Hegelroom / Biography

René Descartes

哲学 / ラ・フレーシュ / 1596–1650

すべてを疑った人は、疑っている自分だけは消せないことに気づいた。

1649年、フランス・ハルスが描いたルネ・デカルトの肖像
Frans Hals / Statens Museum for Kunst / Wikimedia Commons / Public domain
1596Born
1650Died
53Age
哲学Field

02 / Profile

ルネ・デカルトとは?

ルネ・デカルト(1596–1650)は、『方法序説』の「我思う、ゆえに我あり」で知られるフランスの哲学者・数学者。学校で得た知識への疑い、各地への旅、1619年の夢、ネーデルラントでの約20年の研究生活を経て、哲学と数学の双方から近代の知の組み立て方を変えた。

生誕
1596年3月31日
死去
1650年2月11日
年齢
53歳
出生地
ラ・エー(現在のデカルト、フランス)
活動地域
ラ・フレーシュ、ポワティエ、ブレダ、ネーデルラント、ストックホルム
分野
哲学、数学、自然哲学

03 / Life

一人の人生を読む

学べば学ぶほど、確かなものが減っていった

ルネ・デカルトは1596年、フランス中西部のラ・エーに生まれた。後に町そのものが彼の名を取って「デカルト」と改称されるほど有名になるが、少年期の彼が学んだのは、まだ中世以来の学問体系が大きな力を持っていた時代である。

11歳ごろ、イエズス会のラ・フレーシュ学院に入学した。古典、論理学、哲学、数学などを幅広く学び、当時としては非常に充実した教育を受けた。しかし後年の『方法序説』で彼が振り返るのは、知識を手に入れたという満足より、学問の世界に意見の対立や不確実さがあまりに多いという感覚だった。

ただし、学校教育そのものを無価値だと考えたわけではない。数学の確実さには強く惹かれ続けた。問題は、なぜ数学では答えがこれほど明瞭なのに、哲学や他の学問では人々の意見が割れ続けるのか、というところにあった。

1616年、ポワティエ大学で法学の学位を得た。父親が期待した法律家の道へ進むこともできたが、デカルトはそこに定着しなかった。彼は本だけでなく、自分で世界を見て考える方へ向かう。

軍隊で出会った、もう一人の数学好き

1618年、22歳のデカルトはネーデルラントのブレダにいた。軍務に身を置きながら、軍事工学や数学にも関心を向けていた。そこで出会ったのが、医師で自然研究者でもあったイサーク・ベークマンである。

二人は数学や力学について議論し、デカルトは個別の問題を解くだけでなく、さまざまな量や図形を共通の方法で扱えないかと考えるようになった。後の解析幾何学へつながる発想は、哲学とは別の場所で突然生まれたのではない。確実な方法を探すという一つの問題が、数学と哲学の両方に伸びていった。

彼はその後もドイツや中欧を移動した。軍人として名を上げることより、移動しながら人や学問に触れ、自分の考えを組み立てていく時間の方が長くなる。

1619年11月10日の夜

1619年11月10日、23歳のデカルトはドイツに滞在していた。その夜、三つの夢を見たと後年の伝記に伝えられている。本人が残した断片と、17世紀末に伝記を書いたアドリアン・バイエの記述を通して知られている出来事である。

デカルトはこの夢を、単なる奇妙な睡眠中の出来事とは受け取らなかった。異なる学問をばらばらに学ぶのではなく、知識全体を共通の基礎から組み立て直すという仕事に、自分が向かうべきだと考える契機になった。

夢の細部には後世の解釈がいくつも重なっている。しかし、この時期以後のデカルトが「確実な方法」を一つの大きな課題として追い続けたことは、その後の仕事からもはっきり見える。

人の多いパリを離れる

1620年代、デカルトは各地を旅し、パリでは数学者や自然研究者とも交流した。とくにマラン・メルセンヌとの関係は重要だった。メルセンヌはヨーロッパ各地の研究者を手紙でつなぐ役割を果たしており、デカルトがのちに人目を避けて暮らしても、学問のネットワークから切れずに済んだ。

1628年ごろ、デカルトはネーデルラントへ移った。そこから約20年、都市を何度も移りながら研究と執筆を続ける。静かな環境を求めつつ、手紙によってヨーロッパの研究者と議論する。この距離感が、彼の働き方になった。

彼が考えていたのは哲学だけではない。光はどう屈折するのか。虹はなぜ見えるのか。物体はどう動くのか。人体を機械的にどこまで説明できるのか。世界全体を数学と運動の法則から説明しようとする計画へ進んでいった。

書き上げた本を、出さない

1633年、デカルトは自然学の大著『世界論』をほぼ刊行できる状態まで進めていた。ところが同じ年、ガリレオが地動説をめぐってローマの異端審問で有罪判決を受けたことを知る。

デカルトの宇宙論もコペルニクス的な地動説を前提にしていた。彼は11月、メルセンヌへの手紙で刊行を見送る考えを伝えた。思想史の大人物という後世の姿から見ると、どんな考えでも押し通した人物に見えやすい。しかし実際のデカルトは、書くことと公表することのあいだでかなり慎重に動いていた。

完全に沈黙したわけではない。4年後の1637年、『方法序説』をフランス語で刊行し、そこに『屈折光学』『気象学』『幾何学』という三つの試論を付けた。方法を抽象的に述べるだけでなく、その方法を実際の科学や数学でどう使うかまで示そうとした構成だった。

1637年刊『方法序説』初版の扉
1637年刊『方法序説』初版の扉。Leeds University Library / Wikimedia Commons / Public domain.

すべてを疑っても、疑っていることは残る

デカルトの名を最も有名にしたのは、「我思う、ゆえに我あり」と要約される考えである。

感覚は間違うことがある。夢の中では、起きていると思い込むこともある。数学の計算さえ、もし自分を徹底的に欺く存在がいたなら疑えるかもしれない。そうやって可能な限り疑いを広げていく。

それでも、いま疑っているという働きそのものは消えない。疑いが起きているなら、少なくともその瞬間に考えている存在がある。この一点を足場に、知識をもう一度組み立てようとした。

この方法は、「何でも疑って何も信じない」という態度とは違う。むしろ逆で、疑いに耐えられるほど確かなものを探すために、いったん疑う。デカルトにとって懐疑は結論ではなく、出発点だった。

哲学者であり、数学者でもあった

1637年の『幾何学』では、代数の方法を幾何学へ持ち込み、図形を方程式で扱う方向を大きく前進させた。今日「デカルト座標」と呼ばれる考え方は、その名に残っている。

光学では屈折の法則を公刊し、虹の説明にも取り組んだ。自然を目的や性質の言葉だけで説明するのではなく、形、運動、量の関係から説明しようとしたのである。

その一方で、1641年の『省察』では、心とは何か、外界の存在をどう確かめられるのか、神の存在をどう考えるのかという形而上学の問題へ深く入っていった。後世から見ると「哲学」と「科学」に分かれる仕事が、彼の中では一つの計画の両側にあった。

朝の遅い人が、北国の宮廷へ行く

1649年、デカルトはスウェーデン女王クリスティーナの招きを受け、ストックホルムへ移った。女王は学問に強い関心を持ち、デカルトから哲学を学ぶことを望んでいた。

長年、朝遅くまでベッドで考えたり仕事をしたりする生活を送ってきたデカルトにとって、ストックホルムの生活は大きく異なった。女王との学習は早朝に行われ、北国の冬の生活も重なった。

移住から数か月後の1650年2月11日、デカルトは53歳でストックホルムに没した。

彼の生涯を見ると、「近代哲学の父」という肩書きだけでは見えない動きがある。学校を出て、旅をし、軍隊に身を置き、人と議論し、静かな国へ移り、完成した本を一度は引っ込める。その途中で、確かな知識とは何かという同じ問いを、数学、自然学、哲学へ何度も持ち込んだ。

確実な答えから出発したのではない。不確かさを避けずに、その中からどこまで確かな足場をつくれるかを考え続けた人だった。

主な参考資料

  • Stanford Encyclopedia of Philosophy, “René Descartes”
  • Stanford Encyclopedia of Philosophy, “Descartes’ Life and Works”
  • MacTutor History of Mathematics, “René Descartes”
  • 筑摩書房『方法序説』『省察』『幾何学』
  • Wikimedia Commons, “Frans Hals, Portrait of René Descartes”
  • Wikimedia Commons, “Descartes Discours de la Methode”

04 / Timeline

時間の輪郭

  1. 1596年3月31日0歳

    フランスのラ・エーに生まれる

  2. 160711歳

    イエズス会のラ・フレーシュ学院に入学

  3. 161620歳

    ポワティエ大学で法学の学位を得る

  4. 161822歳

    ブレダで軍務につき、イサーク・ベークマンと出会う

  5. 1619年11月10日23歳

    ドイツ滞在中の夜に三つの夢を見たと後年の伝記に伝えられる

  6. 162832歳

    ネーデルラントへ移り、長い研究生活を始める

  7. 163337歳

    ガリレオの有罪判決を知り、完成間近だった『世界論』の刊行を見送る

  8. 163741歳

    『方法序説』と三つの試論を刊行

  9. 164145歳

    『省察』を刊行

  10. 164448歳

    『哲学原理』を刊行

  11. 164953歳

    クリスティーナ女王の招きでストックホルムへ移る

  12. 1650年2月11日53歳

    ストックホルムで死去

05 / Works

主な著作

01

哲学・方法論 / 1637

方法序説(Discours de la méthode)

確実な知識へ至るための方法を、自身の学びと旅の経験を交えて示した。

02

形而上学 / 1641

省察(Meditationes de prima philosophia)

徹底した懐疑から心、神、外界の存在を順に問い直した。

03

哲学・自然学 / 1644

哲学原理(Principia philosophiae)

形而上学から自然学までを一つの体系として示そうとした。

04

数学 / 1637

幾何学(La Géométrie)

代数と幾何学を結びつけ、後の解析幾何学につながる重要な仕事となった。

06 / Conditions

ルネ・デカルトの人生をつくったもの

  • 01

    疑うことから始める

    受け取った知識をいったん疑い、確実だと言える出発点を探すことから思考を組み立て直した。

  • 02

    哲学と科学を分けない

    数学、光学、物理学、形而上学を別々の仕事とせず、一つの知の方法として結びつけようとした。

  • 03

    考える場所を選ぶ

    人の多いパリを離れ、長くネーデルラントで暮らしながら、移動と孤独を研究環境の一部にした。

07 / Read more

もっと知る

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BOOK方法序説

最初の一冊

01

方法序説

ルネ・デカルト / 山田弘明 訳

デカルト自身が、学校への疑い、旅、方法、コギトへ至る道筋を比較的読みやすく語る入口。ちくま学芸文庫、ISBN 9784480093066。

BOOK省察

もう一歩深く

02

省察

ルネ・デカルト / 山田弘明 訳

方法的懐疑をより徹底し、何を確実なものとして認められるのかを六つの省察で追う。ちくま学芸文庫、ISBN 9784480089656。

Book / Further reading

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