葛飾北斎の『神奈川沖浪裏』を見れば、巨大な波の向こうに小さな富士山が見える。作者の名前を答えるなら、誰もが「北斎」と言うだろう。
けれど、その青い波を描いた下絵が、実際に何枚もの版画として町で売られるまでには、北斎のほかに版木を彫る人、色を刷る人、作品を企画して売る人がいた。
『源氏物語』を読めるのも、紫式部の文章が長い年月、写本として書き写されたからだ。俳諧には複数の人で句をつなぐ楽しみがあり、ディズニーの映画には何百人もの絵描きや技術者が働いている。
では、「作者」とは、どの仕事をした人のことなのだろう。
紫式部、松尾芭蕉、葛飾北斎、ウォルト・ディズニー。四つの時代と作品をたどると、作品の着想を得ること、実際に形にすること、人びとへ届けることが、いつも一人の手の中で終わるわけではないと分かる。
四人が残した名作と、その周囲の人びと
- 紫式部(11世紀初め):『源氏物語』を書いた平安時代の女性。宮廷の人が作品を読み、後世の人が写本や注釈を残した。
- 松尾芭蕉(1644–1694):俳諧の宗匠。弟子たちと句をつくり、曾良と旅をし、文章を何年も推敲した。『おくのほそ道』は没後に刊行された。
- 葛飾北斎(1760–1849):『冨嶽三十六景』の絵師。下絵を描き、版元や彫師、摺師たちが木版画の作品にした。
- ウォルト・ディズニー(1901–1966):映画制作会社を率いた人。1937年の長編アニメーション『白雪姫』では、多くの作り手が役割を分けて働いた。
四人とも大きな作品と結びつく名前を持つ。だが作品と人びとの関係はずいぶん違っている。
紫式部――一人が書いた物語を、千年の読者がつないだ
1008年ごろ、宮廷に『源氏物語』があった
紫式部は、平安時代に藤原道長の娘・彰子に仕えた女性である。『源氏物語』を書き、『紫式部日記』に宮廷での生活を残した。
日記には、1008年ごろの宮廷で『源氏物語』がすでに知られていたことを伝える場面がある。藤原公任が作者の近くで、物語の登場人物「若紫」の名を口にしたという話も残っている。作品は、作者が書いている机だけでなく、宮廷の読み手の間にも存在していた。
物語では、光源氏とその周囲の女性たち、次の世代の人びとの生活が長く描かれる。光源氏が主人公というだけでなく、政治、家族、老い、身近な人を失う悲しみまでが重なっていく。
『源氏物語』の作者は紫式部である。何人もの人が登場するからといって、複数の人が小説の筋を共同で考えたという意味ではない。ここでまず分けたいのは、物語を書いた仕事と、その物語を読める形で残した仕事である。
原本がなくても、今も読めるのはなぜか
現在、紫式部本人が書いた『源氏物語』の原本は残っていない。私たちが手にしている本文は、その後に写された本に基づいている。
昔の本は、今のように一度印刷すれば同じ文章が大量に届くものではなかった。書き写す人が紙を用意し、文字を一つずつ写し、読み手へ渡していく。写し間違いや、伝わる間に生まれた本文の違いもあった。
鎌倉時代には藤原定家らが異なる系統の本文を比べて整理した。さらに注釈をつける人、絵巻に仕立てる人、近世に出版する人、現代語へ訳す人が現れた。
千年後の私たちに紫式部の物語が読めるのは、紫式部が書いたからであり、同時に、長い時間をかけて本を写し、読み継いだ人がいたからでもある。
松尾芭蕉――一緒に句をつくる仕事から、旅の文章へ
一人の句と、みんなでつなぐ句
松尾芭蕉は1644年、今の三重県伊賀市にあたる地域で生まれた。若いころ武家に仕えながら俳諧を学び、江戸に出てからは人に句作を教える宗匠となる。
俳諧という言葉は、今の俳句と少し違う。五・七・五の短い句を詠むだけでなく、複数の人が交代で句をつなぐ連句が大きな活動だった。前の人の言葉を受け取り、次の人が景色や話題を変えて句を付ける。ひと続きの作品には、何人もの判断が入っていく。
芭蕉は自分で句を詠んだだけではなかった。弟子の句を評し、言葉を選ぶ場にも加わった。弟子の向井去来が残した『去来抄』には、仲間の句の冒頭をどうするか、芭蕉が強く意見を述べた話がある。
そこでは芭蕉がいつも一人で名句を完成させるわけではない。相手の句を受けて、言葉を考え直すという仕事も、俳諧の大切な部分だった。
1689年の旅は、数か月で終わった
1689年、芭蕉は弟子の曾良(そら)と江戸を発ち、東北から北陸へ旅をした。『おくのほそ道』のもとになった旅である。曾良は道中の出来事や日付を記した日記を残している。
芭蕉の『おくのほそ道』は、旅から戻ってすぐ書き終わった日報ではない。実際の旅を思い出し、句を選び、文章を組み直す作業を数年続けた。道中の記録と、後から練り上げた作品とでは、出来事の並びや表現が違うところもある。
芭蕉は1694年に亡くなった。『おくのほそ道』が刊行され、さらに多くの読者へ届くのは1702年のことである。
曾良が旅に同行し、弟子たちが文章を伝えたからといって、『おくのほそ道』を曾良と共同執筆したと決めることはできない。旅をともにする仕事と、文章を作者が仕上げる仕事には違いがある。芭蕉の作品には、他人との経験が一人の文章になるという面もあった。
葛飾北斎――一枚の下絵が、多くの職人の手を通る
1831年ごろ、『冨嶽三十六景』が売り出された
葛飾北斎は江戸の浮世絵師である。若いころは役者絵を描き、書物の挿絵や絵手本などにも取り組んだ。
七十代に入ったころ、富士山をさまざまな場所から描いた『冨嶽三十六景』が企画された。版元の永寿堂が1831年の正月ごろに販売を知らせている。
有名な『神奈川沖浪裏』では、波が画面の大部分を占め、その向こうに小さな富士山が見える。その構図を考えて下絵を描いたのは北斎だった。しかし、私たちが美術館で見るのは多くの場合、下絵そのものではなく木版で刷った紙である。
青い色を重ねたのは誰か
江戸時代の多色刷りの浮世絵では、版元が作品を企画し、絵師が下絵を描き、彫師が版木を彫り、摺師が色を重ねる。木の板に色をつけて紙へ刷ることで、同じ構図を何枚も届けられた。
『神奈川沖浪裏』の強い青には、当時使われるようになったベロ藍という顔料が関わっている。ニューヨークのメトロポリタン美術館の研究では、青を重ね刷りする工夫が、波の深さや立体感を生み出していることが調べられた。
美しい波は北斎の構図から生まれた。一方、それを完成した版画として見せる際には、彫った人や刷った人の技術が欠かせなかった。
大波は、北斎一人の手だけでは同じ形にならなかった
版画は何枚も刷ることができる。だが同じ版木でも、紙や色の重ね方、刷る人の手によって仕上がりが違う。
『冨嶽三十六景』は人気を得て、当初の三十六図から四十六図へ増えた。北斎の名が広まった背景には、買い手が絵を手に取れる商品をつくり、売る人びともいたのである。
「北斎の作品」と呼ぶことは自然だ。しかし、作品を形にするために働いた職人の存在まで、その一言で消えてしまうわけではない。
ウォルト・ディズニー――映画の一場面に、何百人も関わった
1937年、『白雪姫』が上映された
ウォルト・ディズニーは1920年代からアニメーションの仕事に取り組み、ミッキーマウスなどの作品で知られるようになった。
1930年代、ディズニーは長編アニメーション『白雪姫』をつくろうとした。それまでの短いアニメとは違い、長い物語を観客が見続けられるように、人物の表情や動き、音楽、背景までを組み立てなければならない。
1937年、映画が完成した。米国議会図書館の記録によれば、1934年から1937年の制作には750人を超えるディズニーの作り手が関わった。
白雪姫が腕を上げる短い動作にも、多くの絵が必要だった。動きの中心となる絵を描く人、その間をつなぐ絵を描く人、透明なシートに線や色を付ける人、背景を描く人、音楽を担当する人。完成した映画の一場面は、その仕事が重なった結果である。
一人の名前と、働く人の名前
映画の題名の前には「ウォルト・ディズニー」の名前が大きく掲げられた。ディズニーは企画を進め、どんな作品にするかを判断し、人と資金を集める立場にいた。彼の役割は、ほかの作り手とまったく同じではない。
一方、制作に加わった人びとの仕事も実際の映画を生み出した。作業に参加した人の数が多いからといって、全員が同じ権限を持っていたわけではない。1941年にはスタジオで労働争議が起き、働き方や待遇をめぐる対立が表に出た。
映画が完成するまでの共同作業と、会社の中で誰が決定し、誰の名前が作品とともに広まるかは、別々に考えられる。
四つの名作は、どこで人の手が重なったのか
① 物語を書く人と、物語を写す人
紫式部は『源氏物語』の作者である。しかし今日まで伝わる間に、書写、校合、注釈、出版、翻訳が重なった。書いた本人の仕事と、後から読める状態を保った人の仕事は違っている。
② 仲間と同じ場でつくる人
芭蕉の俳諧には、複数の人がその場で句をつなぐ作品があった。曾良との旅は『おくのほそ道』の経験になった。共同で過ごした時間が、作品の材料や表現を生んだ。
③ 職人や制作集団と完成させる人
北斎は下絵を描き、彫師と摺師が版画にした。ディズニーは映画の方向を決め、何百人もの作り手が絵や音を形にした。ここでは、作品の完成そのものが複数の人の技術によって支えられている。
『源氏物語』の作者が誰かという問いと、『神奈川沖浪裏』を紙に刷った人が誰かという問いは、同じではない。それぞれの仕事を区別すると、名作をつくる過程が見えやすくなる。
どこから読めばよいか
一人の作者の物語が千年残った理由に関心があるなら紫式部。句を仲間とつくり、旅を文章にした仕事なら芭蕉。絵が商品になって町へ届く仕組みなら北斎。大勢を動かす映画づくりならディズニーから始めるとよい。
作品の出発点にいる作者や企画者の仕事を知ったあと、その作品に関わった弟子、職人、写本の書き手、アニメーターに目を向ける。すると、昔から知っていた作品の中に、もう一つの仕事の歴史が現れる。
さらに資料を見るなら、国立国会図書館の『源氏物語』の写本と継承の解説、メトロポリタン美術館の北斎の版画技術の解説、米国議会図書館の『白雪姫』制作記録から、それぞれの仕事の跡を確かめられる。


