1901年12月、スウェーデンで最初のノーベル賞が授与された。生理学・医学賞を受けたのは、ドイツの研究者エミール・フォン・ベーリング。一方、ベーリングとともに、細菌がつくる毒に対抗する方法を研究していた北里柴三郎の名は、受賞者にはなかった。
これを聞くと、「なぜ北里はもらえなかったのか」と思うかもしれない。同じ研究に関わっていても、賞は二人に分けられなかったのだ。
ノーベル賞と聞くと、すぐれた科学者や作家に与えられる最高の栄誉を思い浮かべる。しかし、研究で大きな仕事をした人と、実際に賞を受けた人は、いつも同じ範囲になるわけではない。
一方、マリー・キュリーは二つの異なる科学分野で受賞し、キング牧師は実験室ではなく、人種差別をなくすための運動によって平和賞を受けた。
そもそもノーベルは、なぜ科学だけでなく文学や平和にも賞を設けたのだろう。創設した人、受賞した人、受賞しなかった人の人生をたどりながら、賞が何を評価してきたのか考える。
最初に、四つの人生を並べる
- アルフレッド・ノーベル(1833–1896):爆薬の発明と製造事業で財産を築き、その大部分を賞の基金にする遺言を残した。最初の授賞式を見ずに亡くなった。
- 北里柴三郎(1853–1931):破傷風菌の純粋培養や血清療法を研究した。1901年に共同研究者のベーリングだけが医学賞を受けた。
- マリー・キュリー(1867–1934):放射能を調べ、1903年に物理学賞を共同受賞。1911年には化学賞を単独で受け、研究所や医療への応用にも力を注いだ。
- マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(1929–1968):アメリカで人種差別に抗議する運動を進め、1964年に平和賞を受賞した。受賞後も活動を続けた。
四人のうち、ノーベル自身と北里はノーベル賞の受賞者ではない。しかし、この二人を抜きにすると、賞がどのようにつくられ、どんな仕事が選ばれるのかが見えにくくなる。
アルフレッド・ノーベル――爆薬で得た財産を、五つの賞へ
1864年、工場で弟を失った
アルフレッド・ノーベルはスウェーデンの発明家であり、各国に工場を持つ経営者だった。爆発力の強いニトログリセリンを、工事や採掘で扱えるようにするために研究を続けた。
1864年、ストックホルムの工場で爆発事故が起き、若い弟エミールと作業員たちが亡くなった。研究と事業はそこで終わらず、1867年、ノーベルはニトログリセリンを吸収材と組み合わせて扱いやすくしたダイナマイトを発明した。
ダイナマイトは、岩盤を崩したりトンネルを掘ったりする仕事に使われ、鉄道や鉱山の工事を変えた。一方、爆薬は軍事にも用いられた。ノーベルはのちに軍用火薬の研究にも関わっている。彼の財産は、こうした製造と販売によって増えていった。
1895年11月27日、パリで遺言を書く
62歳のノーベルは、パリのスウェーデン=ノルウェー・クラブで遺言に署名した。その内容は、財産の大半を基金として残し、収益を五つの分野の賞に用いるというものだった。
物理学、化学、生理学または医学、文学、平和。 科学での発見だけでなく、人が書いた作品や戦争を減らす努力も、社会へ利益をもたらす仕事として挙げられている。
なぜ平和賞まで設けたのか。ノーベルは文学にも関心を持ち、平和運動家ベルタ・フォン・ズットナーとの交流もあった。ただし「爆薬を発明した罪を償うためだった」と、本人の心の中を一つの理由で決めることはできない。遺言に確かにあるのは、人類に利益をもたらした人へ賞を与えるという指示である。
ノーベルは1896年に死去した。基金の実現には、遺産の扱いをめぐる調整や制度づくりが必要で、最初の授賞式が開かれたのは1901年だった。賞を設けることと、実際に賞を選び、渡す仕組みをつくることは、別の仕事だった。
北里柴三郎――同じ研究に関わっていても、賞は一人へ
細菌がつくる毒に、血液の成分で対抗する
北里柴三郎は熊本で医学を学び、1886年にドイツへ渡った。ベルリンで細菌学者ローベルト・コッホの研究室に入り、1889年に破傷風菌の純粋培養に成功した。純粋培養とは、調べたい菌をほかの菌と混ぜずに育てることである。
破傷風では、菌がつくる毒素が筋肉に激しいけいれんを起こす。北里とベーリングは1890年、体内に毒素の働きを抑える成分ができ、その成分を含む血清を利用できることを示した。
血清とは血液から細胞などを取り除いた液体のことだ。その中にある抗毒素を利用することで、病気に対抗する新しい道が開けた。北里は破傷風を、ベーリングはジフテリアを中心に研究した。ジフテリアも、細菌がつくる毒素によって重大な病気を引き起こす。
1901年、ベーリングに医学賞が贈られた
最初のノーベル生理学・医学賞は、ジフテリアに対する血清療法の仕事を理由として、ベーリング一人に与えられた。公式な受賞記録には北里の名はない。
それは「北里が何も発見しなかった」という意味ではない。共同で進められた研究のどの部分を、受賞の理由として選ぶのか。1901年の賞では、選ばれたのがベーリングのジフテリア研究だったのである。
北里は1892年に日本へ戻り、福澤諭吉らの支援を得て伝染病研究所をつくった。1914年には国の研究所を離れ、自らの名を冠した北里研究所を創立する。ノーベル賞を受けなかった後にも、日本で研究する場所や研究者を育てる仕事は続いた。
受賞歴の一覧を見ただけでは、北里の破傷風研究や日本での研究所づくりは分からない。賞の歴史を読むには、受賞者の名前に加えて、その周囲で研究を進めた人の仕事も必要になる。
マリー・キュリー――研究の始まりと、二つの受賞理由
1903年、三人の研究に物理学賞
マリー・キュリーは、ワルシャワに生まれ、1891年に学ぶためパリへ渡った。1896年にアンリ・ベクレルが見つけた、ウランから出る不思議な放射線に関心を持ち、その強さを測る研究を始める。
夫ピエール・キュリーも加わり、二人は1898年にポロニウムとラジウムの発見を報告した。鉱石に含まれる微量の物質を確かめるには、重い材料を大量に扱い、測定を繰り返す作業が必要だった。
1903年のノーベル物理学賞は、ベクレルと、マリー・ピエール夫妻の三人に贈られた。放射線を発見した研究と、その性質を追究した共同研究が認められたのである。
1911年、今度は一人で化学賞を受ける
1906年、ピエールは交通事故で亡くなった。マリーは研究を続け、1911年、ラジウムとポロニウムの発見、ラジウムの分離と性質の研究によって、今度は化学賞を単独で受賞する。
同じ人が二度受賞しても、受賞の理由は同じ文章ではない。1903年は放射線現象の研究、1911年は元素の発見と研究が中心だった。
ところが、二度目の受賞の後でも、パリの研究所にはラジウムが不足していた。1921年にはアメリカの女性たちが資金を集め、マリーが研究を続けるためのラジウムを贈った。賞を得たことと、翌日から研究を続ける設備や材料がそろっていることは別だった。
キング牧師――実験室の外にある、平和の仕事
1955年、バスに乗らない運動が始まる
マーティン・ルーサー・キング・ジュニアは、アメリカ南部の黒人差別に抗議した牧師である。
1955年、アラバマ州モンゴメリーでは、ローザ・パークスがバスの座席をめぐって逮捕された。これを機に、黒人住民たちはバスに乗らない運動を始めた。長い距離を歩いて通勤したり、車に相乗りしたりしながら、一年以上抗議を続けた。
キングは、その運動をまとめる団体の代表となり、演説や集会で非暴力を訴えた。ただし、運動を考え、ビラをつくり、参加者を集めたのはキング一人ではない。教会や地域の女性たちを含む多くの人の働きがあった。
1964年、非暴力の公民権運動に平和賞
1963年、キングはワシントン大行進で演説した。翌1964年、アメリカでは公民権法が成立し、人種差別を禁じる法律の整備が進む。
同じ1964年、キングは黒人の公民権を求める非暴力の闘争を理由として、ノーベル平和賞を受けた。
試験管や実験装置から成果を生み出したわけではない。差別的な法律や慣習を変えるため、多くの市民が協力する運動を進めた仕事が評価された。ノーベルが遺言に記した「平和」の分野は、20世紀にはこうした人権を求める活動にも広がっていた。
キングの活動は受賞したところで終わらない。シカゴで住宅差別を問題にし、ベトナム戦争に反対し、貧困や労働の問題にも取り組んだ。1968年、メンフィスで清掃労働者を支援する活動中に暗殺された。
平和賞は、差別がすべてなくなったことを示す証明書ではなかった。
ノーベル賞を比べると、三つの違いが見える
① 選ばれるのは「人の人生すべて」ではなく、特定の仕事
ベーリングはジフテリアの血清療法、キュリーは放射線と元素の研究、キングは非暴力の公民権運動が評価された。賞は受賞者の生涯を丸ごと採点するものではない。
ノーベル自身も爆薬事業を行った複雑な人物だった。どの仕事が人びとにどんな利益をもたらしたかという問いは、賞を設けた人の人生にも返ってくる。
② 一つの成果に関わった人の数と、受賞者の数は違う
北里とベーリングの研究には共通する部分があるが、1901年の受賞者はベーリング一人だった。1903年の物理学賞は、ベクレルとキュリー夫妻の三人で分けられた。
科学はたいてい多くの研究者や技術者に支えられる。一方、ノーベル賞には受賞者の人数や分野について決まりがある。名前が載る範囲と、実際に仕事をした人びとの範囲は必ずしも一致しない。
③ 賞を受けた日が、仕事の終わりではない
マリーは賞の後も材料を集め、研究所を育てた。キングは平和賞の後も差別や戦争に反対する運動を続けた。北里も、賞を受けずに研究所をつくり直した。
ノーベル賞の授賞式は、長い仕事のある時点を記念する日である。その人がその後どう暮らし、何をつくったかは、賞の記録とは別にたどることができる。
どこから読むと分かりやすいか
なぜ賞がつくられたのかならアルフレッド・ノーベル。受賞と共同研究の関係なら北里柴三郎とマリー・キュリー。平和賞の対象がどんな活動なのかならキング牧師から読むとよい。
ノーベル賞の公式サイトには、1901年の医学賞の受賞理由、1903年・1911年のキュリーの受賞記録、1964年のキング牧師の受賞記録が残っている。受賞者の名前を確かめたら、その前後に何があったかを人物記事で追うと、賞の中身がさらに具体的になる。


