Hegelroom / Biography

Leonardo da Vinci

画家 / フィレンツェ / 1452–1519

完成した名作より、描き続けた途中の紙の方が多い。

フランチェスコ・メルツィに帰属される晩年のレオナルド・ダ・ヴィンチの肖像
Attributed to Francesco Melzi / Royal Collection / Wikimedia Commons / Public domain
1452Born
1519Died
67Age
画家Field

02 / Profile

レオナルド・ダ・ヴィンチとは?

1452年にヴィンチ近郊で生まれ、フィレンツェのヴェロッキオ工房で学んだ画家・技術者・研究者。『最後の晩餐』『モナ・リザ』などを残す一方、膨大な素描とノートで解剖、機械、水、光、植物などを観察し続けた。

生誕
1452年4月15日
死去
1519年5月2日
年齢
67歳
出生地
ヴィンチ近郊
活動地域
フィレンツェ、ミラノ、フランス
分野
画家、技術者、研究者

03 / Life

一人の人生を読む

「万能の天才」になる前の子ども

レオナルド・ダ・ヴィンチは1452年4月15日、フィレンツェから離れたヴィンチ近郊に生まれた。父は法律実務に携わる人物、母カテリーナは父とは結婚しておらず、レオナルドは父方の祖父の家で育てられた。後世の肩書を並べれば、画家、彫刻家、建築家、技術者、解剖学の研究者、地図製作者といくらでも増やせる。しかし子どもの時点で、それらの道が一つの職業として用意されていたわけではない。

若いレオナルドが入ったのは、フィレンツェのアンドレア・デル・ヴェロッキオの工房だった。そこでは絵画だけを教えていたわけではない。彫刻、金工、装飾、設計など、多様な注文を扱う。現在なら別々の学科に分かれる技術が、同じ現場で隣り合っていた。

1472年、20歳のレオナルドはフィレンツェの画家組合に加わった。それでもすぐ独立した「巨匠」になったわけではなく、しばらくヴェロッキオの工房との関係を続けている。後から見れば万能性に見えるものの一部は、そもそも職人の仕事が分野横断的だった環境から始まっていた。

描くことを、考える道具にする

レオナルドの仕事を特徴づけるものとして、完成した絵よりはるかに多く残る素描とノートがある。人体の筋肉、頭蓋骨、水の流れ、植物の枝分かれ、機械の歯車、光と影。描く対象は次々に変わるが、手を動かして形を確かめるという方法は同じだった。

レオナルド・ダ・ヴィンチのウィトルウィウス的人体図
Leonardo da Vinci, Vitruvian Man, c.1492. Wikimedia Commons / Public domain

《ウィトルウィウス的人体図》では、人間の身体が円と正方形の中に置かれる。美しいアイコンとして有名になったが、あれは肖像画ではない。人体の比例について書かれた古代の文章を読み、実際の身体と幾何学を重ねて確かめるための図でもあった。

レオナルドにとって、絵と科学は「昼は芸術、夜は研究」のようにきれいに分かれていなかった。身体を描くには内部構造を知りたくなり、風景を描けば水や岩の形が気になり、遠近法を扱えば光学や幾何学へ進む。Royal Collection Trustが所蔵する約550枚の素描は、その移動の痕跡を残している。

ミラノで、仕事の名前が増える

30歳前後、レオナルドはフィレンツェを離れてミラノへ向かった。1483年には当地で仕事をしており、やがてルドヴィーコ・スフォルツァの宮廷に入る。ここで求められたのも一つの職種ではない。巨大な騎馬像、建築、軍事技術、祝祭の演出、肖像画。宮廷に必要なものに応じて、仕事の名前が増えていった。

この長いミラノ時代に生まれた代表作が《最後の晩餐》である。後世から見ると、数少ない「完成した傑作」の一つに見える。だが同じ時期、巨大騎馬像は完成せず、研究ノートは出版されず、多くの計画が紙の上に残った。

レオナルド・ダ・ヴィンチ『最後の晩餐』
Leonardo da Vinci, The Last Supper. Wikimedia Commons / Public domain

「天才なら次々と完成品を残す」という想像とは逆に、レオナルドの経歴には未完が多い。興味が移ったからなのか、依頼主との関係なのか、技法上の問題なのか、政治的な中断なのか。理由は仕事ごとに違う。未完を一つの性格で説明するより、その都度、制作を囲んでいた条件を見る必要がある。

47歳、長くいた町を失う

1499年、フランス軍の侵攻によってスフォルツァ政権が崩れると、レオナルドは長く暮らしたミラノを離れた。47歳。すでに《最後の晩餐》を描いた著名な画家だったが、宮廷の後ろ盾がなくなれば仕事の場所も変わる。

その後はマントヴァやヴェネツィアを経てフィレンツェへ戻り、1502年には軍事測量や技術の仕事にも携わった。都市の地形を測り、地図を描き、水路を考える。画家の余技というより、観察して図にする能力そのものが別の仕事へ転用されている。

フィレンツェに戻った後には《モナ・リザ》や《アンギアーリの戦い》の仕事が始まる。前者は晩年まで手元に残り、後者の大壁画は完成形を今に残していない。ここでも有名な完成作と失われた仕事が同時進行していた。

レオナルド・ダ・ヴィンチ『モナ・リザ』
Leonardo da Vinci, Mona Lisa. Louvre / Wikimedia Commons / Public domain

身体の内部まで描く

50代のレオナルドは、絵画だけに集中したわけではない。ミラノへ戻った時期には解剖研究を深め、骨格や筋肉、心臓、胎児などを詳細に描いた。これらの紙は、作品を完成させるための下描きという範囲を超えている。

ここでも「何を発見したか」だけを数えると、少し見えにくくなる。重要なのは、身体を知るために切り開き、見たものを図にし、図にすると新しい疑問が出て、また観察するという循環だった。膨大なノートが生まれた一方、その多くは本人の生前に体系的な書物として出版されていない。

知識を持っていたことと、知識を社会へ定着させることは別である。レオナルドの研究は、その二つの距離も示している。

1517年10月、晩年の部屋で三枚の絵を見せる

1516年末、64歳のレオナルドはフランソワ1世の招きを受けてフランスへ移り、アンボワーズ近郊のクルー館で暮らした。翌1517年10月、枢機卿ルイージ・ダラゴーナの一行が彼を訪ねている。同行した秘書アントニオ・デ・ベアティスは旅日記に、その日の訪問を書き残した。

記録によれば、レオナルドは訪問者に三枚の絵を見せた。フィレンツェの女性の肖像、若い洗礼者ヨハネ、聖アンナと聖母子である。現在《モナ・リザ》《洗礼者聖ヨハネ》《聖アンナと聖母子》に結びつけられる作品群で、彼がイタリアを離れた後も手元に置いていた絵だった。デ・ベアティスは同時に、レオナルドの右手が麻痺していることにも触れている。

晩年のレオナルドを「もう制作できなくなった老人」と一枚にまとめることも、「最後まで万能だった」と描くこともできない。その日の部屋には、長年持ち歩いた絵と大量の紙があり、身体には衰えが出ていた。それでも彼は訪問者に自分の仕事を見せ、作品について説明していた。完成作と未完の研究、名声と身体の衰えが、同じ部屋に並んでいた。

64歳、紙の束を持ってフランスへ

フランスでのレオナルドは、若い頃のように大規模な制作だけを続けたわけではない。それでも設計や宮廷行事の仕事を行い、手元には絵だけでなく大量の素描とノートがあった。1519年5月2日、67歳で死去。紙の資料は弟子フランチェスコ・メルツィへ遺された。

レオナルドの名声を支えるのは《モナ・リザ》や《最後の晩餐》である。しかし本人が死ぬまで持ち歩いた仕事の多くは、完成品になる前の線、書き込み、比較、試行錯誤だった。

「万能の天才」という言葉は結果を一つにまとめるには便利である。けれど、その人生の中にいたレオナルドは、最初からすべてを知っていたわけではない。見る。描く。疑問が増える。また描く。その繰り返しの途中に、たまたま完成したものと、最後まで途中だったものが混在している。その不揃いさまで含めた方が、彼の67年はむしろ具体的に見えてくる。

04 / Timeline

時間の輪郭

  1. 1452年4月15日0歳

    ヴィンチ近郊に生まれる

  2. 147220歳

    フィレンツェの画家組合に加入する

  3. 148330歳

    この頃までにミラノへ移り、スフォルツァ家のもとで活動する

  4. 149030代後半

    芸術と並行して解剖、比例、機械などの研究を広げる

  5. 149947歳

    スフォルツァ政権崩壊によりミラノを離れる

  6. 150250歳

    軍事測量・技術の仕事に携わる

  7. 150351歳

    フィレンツェで『モナ・リザ』などの仕事を進める

  8. 151664歳

    フランソワ1世の招きでフランスへ移る

  9. 1519年5月2日67歳

    アンボワーズで死去する

05 / Works

主な作品と研究

01

壁画 / ミラノ / 1490年代

最後の晩餐

長いミラノ滞在期を代表する完成作。

02

絵画 / 1503年頃以降

モナ・リザ

晩年まで手元に置かれたとされる肖像画。

03

素描 / 1492年頃

ウィトルウィウス的人体図

人体比例と幾何学を一枚の図の中で重ねた。

06 / Conditions

レオナルド・ダ・ヴィンチの人生をつくったもの

  • 01

    観察

    絵画、解剖、機械、水、植物を別々の専門に閉じ込めず、描くことを観察と思考の共通手段にした。

  • 02

    未完

    名作の横には、完成しなかった絵画、実現しなかった巨大計画、出版されなかった研究が大量に残った。

  • 03

    移動と庇護

    フィレンツェ、ミラノ、ローマ、フランスへと移り、都市の政治とパトロンの変化が仕事の中断と再出発を繰り返させた。

07 / Read more

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