることにも目を向けた。そうした経験をもとに『アメリカのデモクラシー』を書く。
注目したのは選挙の仕組みだけではなかった。身分の違いが小さくなる社会で、人びとは自由をどう守るのか。多数派の考えが広がったとき、反対する人の声はどうなるのか。法律に書かれた権利と、日々の暮らしで意見を言えることは同じではない、という問題があった。
社会を観察する人も、社会の外にはいない
トクヴィルは後に議員となり、1848年の革命と1851年のクーデターを経験した。観察していた政治の変化に、自分も巻き込まれたのである。彼はアルジェリアの植民地政策にも関わっており、民主主義を論じた人だからといって、その判断すべてを現代の平等の基準で正当化することはできない。
トクヴィルは、制度の説明と旅先で見た人びとの行動を結びつけて、民主的な社会の特徴を描いた。訪問した土地や出会った人びとの経験を通じて社会全体を考えたことが、彼の方法の特徴だった。
クリスタラー――町を点として並べ、関係を見つけようとした
町の大きさには、理由があるのか
ヴァルター・クリスタラーは1893年にドイツで生まれた。若いころは複数の職を経験し、36歳ごろから地理学の研究へ本格的に進んだ。1933年に刊行した『南ドイツの中心地』で知られる。
たとえば、パン屋には近所の人が頻繁に買いに来る。だが、専門的な医療を受けるためなら遠くの大きな町へ出かけることもある。日用品と専門的なサービスでは、客がどれほど遠くから来るかが違う。必要な客の数も違う。
クリスタラーは、こうした違いから町の規模と配置を考えた。大きな中心地の周囲に小さな中心地があり、それぞれが地域へ商品やサービスを提供する。条件を単純化すると、中心地の配置を六角形の図で表すこともできる。これが中心地理論のよく知られた図だ。
ここで重要なのは、ドイツ中の町を測ったら現実にきれいな六角形が並んでいた、という話ではないことだ。交通や地形などの条件を整理し、もし一定の条件が成り立つなら、町はどう並ぶはずかを考える理論モデルだった。
理論は、使う人によって働き方が変わる
クリスタラーの理論は都市・地域計画に影響した。一方、本人はナチス体制下で、占領地の空間計画に関わった。都市を説明するための知識が、人と土地を行政の力で配置し直す計画にも接続したのである。
理論が社会を説明できることと、理論に従って社会を作り替えてよいことは同じではない。この違いも、彼の人物記事から確かめたい。
山田昌弘――予想と違う親子の暮らしに出会った
1991年、成人した子どもはどこで暮らしていたか
山田昌弘は1957年生まれの家族社会学者。大学時代には家族の介護や家事を経験し、やがて家族を研究するようになった。
1991年、山田は研究仲間とともに、20代の子どもと50代の親の暮らしを調べた。調査が行われたのは東京都府中市や長野県松本市などだった。働き始めた若者は親元を離れるだろう、という予想があった。
ところが、実際に調べると、就職後も親と同居する若者が目立った。本人の収入の使い方や、親の生活との関係も、研究者の想定とは違っていた。山田はそこから「パラサイト・シングル」という言葉を広めることになる。
ここでは、最初から答えが決まっていたわけではない。調査結果が、自分の持っていた家族像を揺さぶったところが面白い。
名前をつけると、社会の見え方も変わる
「パラサイト・シングル」という言葉が広まると、ある暮らし方が多くの人に認識されるようになった。一方で、その言葉には強い評価も含まれている。同居している理由や家族の経済事情が違っていても、ひとまとめに見られかねない。
山田自身も、後年には時代の変化を受けて自分の予測や説明を見直してきた。社会を調べる仕事は、最初につけた名前を守り続けることではない。現実が変われば、見方も問い直す必要がある。
3人を比べると、研究の違いが分かる
① 調べる前に持っていた「予想」
トクヴィルには、貴族の家で育ち、革命後のフランスを見てきた経験があった。クリスタラーには、町の配置に規則性があるはずだという問いがあった。山田には、働く若者は親から独立して暮らすだろうという予想があった。
なかでも山田は、親元から独立して暮らす若者が多いという自分の予想を、調査で修正することになった。トクヴィルは故国フランスとは違う制度と習慣に注目し、クリスタラーは町の配置を説明する規則性を探した。
② 説明の仕方は一つではない
トクヴィルは旅で見た制度や社会の習慣を文章にした。クリスタラーは条件を単純化して町の関係をモデル化した。山田は親子の暮らしを調べ、実態を社会へ伝える言葉をつくった。
トクヴィルの文章には旅先での観察があり、クリスタラーの図には単純化した条件があり、山田の研究には調査対象となった家庭がある。研究結果の形にも、それぞれの調べ方が現れている。
③ 研究が社会へ出た後のこと
トクヴィルの民主主義論、クリスタラーの中心地理論、山田の「パラサイト・シングル」は、研究者の手を離れても読まれ、使われてきた。説明の道具は、人びとが社会をどう見るかにも影響する。一つの研究が発表された後、その説明や言葉が社会でどのように使われるかも、3人の仕事を比べると見えてくる。
どこから読めばよいか
民主主義と世論の関係が気になるならトクヴィル。都市や商圏の配置を知りたいならクリスタラー。今の家族や若者の暮らしに関心があれば山田昌弘から始めるとよい。
社会を見る三つの方法を比べるなら、トクヴィル→クリスタラー→山田の順がおすすめだ。政治を観察する人、町をモデル化する人、家庭を調べる人へ進むと、「社会を調べる」という仕事の幅が見えてくる。
政治思想そのものを読み比べたい人には、別の入口として民主主義を考えた7人も用意している。
