家という言葉は、
この世で一番素敵な言葉です
希望と自立の象徴となった物語
ローラ・インガルス・ワイルダー
の生涯
ローラ・エリザベス・インガルス・ワイルダーが紡いだ「大草原の小さな家」シリーズは、アメリカという国の精神そのものを象徴する物語である。彼女が描いたのは、厳しい自然と対峙しながらも、家族や隣人と力を合わせて生き抜く開拓民の姿だ。この物語に書かれた難に直面したときでも希望と自立を忘れないというメッセージは、時代や国境を超えて多くの読者を獲得し続けている。
しかし、ローラ自身の人生は、物語よりもはるかに過酷で、複雑だった。彼女の生涯は、挑戦と失敗、そして再生の連続であった。
開拓時代の厳しさと家族愛
1867年、ウィスコンシン州の小さな丸太小屋でローラ・インガルスは誕生した。父チャールズと母キャロラインのもと、彼女は開拓民の家庭で育つ。父チャールズは、教育を受けていなかったものの、読書好きで音楽を愛する情熱的な人物だった。一方、母キャロラインも教育熱心であり、彼女は知識や文化が息づく家庭で育った。
一家はフロンティア・スピリットに従い、幌馬車で新天地を目指し続けた。しかし、旅は常に困難と隣り合わせだった。先住民との緊張、バッタの大群による作物の壊滅、大寒波による飢え…。それでも、幼いローラは父のバイオリンと語り、母の手作りの料理や温かな家族の愛情の中で、自然と共に生きる尊さを感じ取って成長していった。
特に大きな影響を与えたのは、12歳のときの姉メアリーの失明であった。父はローラに「メアリーの目になれ」と命じたのだ。その時からローラは周囲の景色や感情を細やかに観察し、それを言葉にして姉に伝えるようになった。これは彼女の表現力を大きく育て、後の作家としての才能を開花させる重要な経験となった。
教師としての第一歩
15歳でローラは教師の資格を取得する。当時の開拓村で若くして教壇に立つことは並大抵のことではなかった。過酷な自然環境と限られた教育資源の中で、自らの学びもまだ十分ではない若い少女が、家庭の経済的事情から大きな責任を背負うことになったのだ。特に、彼女が教師として働く理由には、深い家族愛があった。最愛の姉メアリーが病によって視力を失った後、家族は彼女を盲人大学に進学させるために多額の資金を必要としていた。ローラはその学費を稼ぐため、わずか15歳にして家族の未来を背負う決意を固めたのである。
しかし、家族と離れて生活することは、まだ若いローラにとって大きな試練となった。慣れない土地で一人過ごす孤独。不安の重圧に押しつぶされそうになる夜。そんな彼女を支えたのが、無口で物静かな青年、アルマンゾ・ワイルダーであった。彼は決して多くを語ることはなかったが、毎週末に馬車を走らせ、ローラを家に送り届けるという何気ない行動で、彼女に温かな安心感を与え続けた。その静かな優しさは、ローラにとって心の支えとなり、やがて二人の間には言葉では表しきれない絆が芽生えていく。
ローラが18歳になったとき、二人は結婚を決意する。しかし、その結婚式では、当時の社会では一般的だった「夫に従う」という誓いの言葉を、ローラはあえて削除した。これは彼女の強い意志と自立心の表れであり、単なる形式的な反抗ではなかった。ローラにとって理想の夫婦像は、両親の姿にあった。父チャールズと母キャロラインは、互いを支え合い、尊重し合う対等なパートナーであり続けた。ローラは、そうした対等な関係こそが、真の愛と尊厳を築く基盤であると信じていた。
この結婚は、ローラにとってただの人生の節目ではなく、彼女が人生における信念を実践する大きな一歩だったのだろう。夫婦が力を合わせて生き抜くこと――それは、彼女がこれまでの人生で学んできたすべての価値観を体現するものであり、その後の困難に立ち向かうための強固な土台となっていく。
苦難の連続と再生への意志
結婚後、ローラとアルマンゾは一時、安定した生活を築く。娘ローズも誕生し、平穏な日々が続くかに見えた。しかし、その幸福は長くは続くことはなかった。アルマンゾがジフテリアに感染し、後遺症で一生杖を必要とする体となってしまう。次に生まれた息子もすぐに亡くなった。さらに火災、干ばつ、経済的な困窮が次々と襲いかかる。
それでもローラはくじけなかった。1894年、一家は最後の希望をかけ、ミズーリ州マンスフィールドに移住。そこでは酪農、養鶏、果樹栽培に挑戦し、20年かけて200エーカーの農場を築き上げた。この成功により、ローラは地域社会でも尊敬される存在となり、地元紙への寄稿を始める。
家族と自立の物語を紡ぐ
ローラの文筆活動は、1930年代の大恐慌が引き金となって本格化する。貯蓄を失った彼女は、経済的安定のために、かつての開拓生活の思い出を作品にすることを決意。娘ローズの支援と編集を受けて、1932年に『大きな森の小さな家』を出版した。65歳でのデビュー作は、たちまち大ベストセラーとなった。
この作品は単なる回顧録ではなかった。開拓時代の厳しい現実の中で、家族の絆、自然との共生、そして逆境に立ち向かう勇気を描いた物語だった。作品に流れるのは、アメリカのフロンティア精神――自助自立と勤勉、そして家族愛という価値観だ。
ローラの文筆活動が本格的に始まったのは、1930年代の大恐慌という、アメリカ経済史上最も深刻な経済危機がきっかけだった。この未曽有の危機は、ローラの家族にも深刻な打撃を与えた。株式市場の崩壊によって、家計を支えていた貯蓄の大半を失い、夫婦で築き上げた農場を維持することさえ危うくなった。長年の努力で手に入れた安定した生活が一瞬で崩れ去る中、65歳のローラは、再び新たな挑戦に立ち向かう決意を固める。
彼女が選んだ道は、過去を物語にすることだった。かつて過酷な自然と向き合いながらも、家族と共に生き抜いた開拓時代の記憶。それは単なる郷愁や懐かしさではなく、困難の中でも希望を失わず、支え合いながら生きた人々の物語だった。ローラは、これまで地元紙への寄稿で培ってきた執筆の技術と経験を生かし、物語を書き始めることを決意する。
執筆にあたって大きな支えとなったのが、娘のローズ・ワイルダー・レーンだったと言われている。すでに作家として活躍していたローズは、編集者として母を支え、執筆の技術的な指導だけでなく、精神的な励ましも惜しまなかったようだ。二人は親子でありながら、時に対等な創作パートナーとして、互いにアイデアを出し合い、物語を練り上げていった。
その結果、1932年に発表されたのが、『大きな森の小さな家』だった。65歳での遅すぎるデビュー作であったが、出版と同時に大きな反響を呼び、瞬く間にベストセラーとなった。読者はローラが描く開拓時代の世界に心を奪われ、厳しい時代を生き抜く家族の姿に深い共感を覚えた。大恐慌の只中にあったアメリカ人にとって、彼女の物語は「困難に立ち向かう勇気」や「家族の絆」といった普遍的な価値を再確認させるものであり、希望と励ましを与える存在となった。
どんな困難が襲いかかろうとも、家族が力を合わせて乗り越え、自然と共に生き抜く姿は、多くの読者にとって理想のアメリカ精神を体現していた。彼女のこれまでの人生を見てみると、決して理想とは遠かったかもしれないが、物語として理想が結実することになった。
永遠に語り継がれる物語
「小さな家」シリーズは、全9冊が出版され、アメリカの国民的文学として愛され続けた。ローラは晩年まで講演活動を続け、90歳でその生涯を閉じる。彼女が描いた物語は、1970年代にテレビドラマ『大草原の小さな家』として放送され、世界中で人気を博した。
しかし、時代が進むにつれ、作品に対する批判的な視点も生まれた。作品に見られるアメリカ先住民への偏見や保守的な価値観に対する指摘もある。2018年には、彼女の名前を冠した賞が「児童文学遺産賞」へと改名された。
それでも、彼女の作品が持つ「誠実でいること」「小さな幸せを見つけること」「失敗しても諦めない勇気」といった普遍的なメッセージは、今もなお、多くの読者の心に響き続けている。
Book

自伝・伝記:

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参考文献:
ローラ・インガルス・ワイルダー – Wikipedia
時を創った美しきヒロイン ローラ・インガルス・ワイルダー|化粧品・スキンケア通販[オージオ(OZIO)]
「大草原の小さな家」著者ワイルダーの真実(篠田真貴子)|翻訳書ときどき洋書