一人の人生を読む
戦闘機乗りが、哲学を学ぶ
ジェームズ・ボンド・ストックデールは1923年、イリノイ州の小さな町アビングドンに生まれた。海軍兵学校を卒業した後は海軍航空の道へ進み、パイロット、テストパイロット、飛行隊指揮官として経験を積んだ。後に知られる「哲学する軍人」という姿だけを見ると異色に思えるが、出発点は徹底して実務の世界だった。
その経歴に別の線が入ったのが、1960年代初めのスタンフォード大学である。海軍から派遣された大学院生として国際関係論を学ぶなかで、ストックデールは古代ギリシアのストア派、とりわけエピクテトスを読むようになった。エピクテトスの中心には、自分の力の及ぶものと及ばないものを区別するという考えがある。後年のストックデールは、この思想を自分の捕虜経験と繰り返し結びつけて語った。
1962年に修士号を得ると、彼は大学に残らず航空部隊へ戻った。哲学はまだ、戦闘機乗りの人生の脇に置かれた読書だった。
1965年9月9日、空から落ちる
1965年9月9日、ストックデールは空母USSオリスカニーから出撃した。彼は当時、攻撃空母航空団16の指揮官だった。北ベトナム上空で搭乗機が撃墜され、脱出した後に捕らえられる。そこから1973年2月まで、約7年半に及ぶ捕虜生活が始まった。
軍人としての階級が高かったことは、収容所の中では別の意味を持った。彼は自分だけが生き延びればよい立場ではなく、捕虜となった兵士たちの規律や連絡を考える側に回った。長い隔離、尋問、拷問のなかで、外部からの命令をそのまま受け取ることも、部下の状態を自由に把握することもできない。通常の軍隊を支える通信と組織が失われた場所で、それでも集団を成り立たせなければならなかった。
1969年、宣伝撮影の前に
1969年、北ベトナム側はストックデールを宣伝用の映像に出そうとした。後に名誉勲章の公式記録にまとめられた経過によれば、彼は協力的な捕虜として撮影されるのを避けるため、監視のない短い時間に木製の腰掛けで自分の顔を打ち、外見を損なった。それでも撮影される可能性が残ると、自分の手首を傷つけた。看守に苦痛を与えられた場面ではなく、次に何をさせられるかを考え、自分の身体を使って相手の計画を崩そうとした時間だった。
この行為だけを「不屈の英雄」の証拠にすると、ストックデールが置かれた状況の狭さが見えにくくなる。自由に移動することも、撮影を拒否して立ち去ることもできない。選択肢がほとんど消えたとき、自分で決められる範囲そのものが身体の内側まで縮んでいた。彼が後にエピクテトスを語るときの「自分に属するもの/属さないもの」という区別は、こうした場面で抽象論ではなくなっていた。
ここで重要なのは、ストックデールを「何をされても折れなかった人」と単純化しないことだろう。彼が向き合ったのは、人間には身体的な限界があるという事実だった。拷問に耐えられなかった者を一律に失格とすれば、組織はむしろ壊れる。そこで彼は、捕虜たちが可能な範囲で抵抗し、破られた後にも再び集団へ戻れるような基準を考えた。
「自分に属するもの」を小さくしていく
自由に移動できない。食事も睡眠も自分では決められない。いつ尋問されるかも分からない。そうした環境では、自分が支配できる範囲は急激に狭くなる。ストックデールが後にエピクテトスを語るとき、哲学は「前向きに考えるための言葉」ではなかった。状況を変えられないときに、どこまでを自分の判断として引き受けるかを切り分けるための道具だった。
ストア派は彼を痛みから守ったわけではない。捕虜生活を容易にもしていない。それでも、外部の条件と自分の判断を同じものにしないための言葉を、彼は以前から持っていた。
1973年、帰還する
1973年2月12日、ストックデールは解放された。アメリカ国立公文書記録管理局には、帰還した彼が航空機から降りる瞬間の写真が残る。制服姿の公式肖像よりも、その一枚には時間の長さが写っている。
帰還後も彼は海軍に残り、海軍大学校の学長などを務めた。1976年には名誉勲章を受章する。しかし、彼の後半生を特徴づけるのは勲章の数より、捕虜時代の経験を何度も言葉へ戻したことかもしれない。退役後はフーヴァー研究所で研究・執筆を続け、倫理、指揮、人格、ストア派哲学について講演した。
妻シビルとの共著『In Love and War』では、収容所の内側だけではなく、夫の消息を待ちながら捕虜家族の運動を組織した側の年月も並ぶ。一人の「耐えた英雄」だけを見ていると消えてしまう、家族と制度の時間である。
1992年にはロス・ペローの副大統領候補として大統領選挙にも参加した。テレビ討論での姿が大衆文化の記憶に残った一方、本人の長い仕事は、戦争体験を政治的なキャラクターへ変えることより、その経験が人間の判断について何を示すのかを考えることにあった。
哲学が彼を救った、では終わらない
ストックデールの人生は「哲学を学んでいたから極限状態を生き延びられた」という一行にすると分かりやすい。しかし、それでは因果関係を強くしすぎる。彼には軍人としての訓練があり、仲間がいて、状況ごとに失敗も限界もあった。そのうえで、以前に読んだエピクテトスの言葉を、自分が置かれた現実へ持ち込んだ。
注目すべきなのは、哲学を知っていたことより、使い方だったのかもしれない。動かせないものまで自分の責任にしない。一方で、動かせるわずかな部分を手放さない。自分の自由が大きいときには見えにくい区別を、自由がほとんどなくなった場所で彼は何度も確かめることになった。
2005年、ストックデールは81歳で亡くなった。戦闘機、捕虜収容所、大学、研究所、選挙運動と、その人生の舞台は大きく変わった。しかし、その後半を通して彼が繰り返した問いは一つにつながる。状況が自分の思いどおりにならないとき、なお何を自分の行為として選ぶのか、という問いである。




